04 新しいお仕事(1)
ガタガタと小刻みに揺れながら馬車は夜道を進んでいく。華やかな街はすでに抜け、郊外の奥地を目指す。
森の街道に入ればこの馬車以外に道を通るものはおらず、街灯がない。それにもかかわらず馬車を動かせるのは魔法のお陰だ。馬の足元を照らすように馬車からスポットライトのように光が伸びている。
――――もう少しだけ見えないかしら
エリィは森に入った途端に始まった摩訶不思議な光景に釘付けだった。正面に座るセドリックが思いに耽るように無言で小窓から外を眺めていたので、自分も逆の小窓から真似して覗いてみたのだ。
――――何処にも燃料や駆動装置が見当たらないのに光っているなんて、魔法って凄いわ…………他にはどんな魔法があるのかしら?今日はふたつも見られるだなんて
エリィの想像は膨らみ、思わず引き締めていた顔が緩む。
「魔法は恐くないの?」
「え?」
「ニコニコしながら可愛い顔で外を見てるから」
セドリックは愛でるような視線をエリィに向けた。
――――かっ…………可愛いですって!?サラッと言ったわこの人!
エリィは慌てて両手を頬に当てて顔を俯かせる。まだセドリックに対して警戒は怠ってはいけないのに、気を抜きすぎてしまっていた。それもこれも全ては魔法のせいで、決して彼の甘言のせいではない。そう言い聞かせ、表情をすぐに戻した。
平民生活に馴染みすぎて、仮面の被りかたをなかなか思い出せない。
「未知の力に怯える人もいるでしょう。しかしながら私はそれ以上に興味が勝っております。…………魔法のお陰で奴隷印も痛い思いをせずに済みましたし」
「そうか、エリィに恐がられなくて良かったよ」
セドリックの笑みは更に深まった。
整った容姿は元婚約者をはじめ第二王子の集団で見慣れていたが、こんな微笑みを直接向けられた経験は皆無。強いて言えば兄もそこそこの美形だが、家族は別だ。
――――これは女を落とすための常套手段なのよ。惑わされてはいけないわ。だって普通の奴隷市場ではなく、闇オークションに赴くような人なんだから。これは新手の詐欺よ、詐欺!
旅に出ていきそうだった警戒心を懸命に呼び戻し、うるさい心臓の鼓動を落ち着かせた。だがセドリックにはエリィの努力は通じない。
「あ~あ、また警戒されちゃったか。可愛かったのに」
「…………」
返事をしなくても怒らないセドリックに甘え、エリィはひたすら足元を見ながら無心を装い、無言で馬車に揺られることにした。魔法の光をもっと見たいが、今は我慢する。
甘えている時点で、結局はセドリックへの警戒が薄れていることをエリィは自覚していない。
それから三十分もすると馬車が止まった。御者によって扉が開かれると、立派な屋敷が建っていた。特別大きいわけではないが、照明が惜しみ無く使われ、窓からこぼれた明かりで建物が光って見える。
「さぁ、手を」
先に馬車を降りたセドリックに手を伸ばされるが、迷う。奴隷の身で、立派な屋敷の持ち主のエスコートを受けていいのか分からないのだ。
それを見透かしたようにセドリックはもう一度言う。
「手を重ねて。落ちて怪我しては大変だ。主としての義務を果たさせて」
「はい」
そう言われてしまえば、素直に従うしかない。セドリックに手伝ってもらい、馬車を降りる。しかし降りたのにもかかわらず、エリィの手はセドリックに握られたままだ。
「ご主人様…………逃げませんから」
「んー、そういう意味じゃないんだけど」
「…………?」
振りほどくわけにもいかず、手を繋いだまま屋敷の玄関に足を踏み入れた。玄関には十人ほどの使用人が頭を垂れて、主の帰還を出迎えていた。
「エリィ、この国では家に上がるとき靴を脱いで室内用の靴に履き替えるんだよ」
石造りの玄関より一段高くエンジ色の絨毯の床が広がり、アイボリースリッパが用意されていた。
「あの…………私の足では汚れてしまいます」
奴隷商ではエリィに靴は与えられず、ここまで素足でいたため土埃ですっかり黒くなっていた。汚してしまうのは申し訳ない。
それに屋敷に入った瞬間に使用人たちから向けられた訝しげな視線が痛い。
「スリッパはいくら汚しても良いんだよ。床を汚さないために履くものだからね。それともシャワールームまで抱えられたい?」
「いえっ、履きます!」
ご主人様に抱えられる羞恥より、使用人の痛い視線の方がずっとマシだと判断しすぐにスリッパに足を乗せた。刺さる視線の闇が強まる。
美しい主が見知らぬ汚れた女の手を握って突然の帰宅だ。セドリックに憧れているメイドの怒りは当然で、エリィは握られた手をするりとほどき、お腹辺りで両手を重ねて頭を下げた。
