20 妖精のご奉仕(2)
エリィはあえて入室に気付いてもらうために、勢い良く扉を開けた。
「ん………?」
セドリックに入室は気付いてもらえたが、顔は下を向いたままで仕事の手は止まらない。
「お茶を淹れようかと思いまして」
「そうか」
それ以上会話が続かない。いつもはウザイほどエリィを構うのに、全くその素振りがない。傲慢なのかもしれないが、それが何だか面白くなかった。
――――私は飼い猫よ。今日はひと味違う猫なんだから
エリィはセドリックをじっと見つめ、集中力が切れ、手が止まる瞬間を狙い再び声をかける。
「初めて私がお茶を淹れると申しておりますのに、無視はショックです!」
「――――っ」
怒りを込めて言うと、彼は体をビクッと揺らし、目を見開いて顔をあげた。
「あ…………エリィ」
今初めて入室に気づいたと言わんばかりの反応だ。
そして久々に正面から見るセドリックの目の下の隈の濃さにエリィは驚く。目の下だけではない。たった数日しか経っていないのに顔全体が長年の疲れが溜まったようなやつれ方をしていた。
――――朝の顔とは全然違う。夜になるとこんなにも酷くなっていただなんて
シンディとブルーノが心配するのも当然で、これまでの数日間気付かなかったことが恥ずかしい。ぐっとエリィの眉間には皺がよる。
「エリィ、ごめん。そんな顔しないでくれ」
不甲斐なさを噛みしめているとセドリックが立ち上がり、さらりとエリィの頬に指を滑らせる。彼は本当に申し訳なさそうな表情で、疲れが悲壮感を増させていた。
エリィは久々にセドリックの温もりを頬で感じながら、彼の顔へと手を伸ばした。両手でそっと包み込み、親指で濃くなってしまった隈を撫でた。
「整った顔が台無しですね」
「――――っ」
するとセドリックがパッと顔を逸らした。耳はほんのり赤く染まり、照れているのが分かる。女性慣れした二十代後半の男がする反応ではない。
「今も私には気安く触れていますのに、私から触れると拒否されるだなんて悲しいです。やはり奴隷の卑しい手には触れられたくありませんか」
「い、いや!すまない。反射で…………悪気はないんだ。エリィの手はいつも綺麗だ。僕はどうすればいい?」
本当は照れているのだと分かっているが無視して、ギロリとにらむ。彼はあからさまに狼狽え、避けたエリィの手を握り言い訳をはじめた。
冷静に考えれば、主が奴隷のご機嫌をとろうとした上に謝るなど可笑しな話だ。
――――これは相当お疲れで冷静な判断が出来ていない証拠ね。こんな弱々しい姿になるなんて…………でも好都合だわ
エリィは不機嫌な表情を引っ込め、次はあえて微笑む。慈悲に満ちた、女神を意識した、わざとらしい美しい微笑みだ。
それが伝わったのだろう。セドリックは警戒して口許をひきつらせた。
「では私の手で淹れたお茶をまずは飲んでください。綺麗というなら飲めますよね?」
「そういうことなら」
セドリックは無理難題でないことに安堵し、休憩用のエリアに腰をおろした。まずは刺繍から離せたことにエリィも安堵し、お茶を淹れていく。とーってもリラックスができるとシンディおすすめのハーブティだ。ほんのり黄色く色づき、ハーブティ独特の香りが広がる。
セドリックは口をつけて、ほぅと息を吐いた。しばらく水分も取っていなかったようで、体に染みわたっているようだ。
「美味しいな。初めてとは思えない」
「ラッキーでしたね。今度は不味いかもしれませんから」
「はは、不味いとはどんな味か飲んでみたい気もするな」
「淹れてみましょうか?」
一杯目が無くなったところで新しく淹れ直さずに、ポットに残っていた出涸らしをティーカップに注ぐ。色は濃いオレンジになっており、香りは干し草の臭いだ。
「これは…………酷い。薬のようだ」
「残しても良いのですよ?」
しかしセドリックが渋い顔をしながらも、少しずつ飲み進めていく。
「エリィのご機嫌のためならば飲むよ。良薬は口に苦しとも言うし、良い成分が濃縮されたと思えば良い」
「…………」
エリィは痛々しい物を見る目でセドリックを見つめた。本当に美味しくないようで、最後は残り半分を一気に飲み干した。
――――これは深刻だわ。少しプランを変えて、強気で立ち向かわなければならないわね…………あの手をここで使うとは
エリィは影で拳を作り、気合いをいれた。
「セドリック様、本日はもうお休みになりましょう」
「しかし」
「しかし…………ですか?」
くわっと目を見開き、非難の意思を伝える。エリィは少し怯えるセドリックの手を引っ張り、試着室の姿見の前に立たせた。
「ご自身のお顔をご覧くださいませ。これが良い仕事ができる職人のお顔でしょうか?」
「…………これは」
セドリックは唖然としながら自分の頬や顎に触れた。自分でも想像以上の疲労の濃さに驚き、自覚した瞬間だった。
「とにかく、横になりましょう」
「あ…………あぁ、そうだな」
エリィはセドリックの気持ちが変わらぬうちに、そのまま手を引き彼の私室へと連れていく。
そして部屋につけば、セドリックの足は自然とソファへと向かおうとする。仮眠で済まそうとする彼を許さず、エリィはベッドの前へと引っ張った。
