16 新しい依頼(1)
仕事をもらってから、エリィは充実した奴隷ライフを送っていた。
糸処理、床掃除はもちろん、今では布の在庫のリスト作成、ドレスの収納も任せて貰えるようになった。
――――良いわ!忙しいって良いわ!
エリィは仕事が増えた嬉しさで、浮き足たちそうなのを堪えてドレスを大きなトランクに納めていく。
ドレスは縫い目やドレープにあわせて丁寧に畳んでいく。また生地の素材によって皺ができやすく、畳み方が変わる。畳んではいけない素材ももちろんあり、それらはハンガーで吊るしてカバーをかける。装飾部分には紙を挟み、絡まないようにするのもポイントだ。
特にティターニアのドレスは繊細で、収納するというだけでも細かい配慮が必要となる。
エリアル・アレンス時代にドレスについて学んでいて良かったとエリィはつくづく実感した。セドリックからは仕事を覚える早さに驚かれたが、謙遜して誤魔化した。
セドリックは良いご主人様だとわかっているが、エリィが元令嬢とは知られてはいけない。ティターニアは清廉さを売りにしているし、セドリックも人間に潔癖なところがある。仕事の失敗は許されても、犯罪歴が明かされれば解雇は必至だ。
「エリィ、ちょっと試着頼める?」
エリィがドレスを畳み終わったタイミングで声をかけられる。セドリックが作りかけのグリーンのドレスを丁寧に広げていた。
首からデコルテにかけて白のレースがあしらわれ、胸元からグリーンのジョーゼット生地に切り替わりコントラストが強い。胸の下で切り替えのあるエンパイアラインのドレスは大人っぽいデザインだ。
「はい!脱いできまーす」
「もっと恥じらいなさい。順応性が高いのも問題だな」
エリィはセドリックの言葉を聞かない素振りをしてドレスを受け取り、すぐに試着室へ入る。試着室の鏡に映るエリィの表情は緩みきっていた。
――――初めての大人っぽいドレス!
今まで着たことのない種類のドレスに心が踊り、そんな幼稚なところを隠したくて故意に悪ふざけのような言葉を使っていた。
貴族時代に着ていたドレスはどれも可愛らしいものばかりだった。まだ成人前は子供であったし、納得していた。デビュタントを済ませ大人の仲間入りをすれば一着くらいは大人っぽいドレスを…………と夢見ていた。
しかしフィルがそれを許さなかった。男爵令嬢セシルが現れるまで、夜会に出るときは必ずフィルが贈ったドレスを指定され、どれも可愛らしいデザインだった。ちなみにエリアルの好みや要望は聞かれたことがないし、さりげなくリクエストしてみたが無視された過去がある。
ただ貧乏なアレンス家にとってドレスがタダで手に入ることはラッキーな事で、断ることもできず従うだけだった。
でも本音の乙女心は違うのだ。やはり大人というものに憧れてしまうのだ!
