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奴隷堕ちした追放令嬢のお仕事 作者:長月 おと

本編

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37 視察交流と自覚(1)

 基本的に客人を長期泊めることのなかったセドリックの屋敷は、客人を迎える準備に追われた。

 そしてあっという間にセシルの来国の日を迎え、屋敷の前には使用人全員が待機していた。

 森の街道から四台の馬車が出てくるのが見える。



 エリィは一人、外から姿が見られないよう覗き込むような形で三階から眺めていた。馬車が近づくにつれて、心臓の鼓動が速まっていくのが分かる。怖ければ見なければ良いのだと分かっていても、結局は気になってしまっていた。



――――大丈夫。廊下の窓辺だけ注意して、あとは三階で大人しくしていれば終わること。ここを我慢すれば日常に戻れるわ。



 知らされている来客はセシルの他に侍女、護衛、国の使者からなる総勢たった7名の団体だ。彼女らが滞在中、窓辺から姿を見られない限り問題はない。

 エリィは深呼吸をして、不安を抑え込んだ。



 しかし次の瞬間、彼女は目を疑った。馬車が止まり、扉が開くと護衛についてきたであろう騎士が先に降りてきた。彼はエリィもよく知る騎士だった。



「フィル…………様っ」



 名前を忌々しく呟いた。落ち着いた茶色の髪に、遠くからでも分かる鮮やかな翠の瞳、遠くからでも分かる長身で体躯の良さ、エリアルを見捨てた男――――過去の婚約者フィル・マレットだった。


 次にセシルがフィルのエスコートを受けて馬車から降りてくる。ふわふわのストロベリーブロンドを風に靡かせながらフィルに愛らしい微笑みを向けている。花が咲いたような笑顔は健在だった。



――――第二王子の近衛が内定していたフィル様が、何故王子から離れて同行しているの?セシル様は複数の殿方の中でも、婚約者不在になったフィル様を選んだということ?それで特別に同行することになったのかしら



 エリィは断罪後すぐに追放されたため、その後どうなったのかを知らない。生きるので精一杯で、興味を失っていたのも原因だ。だけど今はこの情報不足が妙な不安を煽る。エリィにとっては事件を思い出させる、嫌な組み合わせの二人だ。


 セシルはセドリックの姿を認めると、感極まったように駆け寄った。三階からは何を言っているのか分からない。ただこの訪問を心から喜び、そのお礼をセドリックに一生懸命に話しかけているのは分かる。

 セシルが距離を詰めたため二人の立っている距離は近く、エリィは胸の奥が重くなっていくのを感じた。



――――貴族令嬢なのに相変わらず殿方であるご主人様との距離が近くはなくて?それで過去も多くの忠告を受けたのにセシル様は変わっていないのね…………フィル様は想い人がそんな様子でいいの?止めなさいよ



 気分を軽くするように深くため息をついたが、胸の重さは変わらない。むしろセドリックとセシルの距離の近さに、苛立ちに似た黒い何かに支配されそうになった。



――――何なのこの気持ち。抑えないと



 苛立ったところでエリィにはどうすることもできない。奴隷となった身分では貴族に対して不満を抱く資格すらないのだ。



 見ているだけでストレスが溜まりそうだ。エリィは皆の姿が見える窓辺から離れ、アトリエで刺繍をすることにした。

 先日与えられた課題をセドリックに見せたところ、合格をもらえた。仕上がりが綺麗だと褒められ、頭も撫でてもらった。銀の髪留めも優しく指で触れてもらい、嬉しかったことを思い出す。



――――ふふ、あんなに誉めてもらったのだもの。あの二人に憂いている場合じゃないわ。初仕事をきっちりこなして、ご主人様のお力にならないと。そしたらまた褒めてくれるかしら



 完成したときのことを想像すると、先程までの重く苦しかった胸の奥が軽くなっていく。

 最終課題ほど大きいサイズではないが、礼服の襟元に使われる予定のパーツ。セドリックが自分用に仕立てるもので、エリィは彼が着る姿を思い浮かべて針を進めていった。



 ※



 視察団が来てから既に二週間――エリィはずっとアトリエに籠るようになっていた。セドリックの配慮のお陰で、この数日三階に来客はない。日中はたいてい支店や関連施設に出かけ、午後のお茶か夕食に合わせて帰ってくることが多い。



