アナザーストーリーズ「突然あらわれ突然去った人~向田邦子の真実~」[字]…の番組内容解析まとめ


出典:EPGの番組情報


アナザーストーリーズ「突然あらわれ突然去った人~向田邦子の真実~」[字]

台湾の空に消えたドラマの女王、向田邦子。女のずるさ、いじらしさ、内に秘めた情念を描き、時の人に。その創作の源はどこにあったのか?数々の名作に隠された真実とは!?

詳細情報
番組内容
1981年8月、向田邦子は台湾で飛行機事故に遭い、帰らぬ人となった。当時、向田はドラマ「寺内貫太郎一家」「阿修羅のごとく」「あ・うん」などで昭和を代表する脚本家、その前年に直木賞を受賞した“時の人”だった。家族を描かせたら天下一品、その創作の源は向田自身の家族にあった!40年前、録音された本人の肉声テープを発見。最後の作品に主演した桃井かおりや関係者の証言から名作の裏にある向田邦子の真実に迫る。
出演者
【司会】松嶋菜々子,【出演】桃井かおり,【語り】濱田岳


ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 - ドキュメンタリー全般
情報/ワイドショー - 芸能・ワイドショー
バラエティ - その他


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その人が描くドラマは
いつも特別だった。

あっ お鏡じゃないの。

ねえ 何か思い出さない?
このお餅のひび割れ 見て…。

あっ…。
お母さんの かかと!

それ言いたかったの! そう!

