13 妖精のお願い
エリィは姿勢を正して、心に秘めていたことを打ち明けた。
「私に仕事を下さい!」
「仕事?」
「はい!労働を与えてください」
きょとんとするセドリックにエリィは力強く頷いた。
令嬢時代はフィルの要求に応えられる淑女になるためのレッスンに明け暮れ、追放後は生き繋ぐのに必死になり、花屋ではコキ使われてきた。
すっかり何かをしていないと落ち着かない体質になっていたのだ。モデルの仕事に呼ばれるまで、静かに本を読んでいるだけなんて耐えられない。読書だって立派な勉強ではあるけれど、試験がないとどうも物足りない。
「飼い猫扱いが嫌という訳ではございません。着せ替え人形業務も楽しいです。しかし、しかしながら体が疼くのです。足りないと訴えるのです。働きたくて、動きたくて、仕方ないのです!憐れな私にもっと仕事を恵んでくださいませ!何卒…………っ」
エリィは仕事が欲しい欲望そのままに一気に捲し立て、深々と頭を下げた。
ここ数週間燻っていた事がやっと言えたと心は軽くなる。早くも最初の一週間でこの生活に慣れてしまってから、ずっと言いたくて仕方なかった。しかし飼い猫のように好きなようにして良いと言われても、やはり奴隷。遠慮してずっと我慢していたのだ。
「エリィ、そんなに必死にならなくても捨てたりしないよ?のんびり今までどおりで僕は満足している」
しばらくしてセドリックから返ってきた言葉はエリィの言葉を別な意味で捉えたものだった。
いずれ飼い猫ごっこに飽きて捨てられる不安がないわけではない。しかし、エリィは純粋に仕事がしたいのだ。
――――このままでは本気にされずに仕事が貰えないわ!
チャンスを逃さないようさらに食いついた。
「違います!私は本気なのです!仕事をしていないと落ち着かない、どうしようもない奴隷体質なのです。飼い主なら責任をとって下さいませ。この溜まっている熱を発散させたいのです。ご主人様…………どうか私にご慈悲を…………っ」
ぐいっと体を寄せれば、セドリックは体を引いた。見開かれた水色の瞳に自分の姿を映し、本気度をアピールする。
所々怪しい表現をするものだからセドリックが余計に動揺し、耳を赤くしていることにエリィは気付いていない。ラピスラズリの瞳の上目使いも良くない。
数秒見つめあったあとセドリックが視線を外し、気まずげに聞いた。
「仕事とは例えばどんなことだい?そのまさかとは思うが…………」
「はい、そのまさかです。だから…………なかなか言い出せなくて…………」
エリィはもじもじと手を擦り合わせた。セドリックからはゴクリと喉がなる音が聞こえ、緊張が伝わってくる。それが伝わりエリィにも緊張がうつってしまうが、いつまでも黙っているわけにはいかない。恥を承知で頼んだ。
「この私に布在庫の整理に糸処理、床の掃除、それに針の本数確認などなどお任せいただきたいのです」
「…………ん?」
「ご主人様の聖域に手を出すようなお願いは失礼に当たると重々に承知しております。しかし邪魔にならぬよう最善を尽くしますので、お手伝いさせてくださいませ」
仕事はないかとエリィはずっと周りを観察していた。ブルーノとシンディの仕事を奪わずに、セドリックの邪魔にならずに自分ができそうな事といったら聖域の手伝いくらいだったのだ。
「アシスタントかぁ…………」
気が抜けたようなセドリックの声がエリィの耳に届く。彼は胸に手を当て、ほっとした表情を見せていた。
「分かった。それらの仕事は教えるから手伝ってもらおう」
「宜しいのですか?ありがとうございます」
喜びで跳び跳ねたい気持ちをぐっと抑え、頭を下げ直した。
――――あぁ、仕事よ。素敵だわ。更に新しい仕事が貰えるように早く覚えて、ミスなくこなしてみせるわ!
