ネットで分かりやすいのは「男が悪い」「フェミが悪い」という一方的な二元論であり、それを煽り、配信などでお金を得ている人がいるのである。
今回の高校生の署名活動はそうした人たちから「ちょうどいい餌」として利用されてしまったのである。
現状、男女の性差の問題もあれば、経済格差の問題もあるという状態だが、フェミニズム側にもアンチフェミ側にも、それを区分せずにごちゃ混ぜにして語ることで、相手を貶めるために利用する人が存在するのである。
今回も、女子高生がもった疑問に対して誠実に対応するのでは無く、外野から誹謗中傷を加えバカにしてあざ笑う事で、気持ちよくなっている人たちが見られた。
だが、本当に重要な事は他者の意見をしっかりと踏まえ、真っ正面から論じることではないだろうか。
いくらフェミの主張をあざ笑ったところで、格差問題は一切解消しない。それどころか「企業がお金を出してやったことに文句を言うな」と主張するのでは、金の有無による権力差を受け入れるということにすぎない。それでは「社会進出をして金を持った女性や、金を持った男性と結婚できた女性だけが救われる、金銭格差を許容するフェミニズム」と何ら変わらない。
批判するべき部分は批判し、考慮する部分は考慮する。そのためにこそ、今回のような意見は出てこなければならない。意見に対する批判ならまだしも、署名活動を茶化すような揶揄や冷笑、批判が出てくることそのものが問題であるかのように印象づけして、悪魔化をするならば、今回のような「批判」は、奥に隠れて出てこなくなってしまう。
アンチフェミの中には「俺たちがフェミから表現の自由を守っているのだ」と自称するものも多くいるが、表現の自由とは「批判をされない自由」や「批判をされないように一方的に相手を封じ込める自由」では無い。フェミをあざ笑う事を前提とした言動は、むしろ他者の表現に対する圧力となる。
男女平等というなら弱い立場の女性も、弱い立場の男性も、両方救わなければならない。そのことを忘れた人たちが、「男が!」「フェミが!」と単純な二元論で相手を罵り合い、相手の口を塞ぎ合う様を、僕はとても見ていられないのである。