31 主の帰還(2)
セドリックは木の下からそっとエリィを見上げた。
「エリィ、まずは話をしよう。降りておいで。僕が受け止めてあげるから」
「駄目です…………ご主人様がお怪我をなさるかもしれません。自分で降りられますから、少し離れてくださいませ」
「帰国したら甘えてくれると言ったのは君だろう?ほら、僕に甘えて飛び込んでおいで」
「~~~~っ」
セドリックが両手を広げ、待ち構えている。エリィはじっと見つめ、躊躇した。
――――卑怯だわ!こんなにもすぐに約束を持ち出すなんて…………しかもこんな甘え方はハードルが高すぎる
この距離でさえ心乱されて上手く目線を合わせられないというのに、自ら触れにいくような行為は恥ずかしくて堪らない。
甘えるプランは好きなケーキを可愛くおねだりするところから始めるつもりだったのだ。そこから徐々に甘えに慣れていくつもりだったのに、計画が台無しだ。
しかしエリィが困惑している間もセドリックはじっと見つめたまま、手を広げ待っている。
――――ご主人様をこれ以上待たすなんて失礼だわ。私は奴隷よ。恥ずかしがらずにご主人様のお願いを叶えなきゃ
腹をくくり、エリィは体の向きをずらした。
「…………行きますよ?本当に気をつけてくださいね」
「大丈夫。僕を信じて」
エリィはセドリックの言われるままに、彼の胸を目掛けて飛び降りた。強風と飛び降りた勢いで、メイド服のスカートが翻りそうになる。
しかしエリィの体はふわりと浮くような感覚のあと、スカートを押さえるように膝裏と腰を支えられセドリックの腕の中に収まった。彼はよろめくこともなく、しっかりと受け止めた。見た目よりも腕は力強く、嫌でも男性だと意識してしまう。
エリィはすぐに降りようとするが、足は地上に戻ることなく浮いたまま。セドリックの肩にお腹を乗せる形でホールドされてしまい、動くことができない。
「ご、ご主人様、あの…………下ろしてください」
「何故エリィは木の上で悲しそうにしていたの?それが僕のせいだと君は言う。下ろすのは理由を教えてもらってからだ」
「そんな――――」
これ以上辱しめを受けるのかと絶句する。
「ここは甘やかしで聞かないという選択は…………」
「ないな」
「――――っ」
セドリックの肩に手を乗せ支えながら振り向くと、鋭い水色の瞳に射ぬかれた。譲る気はないという意志がひしひしと伝わってくる。
――――どうして悲しくなっていたかなんて
エリィは絞り出すように、答えた。
「会いたくて、でも会えなくて…………それで寂しかったのです」
「その相手って――――」
「分かっていますでしょう?ご主人様です!以上です!」
今にも恥ずかしさで顔は沸騰しそうで、涙が溢れてしまいそうだった。これ以上聞かないで欲しいとばかりに、真っ赤な顔を隠さず涙目でセドリックを見つめ返す。
すると彼の瞳は見開かれ、エリィを見上げていた。次第に彼の顔もほんのり染まったかと思うと腕の力は抜け、エリィは無事に着地した。
「やばい」
セドリックは呟くと顔の下半分を手で覆い、エリィから一歩離れた。
――――やばいのは、分かっているわよ。留守番が寂しかったなんて、子供すぎる自覚はあるわ!でもご主人様が恥ずかしがることないでしょ?言わせたのはご主人様の方なのに、引くなどあんまりだわ
エリィは抗議の意味を込めて、きっと睨みを効かすのをやめない。
だと言うのにセドリックはふにゃりと表情を崩し、嬉しそうに笑い始めた。
「ふふ、ごめん、ごめん。あまりにもエリィが可愛くて。そっか…………本当に寂しがってくれたんだね。しかも僕のせいなんだね」
セドリックはエリィの頬に手を伸ばし、さらりと撫でた。エリィはピクッと肩を揺らす。
慣れたスキンシップのひとつなのに、暫くぶりのせいか更に熱を持ってしまう。ただでさえ顔が熱いのというのに、目眩がしそうだ。
エリィを見つめるセドリックは、とてつもなく幸せそうな顔をしているから以前より眩しく見えた。
――――きっとこれも呪いのせいだわ。こんなのおかしいわ
エリィはセドリックの手に自分の手を重ね、そっと頬から離した。離した手を両手で包み込み、切実に願う。
