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奴隷堕ちした追放令嬢のお仕事 作者:長月 おと

本編

22/47

22 お見送り

 最終縫製が終わり、服作りは最終行程の魔法付与の段階に入っていた。


「さぁ、やりますか」

「はい。まずはこちらです」


 エリィは縫製の終わった礼服を裏返し、トルソーに着させたものをセドリックの前に運んだ。足元にはセドリックとトルソーを囲むように水晶が円形に並べられ、礼服の背中の裏地には模様が浮かんでいる。



 魔法付与はまず服に刺繍で指定の魔法陣を施す。模様は魔法陣だ。そこに魔力を流し、服に魔法を定着させることで完成する。魔力は魔石や宝石、金属類には流れやすく魔法付与しやすいが、布は非常に相性が悪い。魔力操作の正確性とセンスが重要となり、難しい技術となっている。


 セドリックの他にも服に魔力付与を行う職人はもちろんいる。しかし布面積が大きくなると魔力を行き渡らせるのが難しく、一部分であったり、ムラができてしまうことも多々ある。


 布面積の広いドレスにもムラなく魔力を行き渡らせ、難しいといわれる種類の魔法を施せるセドリックは一流と言えた。前に鎧と例えられたのは比喩ではなく、組み合わせによってはまさしく命や身を守るための鎧となる。



 セドリックが魔力を込め始めると彼の手から光が漏れだし、礼服が光の粒子に包まれる。一度に複数の魔法を施すので、様々な色が舞い神秘的な光景ができあがっていた。



――――いつ見ても美しいわ



 エリィはそれを少し離れたところで、うっとりと眺めていた。何度見ても飽きがこないその光景は、まるで別な世界に引き込まれた気分へとなる。


 魔法とは無縁の国で育って来たため、この光景を見るたびに故郷を遠くに感じることができる。普通は故郷を恋しく思うものだろうが、今のエリィには少し怖い。



 高圧的で独占欲が強い元婚約者や、権力や派閥だけで繋がった友人ごっこ。家族は好きだったが、汚名を被り迷惑をかけるような娘のことは嫌いになっていそうだ。

 エリアルの立ち位置を考えれば仕方のないことで。苦しさを感じても何も動かなかった自分が不甲斐ないだけで。それが令嬢エリアルで――――



 エリィにとって、そんなエリアルを思い出す故郷は、弱い彼女に戻りそうで少し怖い。

 だからこそ魔法付与の光景に夢中になってしまう。



 光の粒子は次第に礼服に吸い込まれるように減っていく。礼服が魔力に馴染み、定着し始めた証拠だ。セドリックの額には汗が浮かび、奥歯を噛み締めるように力が入っている。魔法の得意な彼でも今回の魔法付与は難しいようだ。



――――頑張って下さい!



 エリィも思わず握る手に力が入る。

 そして光の粒子がすべて消えると、礼服がパァッと最後に強く光を放った。それは一瞬の出来事で、光はすぐに収まり魔法付与前と変わらぬ礼服だけが残った。



「出来たかな?」

「お疲れ様です!」



 エリィはすぐさま汗を拭くためのハンカチを手渡そうとセドリックの側に駆け寄る。しかしセドリックは受け取ろうとせず、顔を寄せた。



「拭いてくれる?」

「…………最近、甘えすぎではございませんか?」



 そう小言を言いながらも、前髪を横に撫でてハンカチを額に当てる。拭き終わるとセドリックは両手をあげて背筋を伸ばしながら、微笑んだ。



「仕事だよ。エリィの仕事を増やしてあげているんじゃないか」

「なるほど。そういうことなら、いくらでも拭きましょう」

「…………仕事なら受け入れてくれるの?」

「奴隷ですから」



 するとセドリックは一瞬だけ寂しそうな表情を浮かべ、すぐに明るい笑顔へと変えた。

 エリィはハンカチを見つめながら「仕事ならしっかり完璧に拭かないと」と呟いており、彼の表情の変化には気付かない。


「じゃあ、もっと甘えようかな」

「はい!望むところです」

「そしてエリィも僕にもっと甘えてよ。ツンツンしたつれない猫も良いけど、なついた甘える猫も味わいたい」

「甘える猫ですか…………」



 エリィは悩ましげに頬に手を当てた。ここに来てから基本はツンデレ猫を意識していたので、甘える猫の姿のイメージがわかない。というよりも誰かに甘える経験が極端に乏しい彼女は、甘える方法自体がよくわからなかった。



「ご主人様、申し訳ございません。私には甘えるという経験が絶対的に不足しており、すぐに叶えることが難しいと思われます。ご主人様が帰国するときまでに勉強しておきます」



