05 新しいお仕事(2)
本日2話目です。
ペットと言えば、愛玩動物を指す。その対象が奴隷の場合は乙女を失うことを意味する。
エリィはあまりにも大胆で不穏な言葉に鳥肌を立て、無自覚にセドリックから距離をとろうと背筋を反らした。
――――やっぱり詐欺男ね!湯浴みも終わらせて準備万端にまでさせて……なんてスマートな詐欺なの!?
無駄に褒めてしまうくらい巧妙な罠だと感心しつつ、一か八かの脱出経路を横目で探す。それを阻むようにセドリックはエリィとの距離を詰め、手を握った。
「そんなにどん引かなくても。だってピッタリの言葉がそれしか思い浮かばなかったんだ」
「ち…………ちなみに私にどんなことをお求めで?」
「基本的に自由に過ごしてもらい、必要なときに話し相手や着せ替え人形になって欲しいんだ。ご飯も一緒に食べたいな。まるでご主人様とペットの関係だろう?」
「確かにそうですが」
「僕の命令は絶対だけど、お願いには拒否権をあげる。逆に君の要求があれば、ある程度は叶えてあげる」
セドリックが付け足すように「簡単でしょ?」と首を傾けるが、まだ油断はできない。男性を知らぬエリィにとって聞くのはとても恥ずかしく、勇気のいる内容がまだ残っている。
本来なら仕事の拒否権はないのは百も承知。しかし心の準備がある無しで大いに違う。めいいっぱい顔を赤らめて、視線を外してか細い声で聞く。
「ね……
「…………僕は試されているのかな?」
質問が質問で返ってきた。視線を戻せばセドリックは片手を額に当て天を仰いでいる。
「……エリィは僕と肌を重ねたいの?」
「断固拒否です!」
「うわぁ、驚くほど直球。なるほど、ペットをそう言う意味で捉えてしまったんだね。大丈夫、同意なしに一線を越えるようなことはしないよ。僕は紳士でいることを約束する。だから逃げないで」
エリィがジトっと疑いの目線を向ければ、セドリックは苦笑して「信じて」と言った。彼の水色の瞳はどこまでも澄んでいて、嘘を言っているようには見えない。
――――そうよね。本気で手籠めにしようと思えばわざわざ聞いてくれたりしないわ。こんな小娘なんて力ですぐに負けるもの。それに初めから彼は私の意志を確認してくれた。とても親切にしてくれた。初めから信じてもらえないことが凄く悲しいのを私が一番知っているはずなのに……
学園の断罪劇では誰もエリアルの話を、意志を聞いてはくれなかった。反論の余地もなく、信じてもらうチャンスすら与えられなかったことを思い出す。このままでは軽蔑した彼らと同じになってしまうと危機感を募らせたエリィは腹をくくった。
――――まずはとことん信じましょう!
エリィはセドリックの手を両手で包み込み、今日初めての満面の微笑みを浮かべた。
「不慣れな点も出てくるとは思いますが、精一杯ペットを務めさせていただきます!宜しくお願い致します!」
「宜しくね。僕の可愛いエリィ」
セドリックは感動極まったように瞳を輝かせ、甘い言葉をさらりと放った。
「まずはその口説いているようなセリフを止めませんか?」
「早速要求!?適応能力の高さに驚くよ。でも自分のペットが可愛かったら褒めるのが普通なので、却下」
「…………」
「く……はははは!すっかり猫だ。これは先が楽しみだね」
猫っぽく拗ねてプイっと横を向いてみるが、セドリックを喜ばせるだけだった。
――――むぅ。レディの扱いに慣れてるわね。あぁ、だから私は大丈夫。さぞかしモテる男と見た。わざわざ私に手を出すほど閨の相手に困ってないんだわ。
だいぶ回復したとはいえ、エリィの体は飢餓を体験したせいで貧相な体型になってしまっている。スレンダーというほど身長は高くない。
であれば選り取りみどりな男はナイスバディを選ぶに決まっている。エリィは「自分は安全圏」と結論付けた。
「僕はまだやることがあるからエリィは先に休んでいて。明日きちんと個室を用意するから、今日はこの部屋を自由に使って良いからね。今夜は徹夜だから僕にはベッドは不要だし」
「そんな、私は毛布さえあれば廊下でも、物置の隙間でも」
「もうそんな寒い暮らしをしなくて良いんだよ。それに廊下に人が転がってたら怖い」
「…………っ、ではお言葉に甘えさせていただきます」
ペコリと頭を下げるとシンディから「何かあれば呼ぶように」と呼び鈴を渡され、三人は退出していった。
扉が閉まった瞬間エリィの体から力が抜け、ソファに深く腰を沈ませた。
連れ去られてからずっと恐怖を抑え込み、気丈に振る舞っていた。しかし緊張の糸が切れた体は、正直に安堵の反応を示した。
「…………っ」
手を心臓に当ててみれば、今も強く、速く脈を打っている。
――――私は生きているわ
生を感じ、深呼吸をして胸一杯に空気を取り込んだ。ようやく思考に余裕ができたことで、先程まで自分がどれだけ動揺し、混乱状態だったか分かる。
他人から見れば貴族から奴隷への転落人生は最低な生き様だ。しかし死なずに、自分の気持ちに正直になれている間はずっとマシだと思える。
エリィは自分の図太さに苦笑した。
「さて、もう寝ようかな」
連日の悪環境と緊張状態で疲労はたっぷり溜まっていた。体はあちこち痛み、ぐるっと肩を回したらゴリゴリと音がなる。
もし明日セドリックより何か申し付けられてミスでもしたら、ようやく掴みかけている奴隷スローライフを潰しかねない。
チラリとベッドに目を向けた。三人は寝られそうな大きさはある。掛け布団は触らなくても羽毛布団だと判るほどにふわふわの見た目で、使えば疲れは吹き飛んで天国に行けそうだ。
しかし頭を横に振り、誘惑を振り払う。
――――あそこで寝てしまったら、起きられる気がしないわ
セドリックは徹夜と言っていた。途中で疲れて寝ようと気が変わったとき、ベッドを占領するのは奴隷失格だ。
幸いにも座っているソファはエリィが寝そべられる位には大きいし、クッションもある。スラム時代を乗り切った彼女にとっては、ソファだとしても高級ベッドに等しい。エリィは横になって、お腹だけは冷えないようにクッションを前に抱いた。
「ふぁ……」
あまりの寝心地のよさに、すぐに欠伸がでる。これからの展望について少し考えなければ、と思えど睡魔には抗えない。
――――明日から完璧な奴隷になってみせるわ
エリィの意識はゆっくりと微睡み、夢の中へと旅立っていった。
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