淡いピンクではなく、赤い口紅が似合うようになりたいだとか。髪型はダウンスタイルではなく、アップにまとめてみたいだとか。母親が綺麗な人だったため、同じ髪色をもつエリィの憧れは強かったのだ。
しかし現実は甘くはなかった。
「似合わないな」
「――――くっ」
シンディに着させてもらい試着室から出て開口一番、容赦ないセドリックの言葉が突き刺さる。鏡を見た時点で薄々は気付いていた。華奢な体のため、シルエットが色っぽく浮かんでこない。
「申し訳ありません。私では着こなせないようです」
「そう落ち込まないでくれ」
制作者のセドリックの優しい慰めが更に傷口をえぐる。そして彼はそのままドレスを確認し始めた。
「少しデザインを変えないと駄目だな」
「そんな。こんなにも素敵なドレスなのに」
ドレスは一切悪くない。渡されたときのときめきは本物であったし、自分の体型の不甲斐なさでデザインが変わってしまうのは勿体ない。
「良いかい?これはティターニアの新作展示会ドレスだ。ティターニアだと知らしめるドレスでなくてはいけない。妖精の服というのがコンセプトなのに、
そうしてセドリックはシンディからレースやチュール生地を受けとり、ドレスを着たままのエリィの体に当てながら確認していく。
セドリックは先ほどエリィに恥じらいを持てと注意したが、彼こそエリィに遠慮が無くなってきている。
はじめの頃は一度脱いで、トルソーに着させ直してからしていた作業だ。しかし「エリィが着ていたままのほうが、イメージしやすい」と言われ、エリィは本当に人形化していた。
「やはり腰はリボンを巻くか、布を絞った方が良いだろうか」
「――――っ」
独り言を呟くセドリックの手がエリィのお腹を通り、腰で止まる。デザインの思考の深みに入った彼の水色の瞳は澄み渡り、ギラつくように真剣で、冷たい。だというのに触れられたところが熱をもつ。
心の奥で警鐘が聞こえた。
――――考えてはいけないわ。だからトルソー業務は苦手なのよね
彼の邪魔をしたくなくて、怖くて、逃げるように心を無にした。
するとふと空気が変わるのを感じた。いち早く気付いたシンディが動く。
「お出迎えできずに大変失礼いたしました」
「いや、どうせセドリックが仕事に没頭しすぎて付き合っていたのだろう?」
笑顔のミハエルがアトリエの扉の前で立っていた。
「ミハエル、すまない」
「良いんだ、セドリック。作業は続けてくれ。エリィもこんにちは」
「こんにちは。きちんとご挨拶できず、大変申し訳ありません」
侍女のシンディが深く腰を折って出迎えており、それに追従したい奴隷エリィだが、できない。セドリックがウエスト部分でしつけ糸を縫っている途中だからだ。危険、動くな、だ。
しかしミハエルは機嫌を損なうことなくアトリエに入ってきた。相変わらずその微笑みは美しく、女性でも羨む美貌だ。
セドリックが奥から椅子を、シンディがお茶を持ってくるために一旦その場を離れる。するとミハエルは動けぬエリィに近づき囁いた。
「着させたまま針を通しているのか。色々と可哀想に」
「仕事ですから」
ミハエルには哀れみの眼差しをもらい、エリィは苦笑した。
セドリックが小さな一人がけソファを近くに置いた。
「ミハエルとりあえず座ってくれ」
「あぁ悪いな。では遠慮なく」
タイミング良くシンディがカートをソファの隣に横付けし、ポットにお湯を注いでいく。魔法を使っているのか、早業だ。
そしてセドリックはミハエルに言われた通り、ドレスの補正作業を再開させる。ミハエルは少しだけ作業を眺めてから、会話を始めた。エリィは変わらず、動かない人形のままだ。
「ティターニアは忙しいようだな。休めているかい?」
「エリィが来てからいいアイデアが多くて、ティターニアの固定デザインのドレスのサンプル作りに忙しいよ。新作発表会も近いからね。オーダーは納期要相談だよ」
「ふーん。じゃあ頼もうかな?」
「…………ん?」
不穏な内容にセドリックがピクっと手を止めた。忙しくて、納期が確約できないと言ったそばからのオーダー発言に警戒する。
エリィは体勢が辛いため、早く終わらせて欲しいのに延長の予感がしてたまらない。
ミハエルの微笑みは深まるばかりだ。
「ある国からパーティーに呼ばれてね。相手に我が国の魔法の服を自慢しようと思ったのだ。そこで私の礼服を作って欲しい」
「…………それはいつまでに?」
「一ヶ月後だよ」
セドリックは体を強ばらせた。そして針が深くドレスに刺さる。コルセットにぶつかりエリィには刺さらなかったが、コルセット越しに針を感じて生きた心地がしない。
着せ替え業務は好きだ。糸処理も掃除も在庫調べも収納も楽しい。でもトルソー業務だけは違う。恥ずかしいし、くすぐったいし、動けなくて体は痺れてくるし、何て言ったって針が怖い。痛いのは嫌いだ。
――――とりあえず、終わらせてから話してぇぇぇえ
セドリックとミハエルがピリついた空気を漂わせ見つめあっている中、エリィは心の中で絶叫した。