11 主の不安(1)
セドリック視点です
エリィとミハエルが邂逅を果たしていた頃、セドリックはアトリエでドレスを眺めていた。
――――気紛れでオークションに足を運んで正解だった。あと少し遅れていたらエリィと出会えないところだった
二週間前のオークションを思い出し、改めてほっと一息ついた。人拐いに遭い、奴隷落ちしたのはエリィにとって不幸かもしれないが、セドリックにとっては幸運だった。
色素の薄い甘そうなミルクティーの髪色に、ラピスラズリのように輝く青い瞳、可愛らしい容姿は一目惚れに近い。何よりもあの状況でも揺れない瞳と、まっすぐに背筋を伸ばして立つ姿は妖精の『女王』のコンセプトにピッタリだった。
目を閉じれば、エリィがティターニアを身に纏い華麗にスカートを揺らす光景が浮かぶ。ふわりと軽やかにドレスを着こなし、微笑む姿はセドリックが求めていた妖精像そのもの。いや、想像以上に似合っていたからこそ僅かな不安が生まれていた。
「エリィ……」
水色の瞳に影を落とし、ドレスの生地の表面に指を滑らせた。
セドリックがため息を漏らしていると、扉がノックされる。返事をするや否や、見慣れたプラチナブロンドの青年が入室してきた。
「やぁ、妖精に会ってきたぞ」
「…………どう判断しましたか?」
セドリックは自分と似た水色の瞳を不安げに見つめた。
「スパイではなさそうだな。断言は出来ないが、隙がありすぎるし貪欲さがない」
「他には?」
「何より我が国の王太子の顔を見ても反応が薄すぎる。貴族や資産家の懐に入る目的のスパイなら媚くらいは売ってくるはずなのに、この私を知らないのは実にスパイらしくない。密偵に探らせたらアビス王国の花屋で働いていた証言もとれたし、本当にただの平民として暮らしていたのだろうな」
四つ年下の魔法の国ラグドール王国の王太子ミハエル・ラグドールの話を聞いてセドリックは肩の力を抜いた。ミハエルはその姿を見て苦笑するが、セドリックにとってエリィは手離したくない存在だ。笑われようが、安堵した気持ちを隠すつもりはない。
「しかしセドリックの言っていた通り所作と言葉遣いが綺麗すぎる。シンディを真似ていると言っていたが、あれはもう板についている領域だ。ただの平民とは思えない気持ちは分かる」
「はい。丁寧語どころか敬語まで使える……スラム育ちとは簡単には信じられませんよね」
特にドレスを着てウォーキングを難なくこなす姿は、素人とは思えないほどの身のこなしだった。ターン時の軸のぶれなさは社交界の令嬢と遜色ないどころか、上をいく。
「案外アビスの前はユースリア王国の悲劇の伯爵令嬢だったりしてな」
「悲劇の伯爵令嬢?どういうことですか?」
セドリックは思考を見透かされような言葉にドキリと跳ねそうになった。鼓動を抑えつけ、冷静を装いミハエルに尋ねた。
「一年ほど前かな。婚約者を奪われた伯爵令嬢が嫉妬で相手の令嬢をいじめ抜いて罪に問われ、国外追放されたのだ。しかし全ての悪事を働くのは難しかったため冤罪が含まれている可能性が高い。急いで事実確認のために呼び戻そうとしたが行方不明に…………」
「行方不明?国外追放の貴族を放置なんて…………」
貴族は国の内情に詳しい。マフィアや敵国と繋がり、国の情勢が脅かされることはあってはいけない。通常国外追放となった貴族には半年から一年は監視をつけるのが常識だ。そう…………飢えるか、無知ゆえに犯罪に巻き込まれて死ぬかまで。
セドリックは耳を疑うが、ミハエルは真顔で頷いた。
「噂によると指示した第二王子は正気ではなくて、王の許可なく杜撰な方法で追放したとか…………影も手配せずポイ捨て状態だったらしい」
「可哀想に。伯爵令嬢なら生粋の淑女だったでしょう。追放されて、庇護もなく生き延びるのは難しいでしょうね」
「だから悲劇の伯爵令嬢って訳さ。しかし王族の醜聞に関わるためか誰もが口を閉ざし、外部の人間には真偽不明だ」
「しかし殿下の話し方だと第二王子の失態は事実なんですね」
ミハエルは肩をすくめた。否定はしないということだった。
セドリックは眉間を指でほぐし、深く椅子に座り直した。エリィが元令嬢という可能性は否定できなかった。しかし違和感も膨らむ。
「ミハエル殿下…………元令嬢は躊躇なく床で食事をとろうとするでしょうか?」
「ありえないな。気高い娘が地べたなど、プライドが許さないだろう」
「でも彼女は残飯を漁っていた経験をしていたから、と平然と教えてくれるんですよ」
「それは強烈なギャップだな…………アビスのスラムはそこまで過酷なのか?嘘ではなくて?」
所作や言葉遣いが綺麗でも、どう考えても発想が令嬢らしくない。もし必死に生きるためだとしても元貴族としてのプライドが許さず、恥として隠す者が多い。しかしエリィの話し方は経験者の語り口だった。
「嘘とは思えません。しかし教育は受けていた形跡はある。ユースリア王国の伯爵令嬢ではなくても、幼少の頃は裕福な家だったのかもしれませんね。破産して家族で路頭に迷い、スラムで生き延びていたが両親を失い、成人してようやく花屋になれた…………というところでしょうか?」
「それが妥当だな。結局は私たちに害のない存在なら良いのだ」
この国とアビス国は数年前まで小競り合いをしていたため、今も隣にあって敵対関係。奴隷商にエリィの詳しい経歴を聞こうしたが、あのオークション以降雲隠れし見つからない。所作などからエリィは教育を受けたスパイではないかと不安に思っていたのだ。
それを
「しかし平民として暮らしていたのに、不本意に奴隷落ちとはエリィも不運だな。奴隷商が立件できればセドリックにお金が戻り、エリィも奴隷から抜け出せるのに」
「不運と思われないように、奴隷であってもアビスの平民より良い生活だと思わせます」
「ふふ、相当お気に入りなんだな」
「そうですね」
ミハエルは少し驚いたように、瞳を瞬いた。
彼が驚く理由は分かっている。セドリックの容姿と出自の関係もあって、女性からは好意を寄せられることが多い。しかし誰もが仮面を張り付けているのが分かってしまい、素顔が分からず、セドリックはどんな女性に対しても心を開けなかった。ミハエルはそれをよく知っているし、共感者だ。
だがセドリックから見たエリィはただ真っ直ぐで、一生懸命で、ゴマはすっても卑しい媚は売らない。そして容姿だけではなく、あの予想できない行動は気まぐれな妖精のようで楽しい。心を開いているわけではないが、信頼は彼女から感じられる。
指示したわけではないのに、エリィが自主的に猫に成りきろうと試行錯誤するなんて想像できただろうか。今日はどんなタイプかな?と楽しみにしているセドリックがそこにいた。
「では立場を弁えつつ仲良くやってくれ。私は帰る」
ミハエルはソファから立ち上がり、転移用の魔法カードを取り出した。セドリックも椅子から腰をあげて見送る体制を整える。
「ありがとうございました、ミハエル殿下」
「帰り際まで他人行儀か…………私は少し寂しいよ兄上」
「――――ミハ」
セドリックが慌てて声をかける前に
「もう禁句だと言ってあるのに…………甘えん坊だなぁ」
ため息をつき愚痴を言いつつも、先ほどまでミハエルのいた場所を見つめるセドリックの眼差しは柔らかかった。