「突然お邪魔し、汚してしまい大変申し訳ございません」
その行動で怒りを示したのはセドリックだ。エリィの肩を抱き、体を起こさせる。
「エリィは頭をあげるんだ。お前たち…………そのような視線を彼女に向けるな。僕が気に入って買ってきたものに、いちいちケチをつけるのかい?」
「いえ、大変失礼致しました!」
怒気の含まれた低い声に使用人は身を震わせ、先程より深く頭を下げた。
「紹介しておこう。彼女の名前はエリィ。奴隷の身分だが、僕の所有物だということを忘れぬように」
「…………かしこまりました」
「さぁ、案内しよう」
再びセドリックに手を握られ、エリィは着いていく。使用人は頭を下げたままだが、前を通れば彼女らの後頭部から嫉妬を感じる。
――――懐かしいオーラだわ。フィル様の婚約者から外れた後もこんな視線を浴びることになるとは、人生分からないわね。美しい男の側は碌なことがないわ
バレないようにセドリックのこめかみ辺りをジトッと睨んだ。
二人の後ろをついてくる使用人はいない。奥へと進み階段を上っていく。すると途中でひとりのメイドが出迎えた。
そしてエリィの姿を視界に入れると、僅かに目を見開いた。だがすぐに無表情に戻り、先程の使用人のような視線を向けることはない。
「セドリック様、おかえりなさいませ。そちらのお客様を教えてもらえますか?」
「今日の出先で見つけ買ってきたエリィだ。左腕に印があるから、風呂のあと隠れるような服を貸してやってくれ。詳しいことはあとで説明する。エリィ、彼女は侍女のシンディだ。何でも頼んで良いからね」
「あ、はい」
「エリィ様、どうぞこちらに」
セドリックに背中を押され、エリィはペコリと頭を下げてシンディについていった。
本当はひとりでお風呂に入りたかったが、異国の風呂の使い勝手がわからず結局シンディに手伝ってもらった。次は絶対にひとりで入ろうと決意し、使い方を懸命に頭に叩き込む。
しかしたっぷりの湯船に浸かるというのは抗いがたい至福の時間だった。遠慮などどこかへ飛んでしまう。
アビス王国での平民時代も節約のためにシャワーの温度は低めで、浴槽にお湯を溜める余裕はなかった。スラム時代は川の冷水で石鹸もなかったことを考えると、温かいお湯は贅沢に感じる。
平民歴はたったの一年ちょっと。されど一年。温かいお湯はせっかく奥に仕舞い込んだ令嬢時代の暮らしの記憶まで、思い出してしまいそうになる。鼻の奥がツンとしたのを感じ、もったいないと思いつつ湯船からでた。
水色のシンプルなワンピースが用意されており、袖を通し風呂場をあとにする。
そのあと案内された部屋はセドリックの私室だった。部屋の右半分にはソファとテーブル、左半分にはベッドが配置されていた。
セドリックはまだ出掛けたときのままの服装でソファに腰掛け、お茶を飲んでいた。後ろには執事が控えている。
セドリックと目線が合えばやはり微笑みを向けられるが、エリィの心に響くことはない。イケメンの側は危険が潜んでいることを身をもって経験しているのだ。
「貴重なお湯を使わせていただきありがとうございました」
「これからはいつでも使って良いからね…………後ろにいるのは執事のブルーノだよ。さてエリィの仕事の話をしよう。ソファに座って?」
セドリックは自分の隣をポンポンと手で叩く。エリィは不本意で奴隷になったとはいえ、雇い主の隣に座っていいものなのか躊躇する。
先程からセドリックはエリィに殊更甘い。この国の奴隷が他国より厚待遇だとしても、甘い。仮に知り合いだとしても、甘い。何か罠があるんじゃないかと勘繰ってしまう。
――――ここは第三者の反応を!
チラリとシンディを窺えば、真顔で頷いている。セドリックの後ろに控えるブルーノはセドリックと同じく微笑みを浮かべ首を縦に振った。
悔しい気持ちを飲み込んで、できるだけ離れるよう端を狙ってソファに腰掛けた。
「失礼します」
「ふっ、ははは。可愛い見た目で、警戒心があって、でもなんだかんだ主の機嫌を考えてくれる。そんな君にぴったりの仕事をあげよう」
ついに自分の運命が決まる。数時間前までは全てを諦めたような気持ちだったが、今は何とかなる気がしている。
エリィは正面から見据えるように上半身をセドリックに向け、背筋を伸ばした。
「お聞かせくださいませ」
「うん。君は今日から僕のペットで決まりだよ」
「――――はい?」
エリィの脳裏では、積み重なっていたセドリックの好感度が崩れる音が聞こえた。