33 甘え方、甘やかし方(1)
セドリックが帰国後、新作発表会に向けた準備が再開された。エリィが任されていた掃除の仕事はブルーノとシンディに返上され、彼女はセドリックのアシスタントに集中できるようになった。
ミハエルのオーダーの時のように納期に追われていないため、比較的時間に余裕がある。エリィはセドリックに求められたときのために、刺繍の練習に打ち込むことにした。
「ねぇ、アトリエにいなくて良いわけ?」
「…………たぶん、大丈夫です」
ミモザに指摘され、エリィは長い間をあけて答えた。
今エリィがいるのはメイドたちの休憩室だ。そこでメイドたちに混ざって特訓中なのだ。今まで通り、アトリエで作業するセドリックの側で勉強したり特訓をしようとはした。だが視線を感じてしまい、どうも集中が出来ないのだ。
ふと視線を上げれば、セドリックはエリィを見つめていることが多くなった。何か用があるかと聞けば、無いと言われるばかり。自分が彼の妖精像に近いため、デザインのインスピレーションのための観察かと聞けば違うと言われる。
極めつけは「ただ見ていたい」と言われてしまい、エリィの淑女の仮面が危うくなるのだ。
――――せっかく女王らしく落ち着いた振る舞いを心掛けているのに、崩しにくるなんて油断大敵ね
仮面を被り直そうとするが、何故かセドリックの前だと上手に直せない。そして逃げるようにメイドの休憩室に居座り始めたのだ。セドリックはメイドたちの変化に気付きつつも、まだ距離がある。格好の逃げ場だ。
「セドリック様と何かあったのかしら?髪飾りをきちんとつけているから喧嘩ではないと思うけれど」
「その…………私がいるとどうやら集中できないのではと今さら思いまして、私が勝手に場所を移したのです」
自分が集中できないことは棚にあげ、当たり障りないように答える。
「あら、そうなの?でも私が集中できないのは気にしないわけなのね」
「あ、いえ!そのようなわけではっ」
ここはメイドたちの気を休める場所だ。お姉さん気質のミモザはいつも笑顔で迎えてくれるため、すっかり気を抜いてしまっていた。もう休憩室に来れない、とエリィが肩を落としているとミモザはくすりと笑った。
「ふふふ、冗談よ。真に受けないでよ。甘えてくれているようで、私は嬉しいわ」
「ミモザ様…………本当にご迷惑では?」
「大丈夫よ。ローラと比べれば貴女はまったく手がかからないから可愛いものよ」
部屋の隅で相変わらず刺繍に苦戦しているローラが顔をあげて、エリィたちを見た。ショックを受けている様子はなく「えへへ、すみませーん」となれた様子で笑っている。
「ここではローラのように図太く頼って、少しくらい迷惑をかけても良いと思うの。むしろそれだけ慕ってくれているのだと分かって、私は嬉しいものだわ」
「そういう甘え方もあるのですね」
「えぇ、今さら遠慮された方が悲しいわよ。身分なんて関係ないわ。もう屋敷で働く仲間じゃない」
「ミモザ様っ」
パチンとミモザにウィンクを送られ、エリィは思わずときめいた。腹の探りあいの無い「仲間」という言葉が甘美に耳に響く。刺繍のキャンバスを手にしていなければ、はしたなく抱きついていただろう。
「私、休憩室に通います!」
「まぁ、可愛い子はファッションの刺激にもなるし大歓迎よ」
二人は見つめ合い微笑んだ。
「エリィとミモザは随分と仲良しなんだね」
和やかな空気を凍らすように、不機嫌な声が割り込んできた。出入り口を見れば、セドリックが微笑みながらこちらを見ていた。微笑んでいるのに不機嫌に感じる声色のギャップが恐ろしい。珍しい来客にエリィとミモザは反射的に揃って椅子から立ち上がり、背筋を伸ばした。
「セドリック様、何かご用でしょうか?承ります」
「ミモザはのちほど面談ね。後で呼ぶよ」
「――――は、はい」
突然の呼び出しで、ミモザはそのまま固まってしまった。
そしてセドリックの視線はミモザからエリィへと移る。
「エリィは今からアトリエね」
「はい」
エリィは刺繍のキャンバスを抱えたまま、セドリックの後ろを付いていく。
――――ご主人様のプライベートには関わらないように配慮しているけど、やはりメイドたちと仲良くしていてはいけないのかしら
アトリエに入るとエリィはセドリックを向き合うように椅子に座った。とても居心地が悪い。テーブルを挟まずにセッティングされた座席の距離は膝が触れ合いそうな近さだ。
「何故!」と椅子を用意したシンディの意図を探ろうとするが、相変わらず無表情で何も汲み取れない。そしてそそくさと退室してしまい、エリィとセドリックの二人きりになった。
「さて…………僕はどうやら狭量のようだ」