「ご主人様、お願いでございます。早く…………私をこの籠りすぎた熱から早く解放してください。このままでは顔も体も熱くて、辛くて…………もう限界なのです」
「――――熱を解放とは?」
「酷い。ご主人様は分かっていらっしゃるはずなのに……私……もう中から熱くて仕方ないのです。早く、鎮めてくださらないと、もうっ」
全てはセドリックのせいだと言うのに、彼は忘れたかのように動揺するだけだ。それがエリィにとっては焦らされているようで、縋りたくなる。求めるように、ぐっとセドリックの手を強く握りしめた。
数秒後、彼の喉からゴクリと音がした。すると気付いたときには再びエリィはセドリックの腕の中にいた。
しかも苦しいほどにきつくエリィの体を締め上げ、口から熱っぽい息が勝手に漏れ出てしまう。同時にセドリックの苦しげなため息が耳に当たり、体まで熱くなりそうだ。
「――――っ、いいのか?本当にしても?後悔はしない?」
「は……い。この、呪いから……解き放たれるのであれば」
エリィは肺に残った僅かな空気を使って、声を絞り出した。
ピクリとセドリックの動きが止まる。
「…………ん?呪い?」
「はい。呪いのことです。」
「待て!どういうことだ?」
「だから…………ご主人様の…………魔法で、呪いを解いて欲しいのです。こんなにも熱いなんておかしいです」
セドリックに肩を掴まれ、体の距離があく。彼は上から下までエリィを眺め、彼女の袖を捲り奴隷印を確認し始めた。
「エリィは呪いなどかかっていない。何かしら魔法の影響下にあった場合、奴隷印の色が変わるようにしてあるんだ。麻痺など身体的な物は青、洗脳などの精神的な物は赤になる。だけど今は…………」
「焦げ茶のままですね」
「あぁ、正常だ」
「なんてことなの!」
エリィはショックのあまり、体が崩れそうになる。セドリックがそれを支えるが、彼女はなかなか体勢を立て直せない。
――――そんな、だったら私はどうしてご主人様のことばかり…………ずっと呪いの影響だとばかり思っていて…………つまりこんなにもご主人様を思ってしまうのは私自身の問題で…………それで、それで
自分の心を確かめるように、顔を上げた。すぐそばには心配するセドリックの顔があり、水色の瞳には真っ赤に熟れたエリィが映っていた。チクンとトゲが刺さったように切なく胸が痛む。
「エリィはきっと疲れているんだ」
「疲れ…………ですか?」
「僕が不在で寂しくしてくれたことは嬉しいけど、我慢していたんだね。ごめんね…………親しい人もいない所で一人残され心細かっただろう。急に僕が帰ってきて、驚いて、疲れが一気に溢れ、顔が赤くなるほど熱が出てしまったんだよ。君の言うとおり僕のせいだ…………こんなにもエリィを弱らせてしまった」
「そう……なのかもしれません」
セドリックが勝手に都合よく解釈してくれたため、エリィは否定せず頷いた。優しさに付け込むようだが、罪悪感が沸くほど余裕はない。
するとふわりと体が浮き、エリィはセドリックに横抱きにされてしまう。
「ご主人様?」
「君の言う呪いは精神的な疲れのせいだ。しっかり休んでもらうためにも、僕が部屋まで運ぶよ。甘えてくれるね?」
「……はい」
「さぁしっかり掴んで」
エリィは指示されるまま、セドリックの首に腕を回した。抵抗できるエネルギーはもう彼女には残っていなかった。
「お姫様抱っこだなんて初めてです」
「そうか。怖くない?」
「ご主人様だから信じます」
セドリックはニッコリ微笑むと、しっかりとした足取りで歩きだす。
「そういえばブルーノ様とシンディ様はどちらに」
「あとで荷物と一緒に馬車で帰ってくるよ。僕は早くエリィに会いたくて途中から転移してきたんだ。正解だったのかな?」
「はい。おかえりなさいませ。お待ちしておりました…………本当に、本当です」
「うん。待たせたね、僕の妖精さん。ただいま」
セドリックの歩調が一定のリズムを刻み、彼の温もりに包まれ心地がいい。今はただ余計なことは考えず、彼を感じていたい。そう思ったエリィは瞳を閉じて、身を委ねた。