 そう宣言するとセドリックはおろか、アトリエで他の仕事をしていたシンディとブルーノもエリィに哀れみの眼差しを向けた。 エリィは過去の素性を隠しているため、なんとも気まずい。生まれが生まれなので、仕方ないことなのだ。

 スラム生活と比べたら、甘えた生活ともいえるので、哀れんでもらうほどの境遇でもない。



「えっと、自分では可哀想とは思っておりません。そんな顔をなさらないで下さい」

「悪かった。では素直に甘える猫を期待しているよ」

「はい!善処いたします」

「ははは、かたいなぁ。先は長そうだ」



 セドリックはふっと笑いながらもう一度背筋を伸ばし、水晶の枠の中へと戻っていく。エリィは急いで、次の礼服を着させたトルソーを運んだ。

 そして魔法付与が終わった礼服をトルソーから脱がし、魔法陣を描いていた糸を丁寧にハサミで切って外していく。



――――我慢よ。我慢…………!



 二着目の魔法付与の光景も眺めていたいが、早く礼服を仕上げるのが優先だ。明日にはミハエルが最終試着に来る。最終的にはギリギリの納期になっていた。きっとこれからも魔法付与の作業を見る機会はたくさんあるとエリィは自分に言い聞かせ、糸切り作業を進めていった。

 そうしてこの日、全ての礼服が無事に仕上がった。



 ※



 四日後、セドリックたちの出発の日を迎えた。屋敷の前にはラグドール王国の印章が施された豪華な馬車が停まっている。

 使用人も全員外でお見送りの体制で、エリィは距離を開けてその最前列に立つ。セドリックと付き人のブルーノとシンディは皆の前を通り、エリィの前で足を止めた。



「エリィさん、留守の間の三階の管理を頼みましたよ」

「はい、ブルーノ様。お任せください。帰国後は皆様にすぐにお休みいただけるように整えておきます」


 国外出張からの帰還までには早くても三週間はかかる。メイドが立ち入らない三階を放置すれば、帰国後はホコリまみれだ。先日ブルーノの手伝いが評価され、エリィは一部エリアの掃除を任された。



「エリィさん、こちらの鍵は肌身離さずお持ちくださいね」

「シンディ様、かしこまりました」



 そしてセドリックたちの部屋やアトリエといった大切な部屋の鍵をシンディから受け取った。メイドとは声は聞こえない距離にいるはずなのに、背中に視線が刺さる。


 最後にセドリックがエリィの正面に立ち、エリィの髪をさらりと撫でた。



――――こら、メイドたちの前で触らないで



 さすがにセドリックたちが留守の間に嫉妬で刺されるのは避けたい。ムスッと上目で睨むが、彼の表情の瞳は不安で揺れている。



「どうしましたか?」

「連れていけなくてごめんね。こんなにも長い間、君をひとりにさせてしまうのが心配で仕方ない」

「いえ!私は安全なここで留守番しているのがちょうど良いです。どんな粗相をするか分かりませんから」



 ユースリア王国は奴隷廃止国。ラグドール王国のルールを持ち込んで、奴隷を連れることは避けるべきだ。ユースリア王国とは関わりたくないエリィにとっては、置いていってくれて大歓迎だ。しっかり見送ろうと笑顔で答える。

 それでもセドリックの表情は晴れず、手はエリィの頭の上のままだ。


「甘える猫になるんだろう?初めての長期のお留守番なんだ…………ここは主と同じように寂しがるものだと思うのだけれど」

「なるほど」



 言われてみれば、そんな気持ちがしてくる。しばらく目覚めの挨拶を言う相手も、一緒にお茶をする相手もいないのだ。まず会話が消える。何より仕事が激減…………急にエリィは本気で寂しくなってきた。



「ご主人様…………待っていますから。ここで待っていますから」


 自然と眉は不安げに下がり、エリィは引き留めるようにセドリックのジャケットの端を掴んでしまう。

 すると頭に乗せられていた手がエリィの後頭部に滑らされ、引き寄せられた。すぐに頭のてっぺんに何かが当たったような感覚があり、彼女が見上げるとセドリックの整った顔が間近にあった。


「――――あ、うん、行くか」

「…………?はい。いってらっしゃいませ」



 寂しがって欲しいと言っていたはずなのに、セドリックは急に馬車へと爪先を向けた。

 何が起きたか分からないエリィはブルーノとシンディに視線を向けるが、二人とも目を見開き固まっている。



「あ…………あの」

「馬車を待たせているので、行ってきます」

「留守番、頼みましたよ」

「はい…………」



 そして答えを聞く前に、早々と二人とも馬車へと乗り込んでしまった。馬車はすぐに出発し、エリィはその場に残された。


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