26 歩み寄り(2)
「あなたの認識をまた改めなければならないわ」
別な日、メイド一同で食事をとっていると、ミモザがため息をつきながらエリィにそう言った。周囲のメイドも頷きながら、食事を進めている。当のエリィは心当たりがなく、首を傾けた。
「どういうことでしょうか?」
「仕事中毒者なの?仕事が欲しい上に、教育は厳しめにと願い、その通りにしたら喜ぶだなんて…………きちんと数日衰えることなく…………その、変わっているわ」
「奴隷は働いてなんぼかと思うのですが」
「それは雇い主の考え方よ。楽も出来るというのに、自ら忙しくしようとする奴隷なんて初めて聞いたわ」
ミモザは困ったように再びため息をついた。
勤勉で、要領がよく、サボらない。数は少ないが、ミモザが今まで見てきた奴隷の概念がエリィには全く通じないのだ。
「本当に悪いことをしたわ。今回だけではなく、エリィが来た日…………気付いていたでしょう?」
「はい。あれは嫉妬、と考えてもよろしいのでしょうか?」
「えぇ、皆あなたを見た瞬間に分かったわ。この子はセドリック様の側で、ティターニアの仕事に関わるのだと…………私たちが渇望したアトリエの立ち入りを簡単に許されてしまう存在だと…………っ」
ミモザが手にしているカトラリーは強く握られ、彼女は苦しげに眉を寄せた。苦渋の表情は本物で、後悔の色が濃い。
―――――もしかして、この方々も仕事中毒者なのでは?
エリィは視線の違和感の正体を確認するべく、質問した。
「恋愛的な嫉妬ではなかったのですね?」
「もちろん。セドリック様に憧れているわ。とてつもなく憧れているわ!でもそれはデザイナーとしてよ。そばで見たのでしょう?魔法付与はもちろんスゴいわよ?でもね、真髄は繊細なアレンジ、遊び心のある生地選び、着れば妖精になった気分が味わえる可憐なデザイン!大人の女性が着ても違和感を与えない上品さも兼ね揃え、まさに『妖精女王』の服なのよ!この素晴らしさをどう表現したら良いのかしらっ」
エリィはミモザの気迫に押され、食事の手が止まる。先ほどの苦渋の表情はどこへやら。瞳はギラギラと輝き、頬は興奮で赤く染まっている。
『ミモザはセドリック様の信者だ』
エリィは料理人の言葉を思い出す。しかもミモザは熱狂的と言える部類で、恋心という可愛い言葉は全く無縁の告白だ。
「だからずっとティターニアの仕事に関わることが夢だったの。懸命に勉強して、街にある縫製工場への就職を目指したわ。でも落ちてしまって。それでも諦められなくて、メイドでいいから側で見たくてここまで来たの。そして静かに廊下からアトリエの服をみるだけで幸せだった…………いつか自分もシンディ様のようにと思っていたけれど…………事件がね」
エリィは静かに頷いた。メイドによる集団夜這いの事件だ。あれからセドリックは残りのメイドからも距離を置くようになった。
「勘違いされているのは知っているわ。それでもまだ希望は捨ててなかったの。真面目に働けばいつか――――と。そんな時、貴女が現れた。セドリック様が以前語ってくださった理想の容姿を持ったエリィが…………あぁ、この子は努力もせず、偶然容姿が良いだけで聖域に入れるのかと分かった瞬間、嫉妬してしまったのよ」
「それで皆様、厳しい視線を…………」
「えぇ。でも貴女は誰よりも厳しい環境で生き抜き、今も努力している、尊敬すべき人間だわ。あなたのことを何も知らないくせに、ごめんなさい」
「――――あ、はい」
尊敬すると生まれて初めて言われ、恥ずかしさでエリィの返事は僅かに遅れた。いや、その言葉自体は初めてではないが心に響いたのは初めてだった。お世辞ではない、きちんと心が入っている言葉だからだ。恥ずかしさを隠すように気になることをミモザに聞く。
「悪戯などせず、私を懐柔してご主人様に繋いでもらおうとは考えなかったのですか?今も頼もうと思ったりは…………」