水を得た魚のように、エリィの心が潤う。
「もちろん仕事ぶりを見て信用していただきましたら、追加で何なりとお申し付けください。誠心誠意務めさせていただきます」
追加営業も忘れない。
エリィは胸の前で手を組み、今から働けるという期待で胸を膨らませる。気分が高揚しているせいか頬は薄く色付き、瞳は感動で涙が僅かに輝く。
「わざとじゃないだろうね?」
「何がでしょうか?」
「いや、何でもない」
セドリックがどこか疲れたようなため息をつくが、突っ込まない。教えると言った手前、奴隷に仕事を与えることへの苦労と不安があるのだろうと予測する。
「ちなみに二つ目のお願い事は何?」
「はい。ケーキが食べたいのです…………あの日ケーキを買ったのに、誘拐されて食べ損ねたのが忘れられないのです。せっかく給料がアップして手に入れた甘味でしたのに…………悔しくて夢に出てくるのです」
崩れないように大切に腕の中に入れて歩いていた帰り道。視界が暗くなった瞬間に耳に届くケーキが入った袋が落ちる音。見えないもののケーキが潰れる光景が目に浮かび、オークションまでの数日悪夢にうなされた。
エリィは悪夢を思いだし、悔しさで拳を握り締めた。
「それは災難だったね。そういえば僕が甘味苦手だからお茶の時は何も用意させてなかったな。これからは毎日用意させよう」
「いえ!時々でかまいません。たまに食べるから甘さが染みるのです。奴隷が余計な贅沢してはなりません」
「分かった。君の奴隷のプライドに差し支えのないように用意するよ」
「ありがとうございます!ご主人様への忠誠心はますます高まった次第です。一生懸命に飼い猫として仕事いたします」
エリィが改めて決意表明すると、セドリックは声を出して笑い始めた。
「何かおかしかったでしょうか?」
「うん。本当にエリィは変わっているよね。くくく」
目尻に涙を浮かべて笑われ、エリィは面白くない。まるで初日の夜のようだ。
セドリックはひとしきり笑い終えると、芝生の上に寝転んだ。
「僕が知っている女の子っていうのはね、果てしない欲を持っているものなんだ。ドレスが欲しい、宝石が欲しい、権力や資産のある婚約者が欲しい…………言葉に出さないだけで、静かに、けど強かにアピールする生き物だという認識だ」
「…………そうですか」
エリィは他人事のように聞こえるよう意識して相槌をうった。
「だからエリィのように欲がないのは非常に珍しい。駆け引きもない。腹芸をしなくて楽だ」
「私にも欲はありますよ。ただそのような欲では食べてはいけなかっただけです」
「そうだったな。君は令嬢じゃなかった」
「左様でございます」
セドリックは瞳を閉じて、そよ風を堪能し始めた。
そしてエリィは遠い故郷をふと思い出した。
令嬢時代はそういったおねだりが可愛いとされ、婚約者が叶えるという図が形式美だった。贈られたものはステータスの一つとして、令嬢たちは影で贈り物の価値を争っていた。
多くの令嬢は大切にされていると誇張し、高価なものを見せては「自分はこれだけ資産のある人の妻になるのだ」と自慢した。欲に溺れ我が儘がいきすぎて破談になった令嬢もいれば、貢ぎすぎて破産した令息もいた。
エリィはそれを感じとりフィルの自尊心を満たす程度に調整していても、結局は無駄だったのを知っている。
具のあるシチューが食べたい。固くても良いからベッドで寝たい。湯船に浸かりたい。汚れのない服が着たい――――そんな平民としても当たり前の欲が叶わず、追放直後は苦しんだ。執着イコール欲というものは生きるためには何にも役立たなかった。
今は贅沢や物欲とは無縁の身分。重荷になる気持ちは捨ててきた。仕事さえあれば食べていけると知っている。エリィは遠くを眺めて目を細めた。
そしてちらりと目を瞑るセドリックを見る。スキンシップは多いが下心はなく、紳士。宣言通り衣食住は整えられ、平民の時よりも裕福だ。多少生意気なことを言っても、飼い猫だからと笑って許される。むしろ歓迎される。そして今度は願いを聞いて仕事をくれる。
エリィには最高の雇い主で、「ご主人様」と心から呼べる存在になっていた。不幸続きだった彼女にとってこの巡り合わせは幸運。いつまでも仕えたいと思えるが…………振り払う。
その欲すらもいつかは裏切られそうで怖いのだ。
エリィはただ与えられる仕事に思いを馳せることにした。