03 闇オークションの妖精(3)
エリィはステージ登場の前と同様に再び目隠しをされ、移動させられた。視界がなく足元が覚束ない彼女を気にすることなく手錠を強く引かれて、手首が痛む。「痛い」と言えば反抗的だと捉われ、何をされるか分からない。奥歯を噛みしめて痛みを堪え付いて行く。
「ここで待っていろ」
「はい……」
エリィは風通しの良い、人の気配のない廊下に残された。初春の風は、簡素なワンピースに素足という姿のエリィの体温を奪っていく。立ったまま足の指を擦り合わせ、冷えを凌ぎながら待つ。背は壁につけない。無機質な壁はより体温を奪うことを経験上知っていたからだ。国外追放されたばかりの時に似た体験をしたな、と思わず苦笑いを浮かべた。
――――せっかくあの時に生き残ろうと頑張ったのに……無駄だったのかな?
貴族のプライドを早々に捨て、欲を捨て、唯一の思い出を捨て、ようやく見えてきた平穏な時間は指をすり抜け、淡雪のように溶けて消えてしまった。乙女のプライドさえ捨てれば生き残れるだろうが、その先の希望が見えない。
国外追放された時だってこんなにも気持ちは沈まなかった。まだ自由という自分で選択できる道が残されていた。逆境に立ち向かう勇気があった。だが今は…………
エリィは顔を俯かせ、冷えを凌ぐ行為を止めた。
じっと待っていると足音が聞こえ、目の前で止まるとエリィは体を強張らせた。
「僕が君の雇い主だ。馬車に乗るよ」
「――ぁ」
突然手を握られ、エリィは反射的に手を振り払ってしまう。致命的な行動に気付きすぐに謝ろうと思うものの、体は震えカチカチと歯を鳴らすことしかできない。雇い主の僅かな無言の時間が恐ろしく、頭は真っ白になる。
しかし次に聞こえてきたのは、とても柔らかい声だった。
「ごめんね。ここから君を出すには手を握るか、抱えていくしかないんだ。どっちがいい?」
「…………手で、お願い、します」
「わかった。その前に失礼。手が冷たすぎる」
エリィの冷えた体にふわりとコートをかけられた。まだ雇い主の体温が残り、その温もりが彼女の緊張状態を解いていく。そっと優しく手を握られてエリィは馬車に乗り込んだのだ。
馬車が動き始めて数分後、エリィの目隠しが外された。
目の前には整った容姿の青年が微笑みを向けていた。柔らかいオレンジブラウンの髪、空のような透き通る水色の瞳の甘いマスクは女性が好きそうな造形だ。髪はエリィと長さがほぼ変わらないのか、後ろで一つ結びにされている。
「初めまして。僕が雇い主のセドリック・カーターだ。年は二十七になる」
そう名乗った青年の名前を聞いてエリィは目を見開いた。彼の名は風の噂で聞いたことがある、とある国のプレイボーイの名だ。真偽不明のゴシップ誌の隅っこにあるようなネタで、あくまで噂レベルだが、その国の令嬢全員のスリーサイズを知っているだとかそんなところだ。あまりにも浮名を流しすぎて伯爵家の跡継ぎ保留中とも書いてあった。
今までは作り話だと面白く読んでいたが、その噂も信じてしまうほどの整った容姿の男が目の前に現れたのだ。優しさに感動し、温まった気持ちもすぐに冷める。
――――危なかったわ!こうやって優しくして数多の令嬢を口説き落として毒牙にかけていたのね!?
エリィは表情を引き締め、深く頭をさげた。
「私はエリィと申します」
「エリィだね。苗字は?」
「ただのエリィでございます、ご主人様」
セドリックは少し逡巡したあと、柔らかかった微笑みを引っ込め真顔で聞き直す。
「ここに来る前はなにをしていた?」
「アビス王国の辺境地にて花屋で働いておりましたが、人攫いに合い、不本意でここに」
「国を超えているのか…………では花屋の前はどんな生活を?家族は…………」
「家族はおりません。スラムの炊き出しを恵んでもらう日々でした」
嘘は言っていない。セドリックが「孤児か」と一人で納得しているのであえて訂正もしない。
エリアル・アレンスの名は一年前に失われた。ここで素直に経歴を明かし「元伯爵令嬢が奴隷落ち」と知られれば、家の足を更に引っ張る可能性もある。家族にこれ以上の迷惑はかけたくなかった。
エリィは臆することなく、セドリックの瞳を見つめ返した。
「…………よく乗り越えてきたな」
「ありがとうございます」
セドリックの鋭い目線が消えたことでエリアルは心のなかでほっと一息ついて、また頭を下げた。境遇を労ってくれるくらいには、この雇い主は優しいらしい。
それよりも自分が置かれている状況の情報が少なすぎる。ちらりとセドリックを見上げると、彼は小窓から暗闇の外を眺めていた。何か考えているのか、僅かに目を細めている。
服装を見ればシワのないパリッとした白シャツ、光沢のある上質なベスト、しなやかな生地のスラックスを履いており上流階級なのは明らか。落札価格を払える時点で随分と資産を持っているのは知っているが、分かるのはそれだけだ。
