29 違和感(3)
第一王子の婚姻という慶事により、ユースリア王国の繁華街は連日いつも以上に賑わっていた。市場や飲食店が建ち並ぶメインストリートは特に盛況で、露店も多く朝から祝杯をあげている国民も少なくはない。
そこから一本裏手のファッションストリートにいても、国民の賑やかな歌声は届いていた。
しかしセドリックの耳には入らない。宝飾品店の前で髪留めを手にとり、真剣に見つめていた。
今日はユースリア王国滞在最終日。この国のファッション雑誌やドレスカタログを買い漁り、最後に個人的なお土産の購入をしていた。宝飾品店はそのうちのひとつだ。
――――エリィに似合うのはどちらだろうか
右手にはエリィの瞳と同じラピスラズリの石が使われ、左手にはセドリックの瞳と同じブルートパーズが使われていた。
前までならラピスラズリを選ぶところだが、今は自分の色を身につけて欲しいと思う欲も生まれている。自分好みに着飾らせたいのだ。
ブルーノには「二つとも買えば良いのに」と言われたが、エリィには「高価すぎて奴隷の沽券に関わる」と怒られそうだと悩んでいた。
――――でも、もしエリィが元伯爵令嬢なら宝石を見て喜ぶ可能性も…………いや、エリィはエリィだ
あの晩餐会からどうしてもフィルの話が頭から離れない。エリィは過去の話をしたがらないこともあり、何度も頭のなかで否定するがまだ燻っている。
悩んでいたら、気付けは宝飾品店に足を運んでいた。ユースリア王国の伯爵令嬢ならば、この国の宝飾品を目にしたら何か分かるのではと頭をよぎったのだ。
――――まだ完全に認めた訳ではないが…………僕は…………
セドリックはふぅと一息ついて、ラピスラズリの髪飾りを棚に戻す。そうしてブルートパーズの髪留めを手に、会計のカウンターへと向かった。
会計を済ませ、ドアを開けた瞬間小さな影とぶつかった。
「きゃっ」
「失礼!」
セドリックは慌ててよろめく女性の腕をつかみ支えた。ふわりと甘い香りのする、その女性は知っている人だった。
「ダルトン嬢?」
「まぁセドリック様!申し訳ありません。人が出てくるとは思わなくて。お忍びなのでセシルと呼んでくれると…………」
「分かりました、セシルさん。それよりお怪我はありませんか?」
「えぇ、セドリック様が支えて下さいましたから。ありがとうございます」
セシルは花が咲いたような笑顔で無事をアピールする。セドリックは胸を撫で下ろし掴んでいた腕を離した。
そして会釈をして別れを告げようと口を開く前に、セシルが空いているセドリックの手を握った。
「今からお時間ありませんか?こんな所でお会いできるなんて運命ですわ。少しだけで宜しいのです!ご相談したいことが…………!」
ぐっと更に手を強く握られ、必死さが伝わってくる。アメジストの瞳は力強くセドリックを見つめ、真剣そのものだ。
買い物はもうない。早めに帰って明日からの帰路に備えたいところだが、セシルに対しては罪悪感が芽生えた。それに未だにどこか興味を持ってしまっている。
「…………お茶一杯だけであれば」
「まぁ、嬉しい。すぐそこに穴場のカフェがありますの。ご案内しますわ」
案内されたカフェはメインストリートからずれているためか、空席があった。セドリックとセシルは同じテーブルにつき、少し離れたところにブルーノとセシルの付き人が座った。
「で、ご相談とは?」
「今回のラグドール王国の訪問により、大々的ではないものの貿易が始まる可能性があるとお聞きしましたの。そこで我が男爵家の商品とセドリック様のドレスが協力できると思ったのですわ」
セシルはテーブルにかわいらしい小瓶を出した。瓶の先には霧吹きがついており、ハンカチに吹き付けセドリックに手渡した。
ふわりと果実系の甘酸っぱい香りが鼻腔をくすぐる。ほっと肩の力が抜けた。
「香水ですか?良い香りですね。甘いのにくどくない…………女性受けしそうだ」
「はい。私も良い香りだと思うですが、他の貴族の方が強くて…………販路に悩んでいるのです」