日常の何気ない会話の妙

そして大人の恋。

女のずるさ いじらしさ

人に言えない秘密…。

その独特の世界に
みんな夢中になった。

すごいいい みんな
どの人も みんな よかったですよ。

ドラマだけではない。

エッセイの名手であり

小説家デビューを
果たすと

僅か半年で…

だが 本人は…。

節目節目で思いがけない方に巡り会って…

その向田が…。

(アナウンサー)「台湾の遠東航空の旅客機が

昨日 空中爆発を起こして墜落し

乗客と乗員110人全員が死亡しました。

旅客機には作家の向田邦子さんをはじめ
18人の日本人が乗っていました」。

突然の飛行機事故…。

帰らぬ人となった。

♬~

そんなラストシーンを
一体 誰が予測できたでしょうか。

飛行機事故に巻き込まれた 日本人女性。
K・ムコウダ。

それは 数々の名作ドラマを世に出した
脚本家・向田邦子でした。

51歳。

あまりにも早い 惜しまれる死でした。

運命の分岐点は 1981年8月22日。

向田邦子が 台湾の空に消えた日です。

あの日 事故の一報を受けた記者たちが

東京・赤坂にある一軒の店に
押し寄せました。

向田邦子の妹が営む…

第1の視点は

悲しみの中で
報道陣を一人で受け止めた…

幼い日から苦楽を共にした
妹にしか語れない

向田邦子と家族のアナザーストーリー。

台湾を取材旅行中だった
向田邦子は

次の目的地に向かうため
旅客機に乗った。

しかし 離陸から十数分後

旅客機は 空中で爆発。

乗客全員が死亡した。

整備不良が原因だったといわれている。

この知らせに 日本中が騒然となった。

あの 突然のことで まだ
信じたくありません。 それが本心です。

昨日 台北から
本人の母の体を気遣う電話がありまして

楽しそうな旅行を続けてるような
話でした。

彼女は その日 一人で会見に臨んでいた。

妹 向田和子。

信じたくないということが第一ですね。

それと正確に知らせなくちゃならない
ということが一番ですよ。

その素顔を誰よりも知る妹が見た…

向田邦子は 60年代半ば
テレビの世界に颯爽と登場した。

生み出された
数々の名作の一つ 「阿修羅のごとく」。

話があるの。

父に愛人と子どもがいるらしいと
集まった四姉妹…。

月謝かなんか
出してんのかと思ったのよ。

大学生かなんかの。
のんきね お姉さん。

向田邦子から大きな影響を受けた…

そのリアルな人物描写に魅せられた。

その日は お父さんのことを
話し合う日なんだけど

4人の関係っていうのかな
姉妹の関係が一発で分かるんですよね。

私たちの仕事にとっては
大事なことなんだなっていうのも。

その魅力は 細部まで行き届いた
「観察」から生まれている。

才能の片鱗は 早くから現れていた。

小学校5年生の時の作文を聴いて頂こう。

「照国神社は初詣の人で一ぱいだ」。

短いセンテンスで 情景が目に浮かぶ描写。

まるで 脚本のト書きのようだ。

向田邦子は昭和4年
4人きょうだいの長女として生まれた。

妹の和子は 9歳年下の末っ子。

父の敏雄は 保険会社に給仕として入り

最後は 部長にまで上り詰めた
たたき上げだった。

家では厳しい家長。

子どもたちをどなったり 手を上げたり…。

邦子も和子も その被害にあっていた。

和子が中学生の時のこと。

身勝手な
父をぼやく和子に

邦子は意外なことを言った。

「お姉ちゃん」…

実は 敏雄は父を知らず
女手一つで育てられた。

高等小学校しか出ていなかったが

その中で人一倍 努力をして出世した。

邦子は そんな父を
よく観察していたのだ。

かわいそうだけど…

非常に…

そうすると 生きていくためのね…

後年 まとめられたエッセイで
こんなエピソードを紹介している。

邦子は小学生の頃
海水浴場で下着を盗まれたことがある。

家で晩酌しながら その話を聞いた父は

「馬鹿!」と どなり…

邦子が その理不尽さに
トイレで涙を拭いていると

隣の男便所に 父が入ってきた。

邦子は 暴君のような振る舞いの裏にある
父の不器用な愛情に気づいていた。

実践女子専門学校を卒業後

邦子は 21歳で
教育映画製作会社の社長秘書になった。

その後 転職を重ねる中で

シナリオライター集団に参加。

30歳で
ラジオ番組の
台本を書き始めた。

さまざまな仕事を経験する中で
邦子は表現技術を磨いてゆく。

その師匠の一人が…

邦子の文才を目に留めた森繁が

自分の番組の台本を書かせたのだ。

森繁の軽妙洒脱な
話術に鍛えられ

邦子の才能は開花。

テレビドラマに進出するや
めきめき頭角を現していく。

ちょうど このころ
父との間で一つの事件が起きた。

ある日 邦子は
父に新しい眼鏡をプレゼントした。

和子は この時の邦子と父の衝突を
鮮明に記憶している。

そうしたらね うちの父は…

遺影の写真に うってつけ。

この冗談が 父の逆鱗に触れた。

そこが
向田邦子の おかしいとこなのよ。

そこがドラマなのよ うちのね。

いさかいの結果 邦子が家を出たのは

折も折 東京オリンピック
開会式の日だった。

不動産屋に案内されたマンションからは

歓喜に沸く国立競技場が見下ろせた。

家を出てから4年後

父は心不全で急逝。

その後 邦子のドラマには
亡き父の姿が色濃く投影されていく。

佐分利 信演じる
口下手だが 情の深い父。

♬~

フランキー堺は 亡き父に似ていると
邦子が この役に推薦した。

義彦…。

華族様じゃあるまいし
大工じゃないか その格好。

笑わせやがる。
お父さん!

義彦さんは大工さんじゃありません。
この人は ちゃんとした…。

目障りなもの いつまで かぶって…。

義彦さん…。

そういうつきあいなのか お前たちは。

もちろん この人にも…。

おとうさん おとうさん!

小林亜星演じる
短気で けんかっ早い頑固おやじ 貫太郎。

寺内家が巻き起こす
笑いと涙のホームドラマは

平均視聴率 31.3%の
大ヒットを記録した。

脚本家・大石 静は
コメディータッチの このドラマの中に

向田邦子が忍ばせた
女のエロスに圧倒されたと言う。

私が 一番びっくりしたのは

行き倒れの女が倒れていて
その行き倒れの女を一家で助けると

その 西城秀樹の長男が
その女を好きになっちゃうんですよね。

そしたら その女の人は
なんだか謎めいた女の人で

ある日 スーッと日傘を差して
出ていって それを…

ちゃ~って おしっこするんですよね。

それで 西城秀樹は それを見て
なんか どきってすると

女の人は終わって 傘を もう一回 差して
西城秀樹のことを振り返って

にって笑って 去っていくんですよね。

その… そしたら もう
彼は もっと好きになっちゃうわけ。

1975年。

「寺内貫太郎一家」が大ヒットした翌年

46歳の邦子の体に 異変が起きる。

乳がんが見つかったのだ。

その手術が終わり

妹の和子は これで一安心と
胸をなで下ろしたのだが…。

退院してきてね あの…

私を寄せつけなくなったんですよ。

たまりかねた和子は 電話で問い詰めた。

そうしたら ちょっと あきれたというか

もう 嘘つけないって
あの人 感じたんじゃない?