本当に伯爵家に名を連ねる者ならばエリィから声をかけるのは無礼にあたる。聞きたいことがあっても、声をかけられずにセドリックの顔を見つめることしかできない。
「…………見すぎではないか?」
「申し訳ございません」
ぶつかった視線にドキリとし慌てて謝れば、セドリックはまた優しげな微笑みを浮かべ許した。エリィはおずおずとした様子で聞いた。
「あまりにも分からないことが多すぎて、色々と教えていただきたいのですが」
「あ、そうか。人拐いにあったんだったな。いいよ、聞いてごらん」
「では、ここはなんという国なのでしょうか?」
「ここはラグドール王国だよ。知っている?」
エリィは国名を聞いて驚きつつ、頷いた。
ラグドール王国は故郷ユースリア王国から隣国を挟んで位置する王国だ。アビス国からは接している。樹海に囲まれた閉鎖的な国で、不思議な力をもつ『魔法使い』が存在する謎多き国。魔法の力で独自の技術を築き上げ、閉鎖的なのにもかかわらず栄華を誇っていると聞く。
その力を欲して攻めいる国もあるが、樹海に惑いの魔法がかけられているようで近づくだけで一苦労。過去一度も落とされたことのない強国だ。近いにもかかわらず、エリィの故郷ユースリア王国とはほとんど交流はない。
思わず魔法について聞きたくなるが、心を落ち着かせ質問を続ける。
「ラグドール王国での奴隷は合法なのでしょうか?」
「そうだよ。その代わり人体実験など、昔のような非人道的な行いは禁じられている。賃金は発生しないが、健康的な生命の保持ができる衣食住を与えることが義務となっており、生命の危機に関わる体罰は厳禁だ。発覚すれば国に罰せられる」
「奴隷の方に何か決まりはありますか?」
「仕事の選択はできないことかな。雇い主の与えた仕事は絶対であり、生命の危機が伴わない限り拒否は許されない」
――――夜のお相手を求められたら、拒否はできないのね。心や体は傷ついても、物理的に命の危機は無い。困ったわね
エリィは苦汁を舐めたような気持ちになった。そこへ追い討ちがかかる。
「あとは奴隷印を体に刻むことが必要ってところかな」
「ど…………奴隷印…………」
ごくりと息を飲んだ。奴隷印を刻む際は肌に入れ墨をいれるか、焼き印を入れる方法をエリィは思い浮かべた。それはとてつもなく痛みを伴い、熱に魘され、気を失う者すらいるという知識が残っていた。
想像だけで背筋が凍り、エリィは顔を青ざめさせた。命の危機が無いとはいえ、拷問だ。
「痛いのは嫌です…………逃げませんから、どうか、どうか…………」
そんな震えるエリィの手錠の上にセドリックの手が乗せられる。もう片方の手はコートをエリィの肩から外し、ワンピースの緩い袖から手を滑り込みませた。エリィは左の上腕の素肌を撫でられ、身を引きそうになる。
「動かないで」
セドリックが有無を言わさない低い声でエリィに命令した。
するとセドリックの手から光が溢れはじめ、生まれて始めて見る魔法に恐怖も飛んだ。蝋燭とも、焚き火とも違う熱さを感じる青い淡い光は幻想的だった。
そして光が収まった刹那、ゴトリと重い音をたてて手錠が床に落ちる。セドリックが鍵を外す仕草はしておらず、想像できないカラクリにエリィは何度も軽くなった手首を確認する。
「これでエリィは正式に僕のものになったよ」
セドリックが腕に添えていた手を引き抜く。エリィがワンピースの袖を捲ると、左腕にはラグドール王国の刻印が肌にくっきりと茶色く浮いていた。
「もしかして、これが奴隷印…………」
「手錠の解除条件が奴隷印の刻印なんだ。魔法で刻んだから痛くなかったでしょ?普段は隠しておいて。でも身の危険を感じたら相手に見せるように。誰かの所有物だとわかれば、その奴隷印はきっと君を守ってくれるから」
「はい」
奴隷を保有するのは貴族か影響力のある資産家だ。その所有物に手を出すなど喧嘩をうるようなもので、よほどの馬鹿でない限り奴隷印をみれば引き下がるのだろうと考えた。セドリックの忠告をきちんとエリィは頭に叩き込む。
「あと契約主に悪意のある攻撃を加えようとすると跳ね返る仕組みになっているから、気を付けて」
奴隷印を確認するように指で撫でるセドリックの瞳は柔らかい。先程から奴隷相手なのに不器用ながら気を配り、触れ方はとても優しい。
――――ゴシップ雑誌の通りなら女遊びは激しい人かもしれないけど、本当の悪い人ではないのかもしれないわ。きっと無理強いなどしないはずよね?
彼には不思議と人の心を落ち着かせる雰囲気がある。エリィの身に理不尽な出来事がありすぎて、知らないうちに優しさに弱くなっていたのだ。僅かだが『セドリック様は信用できるのでは?』という気持ちさえ芽生え始めている。
ただ相手にそれを悟らせ弱みをみせることはしない。エリィは無表情を崩さないよう心がけ、改めて挨拶をした。
「ご主人様、どうか宜しくお願い致します」
「うん、宜しくね」
奴隷生活の不安は相変わらず大きい。しかし絶望して沈んでいた気持ちは僅かに上昇し、エリィは捨てかけていた希望の光に手を伸ばした。