「申し訳ありません。ご主人様が警戒している相手と親しくしており、謝罪致します。私が勝手に近づいたのです」
エリィは素直に頭を下げた。ミモザは以前エリィと仲良くすることで、懐柔を疑われたくないと言っていた。ミモザは本当に頑張っている。それを知った今、セドリックに疑われ、ミモザの邪魔になるようなことにはしたくはない。
「そうじゃないんだ」
セドリックはエリィの頬に手を添えて顔をあげさせた。彼の表情は怒っているというよりも、悲しげだった。
「なんでメイドには甘えて僕には甘えてくれないんだ」
「いえ、ご主人様にはもう甘えすぎているくらいです。ケーキの種類も選ばせてもらいましたし、回数だって増やしてもらいました。先日は高めの果物のトッピングだってしちゃいました」
奴隷らしく仕事を欲しいと願った時とは違う。完全な嗜好品の要望を叶えてもらったのだ。薄々は気付いていたが…………メイドたちから一般的な奴隷の話を聞いて、エリィの待遇がとてつもなく良いことを知った。
これを甘えといわずに何と言うのか。しかしセドリックの表情は晴れない。
「うーん。確かに甘えのひとつだけど、少し違うんだよね。先程のミモザの言葉を借りれば、何も迷惑がかかっていない。エリィは自然と僕の労力がかかる事を避けているよね?」
「それはもちろんです。奴隷がご主人様のお手を煩わすなどあってはなりません」
「本当に仕事に忠実な奴隷なんだね」
落胆した声と共に、エリィの頬から彼の手が離れる。以前は離れて良かったと思っていたのに、今は温もりがなくなり少し寂しく思う。それだけセドリックという存在にエリィは甘えている自覚はあった。
「私は人生のなかで一番好きなように、自由に過ごせています。目上の方に対して仕事もケーキも、自ら望んで誰かにねだったことはありません。前は自分の希望など抱いても無駄でしたから」
以前は相手の機嫌を取るためだけに、望むふりをしていた。希望の否定が、自分の否定になりそうで本音は言えなかった。でもセドリックは違う。
エリィはそっと膝に乗せられたセドリックの手に、自分の手を重ねた。
「ご主人様だからです。優しくて、いつも許してくれるから本当に欲しい物の願いが言えるのです。猫になりきって失礼なことだってできるのです。とても甘えているのです」
「エリィ…………」
「希望通りの甘え方が出来ていないようで申し訳ありません。その…………甘えついでに、具体的に甘えかたを教えてくださいませんか?私、ご主人様のために頑張りますから」
「全く君は本当に――――」
セドリックは手のひらをくるっと返し、エリィの手を握り返した。彼は一瞬泣いてしまいそうな表情のあと、いつもの余裕のある笑みを浮かべた。
「ご主人様…………?」
「教えない。自分で頑張って」
「私、今、甘えましたよね!?」
エリィは思わず素でツッコミを入れてしまう。
「だって僕が教えたら真面目なエリィは仕事のごとく、言われるままに実行するだろう?それは甘えではなくなってしまうじゃないか。エリィが自発的にやらないと意味がないんだよ」
「た、確かに…………」
エリィは肩を落とし項垂れた。おねだり作戦を否定された今、打つ手が何もない。
――――でも甘えていいのなら、まだ引き下がるわけにはいかないわ!
かばりと頭を上げなおし、姿勢を正した。
「ヒントを下さい!」
「ヒントかぁ。まずは最近のその感情を隠して表情を殺すのをやめて欲しいかな。君は甘えられなくなるし、僕は甘えられている実感が減ると思うんだ。もっと素で過ごしてはどうかな」
「――――っ、なるほど」
女王を目指して大人ぶっていたことが仇となり、心が痛い。
――――でも折角ご主人様がヒントをくれたのよ。こうなったら色々と試して「最高だ」と言わせてみせるわ。そうね、猫のように感情に素直になるのよ。元々猫らしさを求めていたことを失念していたわ
胸の前で両手で拳を作り、気合いを入れ直す。
「ヒントありがとうございました。次こそご主人様の心を掴んでみせます。覚悟してくださいね」
笑顔で宣戦布告をした瞬間、エリィの体はセドリックの方に引き寄せられる。すっぽりと彼の腕の中に収まり、帰国の日の力強さを思い出してしまう。すると勝手に顔に熱が集まった。
だが体はすぐに離され、セドリックはここ最近で一番爽やかな笑顔で言ったのだ。
「うんうん、素直に赤くなって宜しい。もし感情を隠そうとしたら、こうやって強制的に甘やかすからエリィも覚悟していてね」
「ひょえ」
エリィの口から間抜けな声がでた。呆然とするエリィを置いて、セドリックは満足そうに笑いながら「お茶の時間だね」と先にテラスへと向かってしまった。
――――甘えってなんなのぉ!?
セドリックの理想の甘えが更に分からなくなり、エリィは心のなかで絶叫した。