15 主の災難(2)
少し沈黙のあと口を開いたのはエリィだった。
「そもそも何故メイドがご主人様に夜這いをするのですか?一晩遊ばれて終わり…………と言われればメイドの立場ではどうにもなりませんよね?」
「普通はそうなんだけどな」
「と言いますと?」
「ラグドール王国の貴族制度は他国と違うのは分かるかい?」
エリィはしっかりと頷く。ラグドール王国の貴族社会には爵位はなく、年間の貢献度で格付けが上下する変動制だ。
「よろしい。累積の貢献度が低ければ昨日は貴族で、今日から平民ということが普通にあるんだ。政略結婚が多いのは事実だが、実力主義の国だから血統の重視はなく、身分差はさほど問われない。平民のメイドだろうと主に見初められ、子ができてしまえばチャンスありということだ」
「つまり玉の輿を夢みる肉食系メイド集団だったという訳ですね」
エリィは当事者ではないが頭を抱えたくなった。身分差の垣根は低くても、雇用主と従業員という明確な上下関係は自覚すべきではある。大胆な女性が多い事にも驚くが、これでは男性は自分の屋敷だというのに毎日落ち着けないだろう。
「この国の貴族跡取りまたは事業主の男性は苦労しますね」
「どうなんだろうな…………僕のような案件は滅多になく、大抵はきちんと立場を弁えるらしい。僕の顔と性格が駄目なのだと解雇したメイド達には逆ギレされたよ。あぁ、説明の順番を間違えた」
セドリックの補足の説明はこうだ。
彼は実家の本邸から今の屋敷へと独立する時、ブルーノとシンディだけでは大変だからと新しくメイドを雇うことにした。採用したメイドは服飾に詳しく、流行に敏感な者を選んだ。そして交流のなかでティターニアのデザインの刺繍をしてもらっていた。
つまりセドリックにとって当時のメイドは素晴らしい意見交換の相手だった。メイドから見たら真剣に話を聞いてくれる麗しい彼の瞳に見つめられ、親身で優しくされていたらトキメクこと間違いなし。
社交界の令嬢のように甘言に慣れておらず、免疫もない。そのうち『この私が素敵な王子さまと…………!尚且つ金持ちの妻に』という夢が広がる。あっという間にセドリックを好きになってしまうメイドの出来上がり。同僚のメイドは仲間からライバルに変わり、牽制し合い、争奪戦が始まった。
社交界の美青年とメイドの恋物語。これが小説なら燃えない方がおかしいほど、憧れのストーリーだ。
「僕は従業員とそういう関係になる気はなかった。だから彼女達と距離を取った。そうしたらあるメイドが『自分が辛い思いをしないように、僕が身を引いた』と勘違いしたんだ」
「まさか…………それを他のメイドに否定された彼女はご主人様からの愛を証明するために抜け駆けを計画。しかし叶わず他のメイドまで便乗してきたと」
「ご名答。想像力が豊かだね。ということで結局僕が優しくしなければ勘違いはしなかったとメイド達に怒られた」
そしてセドリックはお茶を酒のように煽った。
「それで終わりなら良かったのに、どこから漏れたのか…………それをゴシップ紙に複数のメイドを惚れさせたプレイボーイと面白おかしく書かれてさ、散々だったよ」
「…………」
エリィは閉口した。ゴシップ紙については記憶にあるが、隣国アビスまで情報が来ていたとは可哀想で言えない。しかも思ったよりも最近の話のようだ。
とにかくセドリックがそんな軽薄な女性の魔の手に落ちなくてよかったと安堵した。
「…………?」
「エリィ、どうした?」
「あ、いえ…………とにかく他の使用人に冷たくし、出禁の理由はよくわかりました。予防ですね」
「あぁ。行動に移していないメイドを疑うのは心苦しいが、自分の安全が第一だ」
空になったカップにお茶を注ぐシンディも神妙な表情で頷いている。
「セドリック様は自意識過剰くらいで良いのでございます」
エリィもシンディの意見に同意する。
今残っているメイドの心境は実際のところ分からない。奴隷となったエリィには結婚の権利はなく、玉の輿など狙えない。そんなエリィにさえ敵意を向けていることから、セドリックを慕っている可能性もあるのだ。
――――というより自意識過剰なのは自分の方だわ。私のせいで出禁にしていると思っていたとか…………何様よ。私が来る前からの話じゃないの
恥ずかしさを飲み込むために、お茶に口をつけた。落ち着き、ほぅと吐息が漏れる。
そしてエリィは何故自分が初日から三階への立ち入りが許可されているかも理解した。
奴隷印は契約主の『拒絶』または『物理的攻撃』に反応する。エリィの腕に奴隷印があるかぎり、夜に襲うという意味も含めてセドリックに危害を加えることはできない。そういう安心感が彼にあるからこそ、エリィは側にいることが許されていた。
――――とにかくメイド達の手伝いは望めないというわけね。これはますます頑張り甲斐があるわ
セドリック達には可哀想な話ではあったが、自分の仕事を増やせる可能性があるとプラスへと切り替える。
そして休憩が終われば、エリィはさらに張り切って仕事に励んだのだった。