17 新しい依頼(2)
エリィが我慢している間も二人の話は続く。
「随分と急なお話ですね」
気付けばセドリックは仕事モードになり、敬語で話し出す。
こうなったらエリィの事は頭から抜けているのを彼女は知っている。そして抜けて欲しい針は抜けずに刺さったままだ。
「あぁ急に決まったのだ。だが悪い話ではないぞ?私のスタイリストも兼ねて付いてきてくれれば、相手国のパーティに参加できる。現地で他国のドレスや礼服の観察がいっぱいできるぞ?」
瞬間にセドリックは目を輝かせた。ラグドール国は魔法という特殊な力が使えるが故に、その力を守るために閉鎖的だ。他国との貿易も最低限で細く、他国と政略結婚も何代も結んでいない。
ラグドールの情報が外へいかないと同時に、外から入る情報は少ないか随分遅れてくる。流行や新しいスタイルに常にアンテナを張り巡らせているセドリックの答えは決まっていた。
「お任せくださいませ。そして同行のお誘いお受け致します」
「ありがとう。急ぎ準備を頼むよ」
話が一段落し、セドリックが針を抜いて結び目を作った。このドレスは一旦保留にして、ミハエルの採寸に移るらしい。
「シンディ様、脱ぐのはひとりでできるのでどうかご主人様の方に」
エリィはシンディにそう伝え、ひとりで試着室に入った。刺さらなくて良かったとホッと一息つきながら、ドレスを脱いでいく。試着室の外では打ち合わせが始まっているのが聞こえてくる。
「礼服は一着ではないのでしょう?」
「新品が二、三着あると助かる。前に仕立ててもらった服は念のためサイズ直しをするか、少しリメイクして欲しい」
「わかりました。そういえばどこの国なのですか?季節や気候に合わせて仕立てたいのですが」
「いい忘れていたな。ユースリア王国だよ」
相手国の名が聞こえた瞬間、エリィは動けなくなった。まるで時が凍らされたかのように、手足が冷たくなるのを感じる。
「あぁ、例の国ですか。確か追放された伯爵令嬢のお話をしていた…………」
「そうそう、その例の国」
二人の話が耳に届き、ドレスを持つエリィの手は震える。足はすくみ、今にも崩れてしまいそうな感覚に襲われていた。
セドリックがエリアル・アレンスの噂を知っていることに動揺が隠せない。今のところ自分が疑われている気配はない。それだけが救いだ。
――――大丈夫。いつも通りしていれば私には結び付かないわ。
エリアル・アレンスは繊細で寡黙でお淑やかだった。一方エリィは追放された弾みで、図太く生意気になった自覚がある。
エリィは懸命に止まりそうな呼吸を整え、微笑みを張り付けた。久々の作り笑顔は不安であったが、鏡を見ればそこには完璧な微笑みがあった。
――――まだ体が覚えているのね。ひとりで試着室に入っていて良かったわ
そうでなければシンディに動揺する姿を見られていただろう。それだけでエリィとエリアル・アレンスがイコールになるとは思えないが、過保護なセドリックが心配するのは見えている。動揺の理由を問い詰められれば隠し通せるほど、今は余裕がない。
「何日ほど滞在する予定でしょうか?他の礼服と被らないようにも考えたいのですが」
「一週間はいるだろうな。ティターニアの服をできるだけ持っていきたい」
「全部ティターニアにする気ですか?他の仕立て屋からの反感が怖いですね」
「全部ではない。主要な時だけだ」
伯爵令嬢の話は先ほどの一言で終わっていることに安堵し、一度だけ深呼吸をして微笑みを張り付けたまま試着室をでる。振り向いたセドリックと視線が合い、僅かにドキリとするがおくびにも出さない。
「ご主人様、トルソーに着させたら私は部屋に戻りますね。国に関わるお話には私のような奴隷が聞いてはいけない内容もあるでしょうから」
「そうか、ありがとう」
「ミハエル様、お先に失礼いたします」
「あぁ、お疲れ様」
ミハエルに挨拶も済ませ、手早くエンパイアドレスをトルソーに着させていく。指先は動くが、まだ手先は冷たいままだ。
終わらせるとエリィは扉で一礼し、部屋へと真っ直ぐ向かった。部屋に入ると扉を背にしてしゃがみこんだ。
ショックだった。
母国の名前を聞いただけで、こんなにも動揺してしまう自分に呆れた。
追放されて、エリアル・アレンスを捨てて、エリィとして生き延びてきた。仕事をしながら時々令嬢時代に学んだことを思い出し、開き直って役立ててきたこともある。国自体はもう関わることのない、過去の存在であると割りきってきた。だというのに激しく動揺してしまった。
「大丈夫よ…………」
セドリックが母国へと行き、エリアルの姿絵をみる機会はないだろう。わざわざパーティで母国のスキャンダルを会話に出すとは思えないし、ユースリア王国としても隠したい案件のはず。
何度も深呼吸をすることで脳に新鮮な空気が巡り、冷静になっていく。どうしてユースリア王国の名にこんなにも動揺したのかエリィには分からない。
「情けないわね」
無意識に苦笑が漏れる。
バレたとして放逐されれば、再スタートをきればいいだけではないかと考えを改め直す。
フィルとの婚約で、貧しいけど穏やかな令嬢時代は終わった。エリィは自分の意見を持つのを止めた。
セシルの出現で冤罪を押し付けられ、その令嬢時代も終わった。令嬢としてのプライドを捨てた。
スラムで何とか飢えをしのぐ生活も、大切にしていた髪を売ったことで終わった。唯一の思い出を捨てた。
やっと手にいれた平民の生活は誘拐によってあっけなく終わった。平民に戻りたいという希望は捨てた。
自分の希望はいつだって叶わない。
だから何か終わる度に、「仕方ないわ」と切り替えて再スタートをきっていた。それなりに何とかなった。少しだけ自分の欲を我慢すれば、乗り越えられることを知っている。
――――今の生活に変な欲と執着が生まれかけてしまっているわ。どうしてかしら…………駄目ね。奴隷はご主人様の希望を叶えていれば良いだけなのよ。本来は自分から何かを望んではいけない身分よ
頭を振りながら、欲も振り払う。仕事とケーキは別で…………と後で付け加えておく。あれは主であるセドリックから求めてきた話だ。
「もう、おしまい!」
動揺したって、焦ったとしてもエリィに出来ることはなにもない。ならばいつもどおり奴隷として、飼い猫として、アシスタントとして努めるだけだと思うようにする。
「ミハエル様の礼服を作る時間は限られているわ。忙しくなるわよ」
まだ残る胸騒ぎを無視して 、エリィは拳を突き上げ 気合いを入れ直した。