19 妖精のご奉仕(1)
翌日からアトリエは戦場となった。最近はエリィの着替えの時だけ顔をだしていたシンディも本格的にアトリエに参戦だ。ブルーノは足りない生地や糸の買い出しへと出掛けている。
「エリィ、一着分の型紙の複製を頼む。原本と寸分違わず写してくれ。微調整とカットは僕がするから終わったら教えて」
「かしこまりました」
「シンディはミシンの調整と糸の用意をしておいて」
「お任せください」
セドリックの指示を受けて、二人は動く。エリィはテーブルに大きな紙を広げた。その上に過去の型紙を重ねて、ずれないようにテーブルごとピンを刺し、ペンで複製していく。シンディはこれから縫う生地に合わせて、ミシンの縫い目の荒さや押さえの強さを調整し、試し縫いを行っていく。流れて作業ができるように、三台それぞれ異なる準備をする。
一番大きなテーブルではセドリックが先に仕上がった型紙を元に布を裁断していた。ハサミを滑らせ、布を流れるように分断していく。大胆なようで、ずれは一切ない。
礼服はドレスよりもデザインの種類は少なくシンプルで、背中の調節紐も無いためサイズ調節ができない。体型に合わせつつ美しく見せるためにはセンスと技術が求められる。同じ型の礼服でも縫い目のラインの場所で印象が変わってくるのだ。布のカットでズレは許されない。
他にも配慮しなければならないことがある。
今回、ミハエルは表向き結婚式への参加だが、その裏では会談を行うため数日滞在予定だ。昼と夜でも着替えが必要な日もある。同じ服だと印象を持たれないように、生地の種類や色はもちろん刺繍も新たに施さなければならない。特別仕様のため、簡単すぎる刺繍では駄目だ。既存の物に更に刺繍を重ねて華やかさを追加する必要がある。その上魔法付与の加工まで必要。
猫の手も借りたい状態とはこのことで、飼い猫奴隷のエリィも雑務の枠を超えてお手伝い中だ。
丁寧に行えば型紙の複製は簡単な作業で、すぐに終えてしまう。エリィは自主的にセドリックが裁断し終えた生地を回収し、残りの長さを記録して収納していく。
チラリとセドリックの様子を伺えば、彼の眼差しは冷たい。いつもは肩口で緩く結ばれていることが多い髪は、きっちり後ろで束ねられキリッとした雰囲気だ。集中している証拠で、エリィの視線には全く気がつかない。
相変わらず整った容姿で、目が肥えているエリィすら仕事姿は見惚れてしまいそうだ。すぐに頭を振り、邪念を払う。
――――ご主人様がこんなにも頑張っているのだもの。私も集中しなければ
心の中で気合いをいれた数日後…………
「え…………私の仕事は無いのですか?」
エリィは朝食の席でセドリックに
「すまない。今日から僕とシンディは刺繍作業に入る。効率良く一気に終わらせるために他の作業を止めるとなると、エリィにお願いできる作業がなくなってしまうんだ」
布もすべて裁断し終えたので型紙複製も布の在庫チェックも不要。刺繍で糸屑はほとんどでずこまめな掃除の出番はなく、礼服なのでモデルをすることもない。
「私は何をして過ごせば…………」
頭の中で提案できる仕事はないか必死に考える。
エリィも刺繍はできる。腕前は令嬢の中でも当時トップクラスだった。しかし平民は簡単な縫い物はできても、職人でなければ刺繍は嗜まない。
セドリックはエリィがスラム育ちの元花屋という経歴を信じている。ここで刺繍の腕前を披露すると、今まで隠しとおせていた嘘がばれてしまう可能性が高い。
先日普通に過ごそうと決めたばかりなのに、でしゃばることはできない。でも仕事は諦められないのがエリィなのであった。
「では三階のお掃除関連を任せてください!」
「どういうことだ?」
「現在シンディ様がアトリエに加わったことで、三階のお掃除はブルーノ様が事務仕事の片手におひとりで行っております。それをお手伝いしたいのです」
「なるほど」
アトリエ作業が出来なければ、外で探すだけだ。その提案にセドリックは頷き、側にいたブルーノから許可が出る。
「私は厳しいですよ」
「はい!喜んで!」