だが間もなく 邦子は心を決め

和子を とある小料理屋に呼び出した。

そうしたら 「実は私」…

「まあ うまくいけば あれだけど」…

これは そのころの邦子が
ひそかに買い集めた がんについての本。

実は手術後の輸血で 血清肝炎を発症。

「悪くすると余命半年」
と宣告を受けていた。

聞いた和子は…。

仕事をやめて頂きたい。

…って こう言ったのよ。

そして邦子は
思いがけない話を持ち出した。

和子に
小料理屋を始めないかという提案だった。

父の死後 家族を支えてきた邦子は

万一の場合でも 老いた母と妹が
暮らしていけるようにと考えたのだ。

この時 和子は38歳。

会社員をやめて 2年がたっていた。

邦子は 店の場所を

テレビ各局から ほど近い
赤坂に決め

和子を板前修業に出した。

そして出来たのが「ままや」だ。

邦子は この店を
打ち合わせや連絡の場として活用。

和子の手料理は 評判となり

「ままや」は見事 軌道に乗った。

幸い 手術から1年が過ぎ
3年が過ぎても

病状に大きな変化はなかった。

そんな中で 邦子が手がけたのが

男と男の友情の物語だった。

生まれる子どもな。

もし 大砲がついてたら
お前にとっても初めての男の子だ。

「おめでとう でかした」で
引き下がるよ。

もし ついてなかったらな…。

女の子だったら?

俺にくれないか?

だめか。

うれしいんだよ。

水田。

昭和初期の東京・山の手を舞台に

「あ・うん」の こま犬のように
息が合う男同士の友情と

親友の妻への秘めた恋心を描いた
傑作だった。

このドラマの
制作主任だった菅野高至。

何より悩まされたのは
邦子の脚本が

なかなか
書き上がらないことだった。

「向田さん 頼みますよ」って言って

「うん 大丈夫。 ちゃんと書いてるから。
ちゃんと書くから。

また2時間たったら電話して」って
言ったらね また眠ってるんですよね。

しかし 一度 執筆に没頭すると

邦子の筆は はやかった。

声が聞こえてくるんで
それを追いかけて書いていくと…

筆がはやすぎるあまり 文字が読めない。

邦子の脚本は いつも そんなふうに
一気呵成に紡ぎ出されていった。

今 思うと
どこか天才型だと思ってるから

何とかなるわよという ずぶとさが意外と
あったんじゃないかなって気がするのね。

ドラマ「あ・うん」は高評価。

脚本家としての新境地を開いた。

更には 小説家としても
鮮烈なデビューを飾り

これからの作品に
ますます期待が寄せられた

そのやさき…。

まさに 突然の
事故だった。

和子は 姉と共に作った「ままや」で

その死を受け止めることになった。

これは
事故の翌日に出た「毎日新聞」の記事です。

ここにも
運命の小さないたずらが あります。

くしくも
発売されたばかりの「小説新潮」に

向田邦子の新作が掲載されていたのです。

その年 向田邦子は 連載中の小説
「思い出トランプ」の短編3作で…

小説家としても
輝かしい未来が待っていたはずでした。

今回の取材中
向田邦子の肉声が入った録音テープが

40年ぶりに発見されました。

亡くなる1年前
テレビドラマの世界から

小説という新たなフィールドへ踏み出した
心境を明かしたものです。

第2の視点は…

向田邦子に
小説を書くことを勧め

そのデビューから
共に歩んだ人物です。

脚本家から小説家へ
活躍の場を広げた裏に何があったのか?

