27 違和感(1)
セドリックはシャンパンを片手に、壁際で人間観察を行っていた。
まずは礼服を確認する。ラグドールと型は大きく違いはないが、流行りの刺繍デザインに違いがある。
そしてドレスのデザイン、生地、レースに刺繍など細部を失礼のない程度に観察を始める。令嬢が視線に気づきセドリックの整った容姿に頬を染めるが、彼は微笑みもせずその奥を見ているように装った。
誤魔化しで微笑めば、令嬢に勘違いされることを十分に経験したことがあるからだ。セドリックは場所を移そうとグラスの中身を飲み干した。一応ミハエルの側近にその事を伝えようと、そちらに視線を向けたとき集団に突っ込んでいく令嬢の姿が目にはいる。
――――刺客か!?
ちょうどミハエルはユースリア王国の第一王子、第二王子と歓談中で、それによりできた人だかりのせいで側近はまだ気付いていない。セドリックが手に魔力を込め万が一に備えた瞬間、気配に気づき振り返った側近と令嬢がぶつかった。
「きゃっ」
ホールでか弱い悲鳴が響く。令嬢はよろめき、ぶつかったことに怯えているのか小さく体を震わせた。ふわふわのストロベリーブロンド、アメジストの瞳を持つ『可憐』という言葉がぴったりな小柄な令嬢だ。ワインを持っていたのか、溢れてドレスには染みが広がっていた。
賑わっていた会場は鳴りを潜め、注目は令嬢を中心に集まった。
「無礼者が。国賓のミハエル殿に許可なく近づくなど何を考えている…………セシル・ダルトン」
怒気が含まれた第一王子の声が響く。
「申し訳ございません。クリス様……いえクリストファー殿下のお姿を久々に拝見したものですから、どうしてもお話ししたくて。ミハエル殿下と一緒にいるとは考えが及ばず…………」
大きな瞳に涙を溜めて、頭を下げれば雫が落ちていくのが見えた。第二王子クリストファーがすぐさまセシルの肩を支え、ミハエルに向き直る。
「ミハエル殿、兄上、私からも謝罪いたします。私の大切な友人が私を思っての行動でお騒がせしました。お許しください」
「申し訳ありません。以後気を付けます」
クリストファー王子とセシルが同時に頭を下げ、第一王子がミハエルを視線で伺う。まわりの緊張感と第一王子の深刻そうな表情とは裏腹に、ミハエルはいつもの笑顔のままだ。
「私は構わないよ。王族なのに頭を下げるなど素晴らしい友情ではないか。それに可愛らしい令嬢が涙を流してまで反省していたら、許すのが男だ。実害もないことだし」
ミハエルが笑みを深めれば、セシルはほんのり頬を染め「可愛いだなんて」と小さく呟いた。
――――どの国のレディもミハエル殿下の顔には弱いのか
セドリックが冷めた目で眺めていると、ミハエルと目線がしっかりと合う。長年の付き合いで彼の言いたいことが分かり、セドリックは頷いた。
ミハエルはセシルに一歩近づき、提案する。
「久々であれば積もる話しもあるだろう。だがそのシミがついたドレスでは楽しめない。どうかな?我が国自慢の職人のドレスがちょうどあるから、着てみないか?今夜だけ貸してあげよう」
「よ、宜しいのですか?ありがとうございます。もう帰らなければいけないと思っていたのに…………嬉しいです」
セシルが感動で嬉しそうにまた涙を溢す。クリストファー王子も同じく礼を言い、側近とセシルたちと一時退場した。第一王子は謝罪と寛大な対応に感謝を示した。
――――主導権が決まったか。ラッキーだったな
そんな事を思いながら、セドリックは無言で近づいてきたブルーノに指示を出す。
「試着品の四番をあの令嬢に着させるようシンディに頼んでおいてくれ」
「かしこまりました」
翌日の王女主催のお茶会で御披露目予定のドレスの中から、セシルに最も似合いそうなデザインを指定した。
セシルの容姿はとても可愛らしく、ティターニアのコンセプトにも合い、良い宣伝になりそうだ。この国で売るかどうかは分からない。ただラグドール王国の価値を高める要因のひとつになればそれで良い。セドリックはミハエルのプラスになれそうだと、新しく受け取ったワインを味わった。
少しするとクリストファー王子のエスコートでセシルが再入場した。二人は入場するなり、ミハエルに改めて感謝を伝えていた。セシルは先程よりも頬を赤く染めて、時折ドレスを見回しながら興奮ぎみにドレスの素晴らしさを伝えていた。
セドリックはその姿を確認し、テラスへと場所を移した。
セシルのドレス姿は目論み通り容姿にピッタリで、まるでオーダーしたかのようだった。ただマネキンに着させて披露するより、宣伝としてはとても効果的だ。だが、違和感が拭えない。
「エリィと何が違う?」
口許を手で覆いながら、呟いた。着させたドレスは髪色や容姿だけみるとセシルの方が相性が良いはずなのに、エリィはもっと似合っていたように感じたのだ。
「はぁ…………先日から僕はエリィの事ばかりだな」
セドリックはテラスの手すりに背中を預け、ため息を漏らした。気を抜けばずっとエリィの事を考えてしまうのだ。きちんとご飯は食べているだろうか。本しか与えなかったが刺繍の課題に苦戦していないだろうか。使用人に苛められていないだろうか。
あの可愛らしい笑顔が陰ることが起きていないか心配で、あの笑顔を早く見たくて仕方ない。初めの頃と比べれば随分と自然に笑うようになったエリィを失いたくなくて、大切に囲いたいほど守りたいと思っている。
『僕だけの愛しい妖精』
奴隷という所有物に対するこの執着心は明らかに重症である自覚はあった。いつも一生懸命で、居心地がよくて、想像を越えていく行動力で驚かせてくれるエリィ。
思わずからかいたくなり、出発前にキスしてしまったことには自分でも驚いてしまった。体が無意識に動き、沸き上がる愛しさを誤魔化すので精一杯になってしまった。
「困ったなぁ」
エリィがこんなにもセドリックに尽くしてくれるのは、彼女が仕事に真面目な奴隷であり、自分が主という関係だからだ。
主従関係でなくなった場合、エリィが変わらず側にいてくれる自信が一切ない。触れたくて触れれば嫌な顔をされ、苦言をもらうのだ。キスしたことだって怒っていそうだ。
――――ちっ、僕はエリィに何を望んでいるんだ。望めばいつも彼女は叶えてくれるというのに何を焦っている。きっと帰ればエリィから甘えてくれるはずなのに…………それで十分なはずなのに仕事以上を求めるなんて。飲み過ぎたな
水をもらいに行こうと、下げていた視線をあげるとバルコニーの前でこちらを見ている令嬢がいた。
「…………セシル……ダルトン嬢?」
「はい!はじめまして、ダルトン男爵家の娘、セシルです。セドリック・カーター様とお話ししたくて来ちゃいました」
そこにはティターニアのドレスを着たセシルが、大きなアメジストの瞳を輝かせて立っていた。