「さぁ横になるならこちらですよ。それとも私の機嫌を直す気はもうありませんか?」
「…………分かった。そうだな、しっかり寝た方が良いな」
セドリックは半ば諦めたように納得し、ベッドの上にコロンと転がった。そして彼を追いかけるように、エリィもベッドの上にのった。
「エリィ?」
もじもじと恥じらうように近づき、セドリックの側でちょこんと座った。
「かなり溜まっておられるでしょう?私がご奉仕いたします」
「――――っ!?」
「全て私に委ねてください。私の手で必ずや解放感と満足感をお授けいたします」
エリィはセドリックのシャツのボタンを上から外す。すると彼は瞳をパチクリとさせ、体を強ばらせた。
エリィとて本当はこんなことをするつもりはなかった。しかし全てはお仕えする主のため。奴隷として譲れない戦いがあるのだ。
「エリィ、何を言ってるいんだい?」
「まずはうつ伏せになって下さい」
「…………まずはうつ伏せ?」
「そうしないと私の技が使えないのです」
説明するが彼はなかなか体勢を変えようとしない。どうしてか耳が赤く染まっている。
「技とは…………エリィは初めてではないのか?」
「はい。他の人でも効果はテキメンでしたので、私を信じてください」
「そんな……エリィが…………」
何故かセドリックはショックを受けたような表情を浮かべた。
一方のエリィはなかなか言うことを聞かない彼に苛立ち始める。
――――私からこんなこと願い出るのは恥ずかしいのに。早く始めさせてよ。そうすれば恥ずかしさも忘れられるのに
煮え切らないセドリックにエリィは待ちきれなくなった。ボタンを三つ外したところで、混乱に陥っているのに乗じ彼の肩を掴みひっくり返し返す。
戸惑っている割には簡単に転がり、うつ伏せになった。そして、エリィはするりとシャツの滑りを利用して背中に手を這わせた。
「とにかく、これが私のご主人様への忠義の示しかたなのです」
「エ、エリィ…………!僕は…………!ぁあっ」
エリィの指が肩甲骨付近のツボに突き刺さった瞬間、セドリックの口からあられもない声が漏れた。
「――――っ、うっ、あぁ…………そんな…………っ」
「やはり溜まっておられますね」
同じ姿勢で長時間座っていたせいでコリが酷く、簡単にはほぐれそうもない。エリィは容赦なく、親指で何度も押していく。セドリックから声を噛み殺すような息が漏れるが、スルーだ。
――――これはなかなか手強いわね。俄然、腕がなるわ。コリとの戦いに私は勝つのよ!
ツボ押しが効いている証拠と判断して、マッサージをどんどん進める。指だけではなく、手のひら、拳を使い分けひたすら肩から背中、腰を攻める。
元婚約者のフィルに嫁ぐにあたって、マッサージの特訓があったのだ。マレット伯爵家は騎士を多く排出している家系だ。嫁はフィルの母から将来の夫の健康のためにマッサージを習得させられる。
――――あの男のために学んだ技術を持ち出すなんて嫌だったけど、仕方ないわ。プライドは捨て慣れている。奴隷なのに厚待遇の仕事場なんですもの、恩は返すわ
次第にセドリックの妙な声は収まり、それに比例して筋肉がほぐれてきた。指圧から揉みほぐしや叩きへと変えて、気持ちよさを重点においていく。
「エリィの技とは、マッサージの事だったんだな」
はぁと気持ち良さそうなため息を漏らしながら、セドリックがチラリとエリィを見た。目はとろんとしており、よく効いているようだ。
「えぇ、始めに申し上げたではありませんか。ご奉仕すると」
「…………うん、そうだね。でもエリィは時々紛らわしいよ。うつ伏せで良かった」
「…………?うつ伏せでないとできませんよね?」
「そうだね…………はぁ」
気持ちいいはずなのに、疲れたようなため息をつかれてしまった。エリィはそれをまだマッサージが物足りないせいだと判断して、手を休めることなく優しく揉み続ける。
「こうやって他の男にもマッサージしてきたのか?」
「いいえ、異性はご主人様が初めてです。いつも相手は女性ばかりで…………だから私からこうやって男性に触れるのは恥ずかしいんですよ?」
「ふっ、それは良かった」
エリィには何が良かったか分からないが、先程とは違い嬉しそうにセドリックは微笑んでいる。
「なんだか、エリィと一緒にいるのは久しぶりだ」
「そうですね。近くにいたのに、会話はありませんでしたからね、ふふふ」
エリィは素直に同意した。今もそんなに会話はしていないが、日常が戻ってきたようで少し楽しい。そして数日感じていた物足りなさを今は感じていない。
「もう少し待っていてくれ。仕事をあげるから…………」
「はい。お待ちしております」
「糸切りの…………しご…………と…………」
「はい、そうですね」
「あと…………は…………」
セドリックの言葉が途切れていき、寝息へと変わっていった。シンディのオリジナルブレンドのハーブティの効果も抜群だ。エリィはそっとベッドから降りて布団を掛ける。
「おやすみなさいませ、ご主人様」
エリィは深々と頭を下げて、部屋から出ていった。