そのターニング・ポイントを探る
アナザーストーリーです。

邦子を小説の世界にいざなった…

あの日のことは
今でも忘れられないという。

びっくりしちゃって…。

発売日。

休日ですよね 確か。

土曜日 午前中ですね。

そこへ 会社の同僚から電話かかってきて。

「向田さんって台湾に旅行中?」っていう
電話だったんですよね。

手帳を見たら そうそう…。

台湾。 25日まで台湾っていうのが
書いてあって。

畳みかけるように…

横山が手がけた
向田邦子の最新作。

それが世に出た日
邦子はもう いなかった。

横山は 40年ぶりに

邦子が住んでいた
このマンションを訪れた。

まあ あまり変わってないですね。

彼は いつも
このロビーで原稿を待っていたという。

2時間 3時間 待たされるのは
ザラだった。

気づくと エレベーターのドアが開き

原稿を持った邦子が姿を見せる。

そして 横山が原稿を受け取る時の
いつもの儀式が始まるのだ。

淡々と… 本当に淡々とした調子で

読みながら 向田さんは恐らく…

邦子が小説を書き始めたのは 1979年。

数々の名作ドラマを連打し

脚本家として まさに
円熟期に入ろうとしていた頃だった。

当時の心境を知る手がかりがある。

向田邦子本人が語った肉声テープ。

今回の取材で
新潮社から 40年ぶりに発見された。

(邦子)その時に…

(邦子)消えてしまうよさがあると
思っておりましたけども 私は…

(邦子)…っていうことに気がつきました。

大石 静は 邦子が小説という
新たな表現に挑んだのは

がんを患ったことと関係があると
考えている。

大石もまた がんを2度 経験しながら
執筆活動を続けている。

普通 元気だったら40代では
あんまり死を隣に感じないけど

そういう手術されたりなんかすると…

…と思われて。

横山は 「書きたい小説」について語った
邦子の不思議な言葉を よく覚えている。

着物の和服の場合…

なんか知らない間に
いろんなものが たまります。

そういう 気がつかない間にある…

綿ごみのように気づかぬうちに
記憶の中に たまっているもの…。

短編の連作は こうして始まった。

タイトルもね…

「思い出トランプ」というタイトルから

横山は のどかなエッセイに近い作品を
想像していた。

しかし
受け取った原稿は

男女の愛憎劇だった。

男女関係の微妙な話が
ほとんどなわけですけれども

そうなるとは僕の方は
予想してなかったですね。 ええ。

直木賞の対象の一作になった 「かわうそ」。

主人公の宅次は ある日 脳卒中で倒れ
自宅で療養していたが

妻の厚子は悲観するどころか
妙に生き生きし始める。

宅次は 自分の病気を まるで
イベントのように楽しんでいる厚子に

衝撃を受ける。

初めて知る 妻の二面性。

おののく宅次は 無意識のうちに
台所で包丁を手に取る。

その刃の向かう先は
厚子なのか 自分なのか…。

そして… 小説の最後は こう結ばれる。

実は この物語には
生涯 独身を貫いた邦子の

ある秘め事が隠されていた。

それは 邦子の没後20年に

妹 和子が発表した一冊の本で
明らかにされた。

遺品の中から見つかった ある男性との
手紙のやり取りが おさめられている。

その男性は晩年 「かわうそ」の主人公同様
脳卒中を患っていた。

その恋は 20代から始まった。

相手は 10歳以上も上の
妻子あるカメラマン。

この美しいポートレートは
彼が撮ったものだ。

その彼が脳卒中を患ったあと

邦子は仕事帰りに足しげく通い
なにかと世話を焼いた。

しかし 2人は結ばれることなく
男性は この世を去った。

それは
妹の和子も知らない邦子の姿だった。

和子は この手紙を発見したあと
世に出すことを ためらった。

迷う和子の背中を押したのは 横山だった。

それは あの ただ それだけでは…。

…っていうようなことを おっしゃったの。

生前 自身のプライベートについて
ほとんど語らなかった邦子。

小説はドラマとは違い 自分の思いを
さらけ出せる場だったのかもしれない。

「恋文」 あれに出てくる
男性とのことなんかも

やっぱり ずっと
おっしゃらなかったもんね。

「かわうそ」書かれるまでは
一切そこには触れてないけど…

恋愛にしてもね。 うん。 それを両親…。

