06 ペットはじめました(1)
部屋には大きな窓から太陽の日差しがたっぷりと差し込み、紅茶の香りで満たされていた。エリィは意識の浮上と共に身をよじり、とろんと目をあける。贅沢な目覚めにまだ夢心地だ。
――――もう、ちょっとだけ
そう思うが美味しい香りに刺激されたお腹が空腹を訴え、思考が冴え始めた。
「――――!?」
エリィは慌ててガバリと身を起こす。時計を見れば朝と呼べる時間帯は過ぎ、体の上には柔らかな布団が掛けられている。そして寝ていたはずのソファでは、セドリックが優雅にお茶を飲んでいた。
「やぁ、おはよう」
「―――――っ!」
長い足を組みながらティーカップを軽くあげてくつろいでいるが、顔には疲労が見られる。
エリィはベッドから飛び降りて、セドリックのそばに駆け寄ると土下座をきめた。
「大変申し訳ございません!ご主人様がお疲れなのに、ベッドを占領したあげく、寝過ごしました!」
昨夜はこうならないようにソファで寝たはずなのに、という言い訳はしない。何故そうなっていたかは不明だが、事実はセドリックに目撃されてしまっている。
突然の見事なスライディング土下座に、セドリックは驚きお茶を吹き出しそうになっていた。なんとか堪え、咳払いをして動揺を落ち着かせる。
「エリィはなんで謝るんだい?土下座はやりすぎだよ」
「いえ。ベッドはご主人様のために空けつつ、きちんと朝起きて約束の食事をすっぽかさないように気を付けていたのですが、何故か寝ておりました。本当に申し訳なく…………」
エリィは一度上げた頭をまた下げる。セドリックが困ったように指で頬をかいた。
「僕がベッドに勝手に移しただけだから謝らないで。最初からベッドで寝て良かったし、起こさなかったのは僕なんだから」
「そんな!奴隷がご主人様より贅沢するなどいけません。しかもお手を煩わせていたなんて最悪です」
「なんで?」
「奴隷の沽券に関わります!」
エリィが力強く言い切るとセドリックは口を押さえるが、我慢できずにお腹を抱えて笑いだす。
ごく真面目に答えたつもりだったため、こんなにも大声で笑われるなど不本意だ。拗ねた目線をセドリックに送る。
「ごめん、ごめん。普通は自分が奴隷になったなんて認めたくなくて、真面目に奴隷になりきろうとしないでしょ?皆仕方なく奴隷落ちしてるものだし…………なんでそんなに前向きなの?」
「もう奴隷になってしまったんですもの。抵抗は無駄です。それに私の労働条件は奴隷のなかでも恵まれていると、少ない知識ですが判断しています。なら真面目に奴隷をしていた方が有意義かと。不真面目に行動して、こんな好条件の仕事を捨てるなどありえません」
エリィが再び真剣に答えれば、セドリックもまた笑いだす。水色の瞳の目尻には涙が滲み、本気で面白がっていた。落ち着いたタイミングで彼女は不安げに尋ねた。
「変でしょうか?」
「ううん、エリィが良い子で良かったよ。でもこだわるなら奴隷ではなくペットらしさで考えて欲しいかな。主の好意を受け入れて、主の自尊心を満たすのも立派な仕事だよ?」
エリィはラピスラズリの瞳を見開いた。
フィルはいつだって甘えを許してくれなかった。命令を遂行することが、彼を満足させられる方法で、甘えられるほど仲の良い友人はいない。家族以外に甘えるという発想が今までなかったのだ。
「好意を受け入れるとは?」
「僕のベッドは気持ち良かった?」
「はい。天国でした」
「なら、お礼を言ってくれる方が謝られるよりずっと嬉しいよ。僕はエリィに喜んで欲しくてしたことだからね。ゆっくり学んでいこうか」
この時、柔らかく微笑むセドリックに陽射しが当たった。オレンジブラウンの髪は紅茶のように光を反射し、細められた水色の瞳はどこまでも広がる空に見えた。容姿が整っていることもあり、その姿は未来へと導く天使のように見えた。