――――また同じ気持ちだわ。ご主人様は今どうしているのかしら



 エリィは刺繍の針を止め、胸に手を当てた。

 セドリックがユースリア王国に出張に行っている間に抱えていた気持ちが再燃していた。いや、今は前回よりも酷く、好きな仕事すら手につかない時間もある。



 セドリックは朝早くから就寝直前まで視察団の対応をしているため、一緒に過ごす時間は全くない。食事はもちろん別。それでも朝と夜の挨拶は交わしており、それぞれ五分間の甘えタイムも設けている。



 だけどエリィは近頃それでは物足りないのだ。



 頭を悩ませていると窓から馬車の音が聞こえてくる。セドリックたち視察団が街から帰ってきたのだ。少しでも彼の姿を見ようと、アトリエを出て窓辺に駆け寄った。壁の影に隠れるように、そっと覗き込む。


 丁度セドリックが彼の馬車から降りてきたところだった。すると彼は立ち止まり、先程出てきた扉に手を向けた。手に重ねられたのは華奢な手だった。



「……っ」



 エスコートされて出てきたのはセシルだった。

 ホストがゲストをエスコートすることはよくある事。しかしエリィにはビジネス以上に仲睦まじく見えてしまっていた。


 セシルが輝かんばかりの上機嫌な笑顔を見せていることは当たり前。セシルの性格からして、彼女から可愛らしくセドリックにエスコートをおねだりしたのだろうとも予想がつく。親密に見えてしまうのはセドリックが丁寧なエスコートをしていることにも原因があった。



 彼は容姿の良さから「微笑めば勘違いされる」と愚痴を溢し、女性への扱いは慎重。また顧客に対して丁寧な接客はしても、採寸はシンディに任せるなど触れあうことは避けていると聞いていた。



『僕から積極的に触れるのはエリィだけだよ』



 そんな事を言っていたセドリックが微笑みながら、セシルの無邪気で積極的な態度を受け入れている。

 透明感のある水色の瞳を細めた彼と視線が合えば、セシルは恥ずかしげに逸らす。素直に頬を染めてはにかみ、時にはからかわれたと思ったのか頬を膨らませ可愛らしく拗ねていた。



 そんな二人の姿を見るたびにエリィは針が刺さったように心臓が痛み、空気を奪われたような息苦しさを覚えた。



――――フィル様!なんで傍観できるのよ!ホストのご主人様ではなく、立場的に護衛のあなたがエスコートしても問題ないじゃないのよ。セシル様がセドリック様を好きになってしまうわ。馬鹿なの?私は何のために追放されたの?ねぇ…………っ!



 エリィが心の中で訴えても、現状は変わらない。フィルは護衛の見本らしく口を挟むことすらせず傍観を決めている。


 他の視察団の人たちが屋敷の中へ戻る中、セドリックとセシル、少し離れてフィルは庭へと歩みを進め始めた。奥にはテーブルセットが見えるため、お茶をするらしい。こうやってその日の仕事を早めに終えてもセシルは何かとセドリックを離さない。彼も断らず付き合っていることが、よりエリィの寂しさを加速さている。



 初日に打ち消したはずの黒い感情が何度も顔を出し、ついには消せなくなっていた。このまま見ていたら支配されてしまいそうだ。



 エリィはアトリエへと爪先を返そうと思った時――――芝生にヒールが刺さったのか、セシルが前へと躓いた。少し前方を歩いていたセドリックが重ねていた手を引き、セシルは大袈裟に彼の胸の中へと飛び込んでいく。



――――そこは私の場所よ!やめて!ご主人様は私の――



 故意だと分かるセシルの行動に、エリィは叫びそうになった。声に出すことは無かったものの、次の瞬間…………絶望した表情で口元を手で覆った。



――――私は今、何を言おうとしたの?



 一瞬にして黒い感情があふれ、渦を巻いて心を乱していく。令嬢時代には感じなかった感情。他の令嬢が抱き、他人事だと静観していたはずの醜い産物。



『嫉妬』



 エリィはアトリエではなく、自分の部屋へと飛び込んだ。ベッドに倒れ込むと何度も深呼吸を繰り返し、嫉妬が生まれた原因を考える。



 しかし答えはひとつしかなくて…………気付かないふりをしていただけで…………ずっと側にあった気持ちで…………もう否定し続けることは出来なくなっていた。確認するように気持ちを言葉として形にする。



「私はご主人様が好き」



 エリィは声を絞り出すように呟いた。



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