爵位の高い領地の名産と競合すれば勝てないのはよくある話だ。国内での活動は厳しいため、セシルは交易が確定していないものの僅かなチャンスに先手を打ってきたのだと分かる。
セドリックは腕を組み、次の言葉を待った。
「ドレスを納品するときに香を焚いたり、香水を着けた布で包み込むことでドレスに香りを移すこともありますでしょう?その時セドリック様が作ったドレスに、ダルトン産の香水を使っていただけないかと」
「なるほど。良い香りだと評判にもなるし、ティターニアというブランドが使うことでステータスにも繋がり良い宣伝になると」
「その通りです。ドレスを納品する際にはサンプルもお付けし、数回お試しできるようにもしたいなと考えているのです」
セシルは気合いを表すように胸元で手を強く組んだ。セドリックは少し考え込み、疑問を投げ掛けた。
「貴女の友人には第二王子クリストファー殿下がおられるはず。殿下には協力を仰がなかったのですか?」
「一挙一動が注目され、心のご負担になっているというのに…………その注目を利用するみたいで出来ませんでした。私は殿下の理解ある友人のままでいたいのです。ラグドール王国と違い、ユースリア王国の身分差はほぼ固定ですから距離感が難しいですわ」
「そうでしたか」
「はい。でも領地を支えたい気持ちは変わりません。まだ婚約者の決まらない私を可愛がってくれる両親のためにも領地をもり立て、力になりたいのです」
まだ十代の、しかも令嬢が領地を思って積極的に動く姿は心打たれるものがある。第二王子を友人として配慮する姿も悪くない。セシルに協力をしても良いのではと心が傾くのを感じた。
「熱意は分かりました」
「嬉しいですわ!では――――」
セシルは喜びいっぱいに椅子から腰をあげるが、セドリックが軽く手をあげ制止する。
「落ち着いてください。決定ではありませんよ。既存の付き合いもあるので簡単には決断できませんので、まずは話を持ち帰らせください」
「そ、そうですよね。はしゃいでしまい恥ずかしいですわ。もっときちんとしたレディにならないといけないのに」
「良いのでは?それが貴女の良さだと思いますよ」
「あ、ありがとうございます。そんな事を言って頂けるなんて、お優しいのですね」
やってしまった――――と思ったときには遅く、意図せずでた言葉にセシルは顔を真っ赤にしてしまった。だがその素直すぎるほど可愛らしい反応は見ていて、癒されるものがある。
――――エリィはきっと何をしても、こういう反応はしてくれないんだろうな。それに比べダルトン嬢なら……っ!長居は危険だ。帰ろう
セドリックは伝票を掴み、立ち上がった。
「まだ交易の話も進んでいません。もし何かあればこちらからセシルさんに連絡致しましょう。今日はご相談ありがとうございました」
「もうお帰りになるのですか…………ではこの瓶をサンプルとしてお渡しします。時々嗅いで、香水のお話を思い出してくれると嬉しいですわ」
「ありがとう。失礼します」
セシルから小瓶を受け取り、カフェをあとにした。
そして王宮へと戻る馬車の中でセドリックは困惑していた。女性に対しては日頃扱いに気をつけているはずなのに、迂闊な発言をした自分が信じられなかった。
ビジネスに関しても同様だというのに、セシルには甘い判断を下しそうになり危なかった。あのまま熱意に押されれば、交易が成立したら取引すると言ってしまうところだったと冷や汗が流れる。
――――ダルトン嬢はやはり不思議なレディだ。何故こんなにも近付かれても不快ではない…………何故こんなにも興味を持ってしまう?
小瓶を握りしめやり取りを思い出すが、エリィと比べれば惹かれる要素は少ない。容姿はエリィの方が好みだし、仕事に真面目なところも負けていない。
では何故セシルを…………と、セドリックは受け取った小瓶を見つめ、揺れる馬車の中で考えた。
――――まさかな
ぎゅっと小瓶を握りしめ、気づいてしまった可能性に眉間にシワを寄せた。