ファミマ「お母さん食堂」炎上問題に潜む「フェミニスト」と「アンチフェミ」の深すぎる溝

赤木 智弘 プロフィール

問題の本質は…

ではなぜ、アンチフェミはここまでフェミニズムを馬鹿にするのだろうか?

繰り返しになるが「お母さん食堂」で認識される問題の本質は、男性は仕事、女性は家事と割り振られた上に、男性には働くことによりキャリアやお金が付いてくる一方で、女性は家事をすることによる社会的地位を何も得られないという部分である。

80年代のフェミニズムはそれを打破するために「女性の社会的進出」を行おうとするのだけれど、一方でそれは「女性が旧来の男性的な社会的地位を得る」事に過ぎなかった。故に社会進出できた女性はお金の力で救われても、女性全体の社会的地位の向上には繋がらなかった。

90年代になってバブルが崩壊し、就職氷河期世代がフリーターや条件の悪い仕事に就いて糊口をしのぐようになると、男性であっても十分なお金を得られなければ、マイノリティ側として差別的な扱いを受けるということが明確となった。

ところが、こうして露呈した格差問題を、結果としてフェミニズムは直視せず「男性なのだから女性よりも有利なはず。社会的地位の低い男性は自己責任」「男性の問題は男性が解決しろ」と、突き放したのである。

 

僕もこうしたフェミニズムの態度には怒りを感じる。男性だから女性よりも有利なはずだというのは、ジェンダーに対する偏見でしか無い。また、男性の問題は男性が解決しろというなら、女性の社会的地位の低さという問題を、男性側が「女性の雇用促進」などといって手助けする必要もないのである。

つまり、社会的地位が低い女性は、社会的地位を持つ強い男性に引き上げてもらっているのにも関わらず、社会的地位の低い男性対して、社会的地位が高くなった女性は手を貸そうとしないという、非対称性が存在するのである。これはフェミニズムが標榜してきた「男女平等」に反するものであるはずだ。

本来アンチフェミはこうしたフェミニズムの欺瞞を批判をしてきたはずだが、しかしネットの荒波の中でもはや、本質的な男女平等という考え方は瓦解し、ただ闇雲にフェミをあざ笑う冷笑主義に堕している。

そしてそれはフェミニズム側も同じである。