12 主の不安(2)
ミハエルを見送ったあと、セドリックとエリィはテラスで遅めの昼食を取っていた。本日のメニューは開き魚のムニエルだ。肉と違って魚には骨があり、ナイフとフォークで食べるのには慣れがいる。
セドリックがチラリと隣を見れば、エリィの皿の魚は綺麗に骨だけとなっていた。しかも骨格標本のように骨は整列させられ、身は全く残っていない。
――――どこで覚えたのだろうか
スラムでの生活は過酷だと知ってから辛いであろう過去を聞くのも躊躇われ、どうも探りを入れるスタイルになってしまう。
「魚の食べ方が随分と綺麗だね」
エリィは少し視線を揺らし、おずおずと口を開いた。
「骨を並べると、なんだか博物館に行った気分になれて、楽しくて…………つい。骨で遊んで申し訳ありません」
「いや、遊んでいるようには見えないから構わないよ」
セドリックは微笑み、皿へと視線を戻す。
――――時間はある。楽しみながらエリィと過ごすか。ふっ、皿の上の博物館ね…………相変わらずずれている
食事を再開させ、午後の段取りへと思考を変えた。
※
午後からセドリックはいつものようにアトリエで作業をしていた。部屋の隅ではエリィが着せ替え人形業務の合間に本を読んでいる。
少し休憩をとるため声をかけようとエリィを見ると、彼女はじっと外を眺めていた。開け放たれた窓から入り込む風に靡かせるミルクティー色の髪は甘い香りがしそうで、セドリックは吸い寄せられるように側に立った。
「エリィ?何を見ているんだい?」
「ご主人様、あの葉っぱが少し欲しいなぁと思いまして」
「葉っぱ?」
周囲を見渡してみるが芝生と雑草しか見当たらず、特に珍しい葉があるようには見えない。
エリィは分かりやすいように手を伸ばし、芝生と森の境目を指差した。
「あのギザギザした葉っぱです」
「あぁ、あれか。あの雑草をどうするんだ?」
「食べたいのです」
「――――はぁ!?」
セドリックは水色の瞳を最大限に見開き、エリィの肩を思わず掴んだ。その肩は見た目よりも華奢で、今までの貧しい生活の影響か女性にしてはふくよかさが足りない。
「どうした?昼御飯足りなかったか?おなかが空いているのであれば今から――――」
「いえ、単なる嗜好品ですよ」
「嗜好品だと?雑草が?」
「はい。腹はあまり満たされませんが、心が満たされると言いますか…………食べるものに困って口にしたことがあるのですが、噛むとほんのり甘くて、スースーして案外美味しいのです。懐かしいなと思いまして」
「…………」
当時を思い出してうっとりするエリィの表情をみて、セドリックは目眩を覚えた。
「毒だと思わなかったのか?」
「当時は美味しかったですし結果オーライです!」
エリィはサムズアップし、その笑顔は輝き清々しい。セドリックは腰に手を当て、もう一方の手でオレンジブラウンの髪を掻き乱した。
――――ありえない。女性どころか人間としても逞しすぎる
チラリとエリィを見下ろすと、期待したキラキラ眼差しを向けている。ラピスラズリの瞳はどこまでも深い青なのに、輝きが損なわれることなく煌めいている。
「じゃあ一緒に取りにいこう」
「良いのですか?あ…………でも私、靴がありません」
「え?靴は裏玄関に用意しているじゃないか」
そう言ったものの、エリィの頭上にはクェスチョンマークがいくつも浮かんでいる。革靴、サンダル、ブーツなど選り取りみどりで既に用意してあった。それすら知っている様子はない。
「もしかして、ここに来てから一歩も外に出ていない?玄関の靴箱を見たこともない?」
「はい。だって私は奴隷で飼い猫扱いですから、外に出てはいけないかと思いまして」
セドリックは両手で頭を抱えて、顔を俯かせた。
エリィが猫を研究し、猫らしい仕草を見せてくれることに楽しさを覚えていたが、ここまで本格的に極めようとしていたとはセドリックは知らなかった。自分が仕事で外出している昼間に少しは出ているものかと思っていたのだ。
――――順応性が高く、純粋過ぎて、世間知らず。そしてどこか危うい。僕がしっかり見ていないと
セドリックは使命感のようなものを感じた。以前よりも強い、庇護欲のような胸の奥が熱を持つような感覚だ。
そっとエリィの手を掬い上げ、少しだけ腰を折って目線を合わせた。
「今から一緒に出てみようか」
「ありがとうございます!」
そうして真新しい靴を履いたエリィを伴い、裏庭へと出る。エリィはそわそわとした様子でセドリックを見上げている。「いいよ」と微笑めば、エリィは怪しい葉の元へ駆けていった。
髪が風でふわりと浮き、ワンピースをはためかせる足取りは軽快で、羽根があれば飛んでいってしまいそうなほどだ。
「本物の妖精のようだ――――」
セドリックの呟きは風に流されていく。
そのまま風に乗ってエリィまで遠くへ行ってしまいそうで、彼女の後ろを追った。
「セドリック様、この葉っぱ美味しくありません……」
「だろうね」
しゃがみ込んで、そのまま葉っぱを口にいれたエリィの顔は渋い。しかし彼女は納得いかないようで、何度も顔を歪めながら味を確かめるように雑草を咀嚼している。
「ふっ」
「…………」
思わず吹き出してしまうと、エリィは恥じるように黙ってしまった。静かに拗ねた様子がまた可愛い。
確かに過去は気になる。それはそれだけ彼女を気に入っていて、もっと知りたいと思っているからで…………。
「ねぇ、エリィ。大切にするからね」
「どうしたのですか急に。怖いです」
「ひどいなぁ。普通の女性はうっとりしてくれるはずなのに」
エリィからセドリックに批難の視線が飛んでいく。タラシ男めと聞こえてくるようだ。草には甘い視線を向けていたのに…………と少し寂しい気持ちになるが、悪くはない。
「ただ捨て猫に愛着を持つ気分が分かったような気がしたから言ったのに」
「そういう事にしておきます」
「信じてよ」
この飾らない会話が心地良い。きっかけは見た目からだった。しかし今では性格も好ましいと思う。
甘やかしても傲らないし、卑しい欲も感じられない。それはエリィの美点で好ましいが、今はむしろもっと我が儘をいって欲しいとさえ感じる。
セドリックはエリィの隣に腰をおろし、毛繕いをするようにミルクティー色の髪に指を通した。
「この生活に不満はない?できる内容なら叶えてあげる」
奴隷商が見つかり、エリィが被害者だと立証されたら奴隷の所有権は消えてしまう。そうなってもエリィがこちらの生活を選択するように、快適な環境を整えたかった。
するとエリィは今までみた中で一番真剣な眼差しで座り直した。
「では二つほどあるのですが。是非ともお願い致します」
彼はドキリとした。今も満足できそうな環境を提供していると自負はしていた。念のため聞いてみただけなのに一つどころか二つもあると言われ、内心動揺する。欲がないエリィが二つもあると言ったのだ。
セドリックはエリィのただならぬ決意を悟り、彼も座り直す。
「言ってごらん」
「実は…………」
少し躊躇ったあと、エリィは要求を語った。