07 ペットはじめました(2)
エリィは手に入れた幸運を実感できずに、窓辺に肘をつき外の景色を眺めていた。するとノックの音が聞こえ返事をして開けると、シンディが立っていた。
「まもなく昼食のお時間です」
「わかりました。あと色々とありがとうございます!服もいただいて、配慮もしていただき感謝しています。私にはお返しできるものが何もないので、何か出来ることがあったらお手伝いします!何なりとお申し付けください」
シンディはエリィの勢いに少し驚き目を僅かに見開くが、無表情が崩れることはない。
「セドリック様と相談しておきます」
シンディはそれだけ言うと、すぐに歩き出す。素っ気ない返事だったが、仕方ない。あくまでご主人様はセドリックであり、彼からの命令が優先される。エリィは気落ちすることなくシンディの後ろを付いていった。
食堂に近づくにつれて、すれ違うメイドが増えていく。昨晩セドリックが注意したのにも関わらず、エリィに刺さる目線は冷ややかだ。憎しみ、嫉妬、蔑みの色が濃く、歓迎の色はやはり一切ない。
そう考えると目の前を歩くシンディはとても好意的に感じる。完璧な仮面を被ってなければの話だが……
食事をとると案内されたのはガラス張りのテラスで、おしゃれな個人カフェのような造りだった。テラスを囲むように、外には花が咲き誇り花畑に立った気分だ。
そこには仮眠をとったお陰で、数時間前より血色が良いセドリックがセットされたテーブルについていた。
「来たね。さぁ座って?」
「えっと…………」
エリィは周囲を見渡すが、残りの椅子はセドリックの正面のみ。てっきり使用人の休憩室か食堂に案内されると思っていたから、僅かに動揺した。
――――奴隷が屋敷のご主人様と同席なんてあり得ないわ。そしてご主人様は私にペットらしさをお求めになっている。つまりここでの正解は…………
エリィはすぐに切り替え、セドリックのそばまで歩きその場に座った。
「エリィ!?」
セドリックはぎょっとしてエリィを見下ろした。エリィはふんわりとスカートを広げ、地べたに座っていたのだ。しかも、「正解でしょ?」という自信満々の微笑み付きだ。
――――猫といったらご主人様の足元にすり寄って、ご飯をおねだりのはず。さすがにスリスリするわけにはいかないから、側に座ったのだけれど…………あれ?
セドリックが衝撃を受けた表情のまま動かない。周囲をみるとワゴンを運んできたブルーノ、ドリンクの準備をしていたシンディのみならず、他のメイドたちまで信じられない物を見る目でエリィを凝視していた。
「申し訳ございません!私は間違えたのでしょうか?」
エリィは慌てて立ち上がり、深く頭を下げた。
ワンピースが汚れてはいけないからと床はチェックした。セドリックの邪魔にならないように最低限の距離はとった。猫らしいと誉めてもらえるものかと思っていた位なのだが、彼の顔色は悪い。
「エリィ…………床に座って食べることに抵抗はないのか?」
「はい。スラムの時は何かに座って食べられないときも多かったですし、道端に捨てられた貴族の食べ残しの争奪戦の時はその場で膝をついて食べることもありました。それに比べたら絨毯の上は柔らかくて暖かいです」
過去の経験を素直に答える。
「……ここまでとは」
セドリックはショックを受けたように手で口許を覆い、大きなため息をついた。そのため息の深さがよりエリィの不安を大きくさせる。
――――二日目にしてせっかく手に入れた奴隷スローライフが無くなってしまうわ。ど……どうしよう
エリィの肩は僅かに震えるが、優しい声色がかけられる。
「頭を上げて。隣国にはスラムがあり、厳しい生活をしていると聞いてはいたが僕の認識が甘かった。国の違いでこんなに差があるとは想像できなかった…………日々の炊き出しもなかったのか」
「もちろんです」
「そうか……この国は奴隷は最低限ではあるけど、人間の尊厳の保護も法で決められている。それもあるし僕は平民として暮らしていたレベルの待遇は考えているんだ。言っただろう?エリィはお気に入りだと」
「そうだったのですね」
既に母国では廃止されている奴隷制度ではあるが、奴隷の認識は命の保証しかされず、本当に『物』としての扱いという認識だ。家によって差はあれど、辛い環境であることは変わりない。綺麗な服と美味しいご飯を貰えるペット扱いはエリィの中では既に厚待遇だったのだ。しかし猫になりきり過ぎるのも問題らしい。
「この国の事情に疎いとはいえ、大変申し訳ありません。ご主人様が法律厳守の素晴らしいお方なのに、泥を塗ってしまいました」
「いや、説明が足りなかった僕の落ち度だ。エリィにはこの国について学ぶ時間が必要のようだ。あとで本を…………」
そこでセドリックは言葉を切り、酷く申し訳なさそうに聞く。
「その、文字の読み書きは………」
「大陸共通言語であれば大丈夫です」
「なら良かった。さぁ正面の椅子に座って?僕と一緒に食べよう」
「はい。失礼致します」
ほっと一息ついて座れば、ワンプレートにまとめたランチがテーブルに乗せられた。
奴隷ごときが屋敷の主と同じ席で同じ料理をたべるなど嫉妬の的だ。昨夜注意されたのにも関わらず、メイドたちは嫉妬の色が隠しきれてない。だが美味しそうな料理を目の前にしたエリィには一切通じない。
私ってすっかり貴族の部分が無くなっているわよね、と思いながら彼女は昼食もペロリと食べた。細身ではあるがきっちり胃に納めてみせた。残すなんてあり得ない。
「軽食も食べたのによく食べきったな。無理していない?」
「飢餓時代の名残で、どうしても食べられるときに食べなきゃという本能が働いちゃいまして」
エリィはウフフと微笑むが、セドリックは何かを耐えるように再び口を手で覆った。その目はまるで捨て猫を見る目だった。確かに捨てられた存在だから、あえて否定はしなかった。
ランチのあとはセドリック自らの案内で屋敷を歩いた。三階建ての作りで、本邸と使用人の棟が廊下で繋がっている。ちなみに本邸の三階がセドリックのプライベートエリアとなっており、本人とブルーノ、シンディ以外は立ち入りが禁止されている。その話を聞いてエリィは嫉妬の目線が強い理由に納得した。
――――小汚ない奴隷が自分達より庇護されて、プライベートエリアに入るどころか住んでるんだものね。でもごめんなさいね。私はこの奴隷ライフを手放すわけにはいかないの。遠慮しないわ!
そう強く覚悟をもって冷たい目線のメイドたちとすれ違う。
僅かに苦い過去を思い出すが、まだましだ。当時は伯爵令嬢として一切のミスは許されず、息のつまるような生活だった。それに比べれば今は『奴隷だから仕方ない』という甘えがある分、気は楽だ。変わりに生まれたのは疑問だ。
――――何故、私はお気に入りなのかしら
屋敷を案内されながら、セドリックの背中を見つめるがそれだけだ。どことなく聞かない方が身のためだと思えて、開きかけた口をつぐむ。
そして三階まであがり、階段から自分達の部屋とは逆へと進んだ。
「ここは仕事の区域だよ。こっちが執務室だけど、僕はたいていこちらのアトリエにいる」
「アトリエですか?」
「うん。僕の聖域――――」
執務室を横にすぎた廊下の突き当たりには重厚な両開き扉が鎮座していた。聖域と呼ばれるのに相応しく、扉の色はそこだけが白く塗られ存在感を放っている。
そしてセドリックが扉を開くと、そこには花園が広がっていた。