それは…

40年ぶりに見つかったテープの中で

「かわうそ」についての
微妙な気持ちを語っている。

(邦子)自分で書いたものの中では…

「花の名前」 「かわうそ」
「犬小屋」。

まだ本にもなっていない
連載中の作品が

直木賞に決まった。

祝賀会は 10月13日。

5年前に がんの手術を受けた
まさに その日だった。

それ以上に

普通の
気持ちになって ものが書けるかどうか

ほんとに頼りない気持ちでした。

ただ あの時 言葉で

大丈夫
ということは言えませんでしたけども

たくさんの方の お力添え 後押しで

思いがけない賞まで頂きまして…

いいスピーチですね。

優しいって言葉も
難しいけれども… うん。

なんかね 特別。

私は 特別な人だったって感じですね。

小説家としても名声を得た邦子。

生き急ぐように 作品を発表していく。

そして テレビの世界でも

これまでにないセンセーショナルな
ドラマに挑むことになる。

もし あの事故がなければ

向田邦子は もっと多くの名作ドラマを
生み出したはずです。

しかし 残念なことに

亡くなった年のドラマ
「隣りの女」が最後となりました。

第3の視点は…。

向田邦子が
このドラマのヒロインに選んだ…

初めてタッグを組んだ2人は

それまでの向田作品にはなかった領域に
果敢に踏み込みます。

頼むわよ~ ちょっと!

これだけ お願い… あっ!

このドラマの延長線上に
あったかもしれない

新たな向田ワールド。

遺作となった作品のヒロインだけが知る
アナザーストーリーです。

向田ドラマ最後のヒロインは

現在 アメリカ ロサンゼルスを拠点に
活動している。

お久しぶりで~す。

どうも ご無沙汰していま~す。

え~ 69歳になった 桃井かおりで~す。

私も何も分かってませんでしたよ。
向田さんに ただ憧れてただけで。

とにかく私たち… 向田さんがいた時代に
女優をやった女優は

みんな向田さんの脚本に出れば
もう輝いてましたよ。

すごいいい みんな
どの人も みんな よかったですよ。

この人には かなわない
って思っちゃいますよ。

1971年にデビューした桃井は

時代の空気を まとった
天衣無縫な演技で注目された。

だが なぜか向田作品とは
縁がなかった。

向田邦子は その桃井を

新たなチャレンジのパートナーとして
選んだ。

私たちの世代は 俳優といっても

芸を売るよりも存在を売るという
まあ そういった感じの時間だったので

私は その時代 その時間に…

向田邦子と桃井かおり。

最後のコラボレーションは
どんな化学反応を生んだのか?

ドラマのプロデューサー 田澤正稔。

直木賞を受賞した邦子に
だめもとを覚悟で脚本を頼んだ。

予想に反して 邦子は快諾。

その場で 「3つのコンセプト」を提示した。

この3つがね

ポンポンポーンとね
出てきちゃったんだよね。

やっぱりね…

井原西鶴の「好色五人女」を下敷きに

平凡な主婦が 隣の女の情事に刺激され

奔放な性に目覚めていく物語。

邦子は この大胆な構想に
ふさわしい女優を探していた。

ドラマ…

主演…

隣の女…

その愛人…

そして 脚本 向田邦子が
勢ぞろいした。

向田に桃井は 物おじせずに話しかけた。

そいで その向田さんに会った時に…

万引きしたことない子どもと

いたずら電話したことのない女なんて
いませんよね なんて

一気にガブッて かぶりこんだ。

何ていうの?
かぶってったの覚えてます。

う~ん そうかもね みたいな。
向田さんがね。

聞いてるっていう感じよりも

こっちが しゃべりたくなるっていうのに
似てると思うんですけど。

ドラマが制作されたのは 1981年。

高度成長が終わり
まだバブル経済が始まる前の…

…といわれた時代。

桃井は 何か満たされない
平凡な一人の主婦を演じた。

う~ん… すごく覚えてんのが

その出だしに 大泉の主婦で
団地に住んでる主婦で

それで 何ていうんだろう
ソックスはいてて

膝に なんかニキビができてるみたいな女。

なんか 膝 よく触るんで
かぶれてるみたいな女なんですね。

それがね ごみを捨てるっていう
ところから始まってたと思うんですけど。

あっ! いや! ちょっと待って!

お願い! 頼むわよ ちょっと!