仕事を貰えるのが嬉しくて元気良く返事をしたのに、まわりは複雑な顔だ。厳しいことが好きなのは変態くらいだ。周囲のエリィの評価がますます変わり者へと変わっていった瞬間だったが、彼女は気付いていない。機嫌が戻り、ニコニコと転がったトマトを頬張っていた。
朝食後からブルーノの指導のもと掃除の特訓が始まった。掃除をする順番から、使う道具や洗剤など教わり、メモしていく。さすがに令嬢時代に屋敷の掃除の経験はなく、細やかな方法に感心しきりだ。
だが元は掃除の出来の良し悪しをチェックする立場だった。埃の溜まりやすい場所はしっかり狙いを定めている。
と、頭でわかっているが実際はなかなか難しかった。窓は水跡が残ってしまうし、糸屑と違い、埃はホウキからふわふわと逃げていってしまう。
「ま…………負けないわよ」
「追いたてるのではなく、静かに忍び寄る感じで捕らえるのです」
「はい!」
埃に対して宣戦布告していると、ブルーノがアドバイスをくれる。アドバイス方法が執事らしくないが、何故かしっくりきてしまう。軍の教官と新米のようなやり取りを繰り返し、どんどん掃除を自分のものにしていった。
三日もすれば、エリィはシャワー室の掃除も教わり、五日目にはセドリックの私室の掃除も手伝わせてもらえるようになった。初日は慣れない動きで筋肉痛にはなったものの、どんどん仕事がもらえてエリィは嬉しくてたまらない。
しかし一週間目の夜、何か物足りなさを感じていた。本日も朝から晩まで働いた。慣れてきたため掃除でもう忙しいということは無いが、内容は充実していたはずなのに――――
エリィは違和感に首を捻りながら、水を飲むために給湯室へ行ったところシンディと鉢合わせた。ちょうど棚から茶葉を選んでいる最中であり、これから休憩をとるようだ。
「シンディ様、お疲れ様です。お手伝いすることありますか?」
シンディの顔には疲労が色濃くでている。指先を見れば、久々の針仕事で赤くなってしまっていた。
「エリィさん、ではセドリック様に休憩を取らせてもらえませんか?なかなか休んで下さらないのです」
「え…………全く休んでおられないのですか?」
シンディは辛そうに頷いた。
エリィはここ数日のセドリックの姿を思い出す。
――――仕事している姿しか見ていないわ
唖然とした。朝起こしにいけば、既に起きていてデザインの確認をしていた。食事はここ数日一緒にとれてない。アトリエで仕事をしている記憶ばかりで、休憩姿も見ていない。というより会話すらほとんど交わしていない状態だ。
「シンディ様、スケジュールの進捗はそれほどまで危ういのでしょうか?」
「いいえ。エリィさんが最初に手伝ってくれたお陰で余裕ができたくらいなのですが……セドリック様は集中するとどうしても止まらないのです」
「休憩を取るようにとシンディ様やブルーノ様から進言はなさったのですか?」
「はい。ですが空返事で…………お茶を用意しても、手をつけず冷めていることも多々。後で休むから、と何度嘘をつかれたか」
シンディのため息が深い。ベテラン侍女が新米奴隷に頼るなど、深刻だ。若い男だからといって、無理をすれば体は持たない。
礼服が出来上がったあとは、ミハエルとともに長期出張。険悪なアビス国を避けるため森を抜けて第三国から入国する。それだけ道のりは長く、体への負担は増える。
――――あんなに異国の服が見られるのを楽しみにしているのに、途中でダウンしたらどうするのよ
エリィは頬に手を当て、むむっと唸るように良い方法はないかと探す。
即答するほどセドリックは異国のファッションに興味津々で、こんなにもやる気を出しているのは楽しみにしている証拠。彼がユースリア王国に行くことは不安ではあるが、楽しんできて欲しい気持ちもある。
「シンディ様、少し強引な手を使っても大丈夫でしょうか?無理に休ますことで不興を買ってしまったりは…………」
不安で確認をしていると、もう一人現れる。
「大丈夫です。むしろエリィさんしか強引な手は使えません。お叱りの場合は私が引き受けますので、是非!」
もう一人の従者ブルーノも給湯室に顔をだし、エリィに迫る。シンディに更に距離を詰められ手を握られれば、エリィも腹を括るしかない。
「では早速いきます!見守っていてください」
そしてティーセットを手にアトリエに突入した。