「少しは思ったわ。だけどセドリック様の私たちに対する信用は悲しくも低い。下心があってエリィを利用していると怪しまれるだけだと思うわ。ローラは色々と分かってなかったけれども…………それにここまで頑張ったのだもの、改めて地道に続けるだけよ、ね?みんな」
ミモザはキッパリと言った。それに賛同するように他のメイドも頷き、瞳は希望を失ってはいなかった。ローラだけは反省し、しょぼんと肩を落としていた。
食事が終わるとエリィは刺繍の課題の時間だ。今日はメイドの様子を見ようとテラスで行っている。近くには同じようにローラが刺繍の練習に励み、ミモザは最新のファッション雑誌を熱心に読んでいる。主も客人も不在のため、空いている時間があればメイドたちはファッションの勉強にあてていた。
セドリックの手伝いを諦めていない、という彼女たちの言葉は本物だった。
ミモザは時々ローラの手元を見て、アドバイスをしている。ローラは刺繍が苦手なのか何度もミモザに聞くが、ミモザは面倒くさがる様子もなく丁寧に寄り添っていた。
――――なるほどね、だからメイドたちは皆ミモザ様を慕うのだわ。そしてそれが嬉しくてミモザ様も皆を見捨てられない。ここにいる方たちは仮面を被れないほどに正直な人のようね
上流階級の使用人が必要時に仮面を被れない、感情を隠せないのは致命的な欠点だ。エリィが屋敷に来た当日に嫉妬心を隠せなかったせいで、セドリックはメイドを警戒しエリィから遠ざけた。そしてエリィもメイドには近づこうとはしなかった。
――――勿体ないわね
会話をするようになって数日だけ。全てを知ったわけではないし、信用したわけではない。けれど悪人ではないと直感は告げている。きちんとオンとオフの切り替えさえできれば、セドリックの忠実な部下だ。
それに令嬢たちのグループとメイドたちとの違いがなんとなく見えてきた。
――――もう少しルルリーア様に正直になっていれば、私は罪を擦り付けられることなくエリアルのままでいられたのかしら?私が苛めに加担しないのは恋心がないからだと。その上で傍観せずに、影で嫌がらせなどせずにきちんとした手順で訴えようと提案していたのなら…………違うわ。馬鹿ね、私
そこまで考えて、打ち消した。もう故郷は過去の事で関係のない話だと思い出したのだ。しかし過去の国と言えど、今はセドリックがその国にいる。
――――ご主人様は無事にお過ごしかしら。とても麗しいから、積極的な令嬢にもてるでしょうし、お困りでないと良いのだけれど…………例えば
チラリと無邪気な男爵令嬢セシルの笑顔を思い出す。感情を隠すことを一切せずに、高位令息を虜にした、無知な女の子。あの当時は目をそらし何も感じなかったがあの笑顔に底知れぬ恐ろしさを覚え、エリィは身を震わせた。
「――――っ」
すると指に痛みを感じた。人差し指を見れば深く針が刺さったせいで、血がプツリと出てしまっている。刺繍の針で指を指すなど子供のとき以来だ。ぼーっと見ていると、人差し指がハンカチで包まれる。
「いけないわ。止まるまでハンカチで押さえていなさい」
「ミモザ様、申し訳ありません」
「いいのよ。やはり急に仕事を増やして疲れているのよ。少し休んだら良いわ」
「……はい」
素直に刺繍のキャンバスを置き、ハンカチと共に指をぎゅっと握る。
余計なことを考えないように、仕事を増やしたはずなのに上手くいかない。初めはうまくいっていたはずだというのに、やはり元通り。故郷の事が関わっているせいか、セドリックの事を思い出すと不安でならない。
――――どうしたらいいか分からないわ。いつもなら簡単に切り替えられるのに…………切り替えたはずなのに、どうしてこんなにもご主人様のことばかり
自分のことなのに原因が分からず、心が重たくなる。ふと窓から空を見上げれば、エリィの心を表したかのような薄暗い雲が太陽を隠していた。
無性にセドリックの瞳と同じ水色の空が見たくてたまらなくなった。