この主婦が やがて

隣の女のもとへ通う男と
恋に落ちていく。

きっかけとなる
重要な場面。

脚本には 上野から
谷川岳までの

駅の名前が
並んでいるだけ。

この不思議なセリフは
アパートの隣の部屋から

薄いモルタルの壁越しに聞こえてくる。

「上野。 尾久。 赤羽。 浦和。

大宮。 宮原。

上尾。 桶川。 北本。 鴻巣。 吹上。

行田。 熊谷。 籠原。 深谷。 岡部」。

横の部屋にいて
駅名をね こう つぶやいていく。

なんか その…

なんか こう 隣に浅丘ルリ子さんが
住んでるっていうだけで

もう全面的に負けじゃん。

なんか そういった感じが
もう びったし あの役に はまってきて。

ほんとに 何ですかね
なんか惨めな

もう膝小僧が どんどん
かたくなっていくようなね。

(田澤)台本を読むでしょ。
もう今でもゾクゾクッとするよ。

モルタルっていう…
だから ああいう 壁が薄くてみたいなね。

そういうのもね 全部ね…

主人公の主婦は
根津甚八演じる男と恋に落ち

ニューヨークまで追いかける。

当初 桃井は この展開に首をかしげた。

「行けるかな!? ニューヨークに」
ってことですよ。

「主婦が ニューヨークに
行けるかな?」って。

「名古屋だって行くかな?」とか
私は思ってたんですよ。

そしたらね 向田さんが
「行くんじゃない?」って

なんか まあ 自信あるような
こう ちょっと目が動きながらの

「あるんじゃない?」
っていう感じだったんですよ。

あの人はね 体でね 思いつける人だったと
思うんですよ。

「この女 どうするだろう」っていったら

頭で考えないでも
「ああ こうすんだ」って

浮かぶんだと思います
泡みたいに ポンって。

「隣りの女」は 25%という高視聴率を記録。

桃井は邦子と 次回作の約束を交わした。

それは 夏目漱石の「虞美人草」を
もとにしたドラマになるはずだった。

しかし…

その約束が
果たされることはなかった。

私は 軽井沢にいて

えっと ユーミンのコンサートがあって

その軽井沢にいて コテージで

で そこに電話を頂いて

それで すぐ 車で帰って

もう ぶつかりそうになりながら帰って

ごうごう泣きましたね。

向田邦子の 51年の人生。

最後のドラマを共にした桃井は
あの時 29歳だった。

だから私なんか
ものすごい めんどくさい

小生意気なガキだったに違いないので

その時に 何か俳優としてのヒントを
くれようとしてた作品だと思うんですね。

やっぱり ブスなのに かっこいい役を
やりたがってる桃井かおりに

「あんた ほんとにブスだから」って
言ってくれたのが 「隣りの女」だったし

それで 「こっち側の人間だからね」って
なんか もうね…

向田さんは何してんだろう
ってことですよ。

死んで何してんだろうっていう。

向田邦子を失ったことで
私たちは何をなくしたのでしょうか。

ある人は かけがえのない家族をなくし

ある人は 小説の未来をなくし

ある人は 新しいドラマのチャンスを
なくしました。

向田邦子の死が もたらした喪失感は

人それぞれに深いものでした。

でも それ以上に向田邦子は
すてきな贈り物を遺してくれました。

彼女の書いたドラマ 小説
エッセイなどの作品を通じて

私たちは いつでも向田さんと
再会することができるのです。

邦子が亡くなった翌年

テレビドラマの優れた脚本家に与えられる
「向田邦子賞」が創設された。

日本のドラマを支えてきた
そうそうたる顔ぶれが

受賞者に
名を連ねている。

大石 静も その一人。

現在は選考委員を務めている。

既成の価値観を打ち破りつつ
やっていきたいなっていうのは

向田さんから教わったことだなと
思います。

常識の向こう側にある真実みたいなのが
必ずあると思うんですよね。

そういうものを描ける脚本家でいたいな
っていうふうに思ってます。

桃井かおりは
向田邦子の亡くなった年齢を超え

今年 70になる。

老いに関して

死に関して 長生きに関して

向田さんに もうちょっと…
エッセイが欲しい。

向田さんのエッセイが欲しいですね。

私は 生きてるってことは
こじゃれたことにしたいですよね。

これからは老けてみせますよ きっちり。

しわくちゃになってみせますよ。 見事に。

向田さんの まあ 何ていうか
息を… 血を浴びた女は

こんなふうに育っています
って感じですかね。

♬~

切り立った山。 すごい迫力。


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