エリィは跪いたまま、自らセドリックの手を握る。
「ご主人様、私は頑張って最高のペットを目指します。どうかご教授とご鞭撻のほどよろしくお願い致します!」
「もっと気楽に!この行動はペットっぽくない」
「調教された犬とはこんな感じではありませんか?」
「僕は猫派だよ。なるなら少し我が儘で可愛い猫でお願いするよ」
「猫派でしたか。承知いたしました」
ペットの方向性を決めたタイミングで、カチャリと茶器の音がなる。気配を消して入室してきた執事ブルーノの手によって、紅茶と軽食のサンドイッチがテーブルに乗せられていた。
「どうぞお召し上がりください。昼食は後程別で用意してありますので、無理せず残して宜しいですからね」
「…………私にですか?」
「そうでございます」
「これも食べられて、昼食も頂けるのですか!?ありがとうございます」
エリィがパクりとサンドイッチを口に運ぶと、トロリと卵が口のなかで溶けて、噛めばもっちりとしたパンに絡む。
――――このタマゴサンド一切れ一体いくらするのかしら。高級な味がするわ。残すなんて勿体ない
エリィはじっくりと味わい、ペロリと食べきった。
「毎食タマゴサンドが良いです」
頬を緩ませ、恍惚の表情を浮かべるエリィをセドリックとブルーノは目を合わせ頷いた。
「もっと美味しいものもあるから、バランスよく食べよう。卵ばかりでは駄目だ」
「そうでございます。好きな食べ物があればお教えください。ご用意致します。なんなりとお申し付けください」
ブルーノが軽く腰を折ると、エリィはピクッと肩を揺らす。
「ブルーノ様は私の上司にあたる方になりますよね?もっと雑に扱ってくださいませ。なんだか落ち着きません」
「いいえ。エリィ様はセドリック様の大切な所有物で、使用人とは別の扱いですのでお断り…………と言いたいところですが。セドリック様、エリィ様は過ごしにくいようですよ?」
セドリックは顎に手を当て、一考する。
「ならエリィはブルーノとシンディにとっても可愛いペットということしよう。シンディにも伝えておいてくれ」
「かしこまりました」
「ありがとうございます!ブルーノ様もどうかペットのあり方をご教授していただけると嬉しいです」
「はい。では早速エリィさんの棲みかをご案内します。セドリック様はどうか仮眠をおとりください」
ブルーノに新しい部屋まで案内してもらい、部屋を眺めた。部屋にはシングルベッド、クローゼット、机がすでに用意され、アビス王国でのアパートより少し小さめだった。しかし洗濯物を干していない分、使える場所は前より広くて遥かに綺麗だ。
ベッドの上には数着シンプルなワンピースが用意されていた。他にも寝間着のスペアやタオル、ノートやガラスペンまである。
「服だけは購入できるまでシンディのおさがりで我慢してくださいね。もう彼女は着ない物なので、気軽にどうぞ」
「ありがとうございます!こんなに綺麗な服を貰えたのです…………新しい服を買うなんて勿体ないと思うのですが」
「うーん、そうですか。あとでセドリック様と相談しましょう。ではエリィさんは自分が使いやすいようにクローゼットに服などを収納してください。ご飯までに終わらせるように」
「はい」
ブルーノが退出すると、エリィは改めて部屋を見渡した。家具は全て胡桃色で統一され、ベッドカバーの淡い小花模様が部屋を明るく見せている。
ワンピースをクローゼットの上段のハンガーポールに掛ける。タオルや寝間着を仕舞おうと引き出しをあけると、新品の下着が入っていた。ブルーノに見られないような配慮に、エリィはシンディに猛烈に感謝しながら片付けを続ける。
物は少ないのであっという間に終わった。エリィは窓を開け放ち、空気を入れ換える。窓の位置は本邸のある向きとは逆で、見渡す限り森が広がっていた。
エリィはたっぷりと新鮮な空気を吸い込み、希望に瞳を輝かせた。