「受験は相対評価だから」といつも申し上げておりますが、厳密には「社会的な卓越性はすべて相対評価」と言えます。
世の中には給料が高い仕事と低い仕事がありますが、それは別に仕事の大変さが反映されているわけではありません。
広告代理店や総合商社に就職して、きれいなオフィスで椅子に座りながら1時間働くのと、道路工事現場で1時間働く場合、おそらく大変さという意味では後者の方が上でしょう。
ダイヤモンドが自然界で価値を持っているわけではなく、あくまでもその希少性によって価値が生まれているように、年収や給料も仕事の大変さによって決まっているわけではなくあくまでも希少価値によって決まっています。
医者や弁護士の時間給が高いのも、総合商社の人間の給料が高いのも、仕事そのものが大変だからではなくその仕事にありつくのに相対競争で勝つ必要があるからです。
これが経済原理です。
相対評価である以上、最初から敗者が出ることは決まっています。
皆さん全員が共通テストの平均点を100点上げても、合格者は一人も増えないですから。
皆さんも、負ける人間がいるからこそ勝って嬉しいわけ。
運転免許みたいに医学部や東京大学に合格してしまったら、今度は医学部や東京大学の価値がなくなります。
どれだけ綺麗事を言っても、社会は相対評価で希少価値が高いものを評価します。
港区タワマンにせよ、みんなが住めないから価値があります。
身長も「180cmだから高い」というのは自然界にあるルールでも何でもなくて、あくまで170cm未満の低身長の人がたくさんいるから「相対的に高い」わけで、オランダやドイツで身長180cmなら「普通」です。
180cmの人が優越感を感じるのは168cmや172cmの人がいるからです。
周りが皆190cmなら相対的な優位はなく、むしろ180ならチビです。
不都合な真実ですが、特に先進国の社会というのは「不幸な人がいるから幸福な人がいる」構造になっています。
みなさんの多くが東大や京大、国立医学部に行きたいのは、多くの人が羨ましがってくれるから。
運転免許のように東大に合格してしまったら東大には運転免許程度の価値しかありません。
落ちた人間が自分にコンプレックスを持ち、死ぬほど悔しがってくれるから自分は幸福なわけです。
漫画『カイジ』にあるように「セーフティーという名の愉悦」があるから最難関大学の合格者は気持ちが良いわけです。
みんなが難関大学に合格してしまっては意味がない。
いや、表現がおかしい。
みんなが合格しないから難関大学なんですよ。
医師免許や弁護士の免許も一緒。
憧れてる人のほとんどがなれないから価値がある。
みんなが弁護士や医師になれてしまったら、残念ながら調理師免許程度の価値しかありません。
港区のタワマンにみんなが住めたら価値がない。
多くの人間が指をくわえて見て羨ましがってくれるから、港区タワマンには価値がある。
いろいろ具体例を挙げてきましたが、結局先進国の社会というのは「相対評価で他人に勝ち、それにより承認欲求を味わう」ことにより少数の人間が幸福感を享受できる仕組みになっています。
このように、原理的に多くの人が苦渋を舐めることが最初から原理的に決まっているわけですから、大切なのは腹を括ること。
・相対評価で上位1%レベルで勝つ
or
・承認欲求の世界から降りて、相対評価で勝とうと思わない
これぐらいの割り切りが必要です。
中途半端に承認を求めて、マーチや関関同立位の大学に行って、年収400-500万くらいのゾーンを彷徨い、自分より優れた人にマウンティングされて不幸になるほどコスパが悪い人生もありません。
メディーが最難関大学の受験生にしか興味がないのは、このような社会の仕組みを考えたときに、ほとんどの受験生は受験によって不幸になる運命だから。
マーチやニッコマレベルで彷徨ってる受験生のマジョリティーが中途半端に東京でマウントの合戦に巻き込まれて不幸になる。
これは港区で人間観察をしていたら簡単にわかる話です。
ほとんどの人は港区的な価値観でマウント合戦に勝つよりも、地方で自給自足的な生活をして年収300万円の生活をしている方が幸福度が高いと思いますからね。
マーチやニッコマを出て、そこそこの企業に勤めて年収500万とかで東京にいても、東大や京大を出て総合商社や広告代理店に勤務して年収1500万円や2000万円の人間が近くにいてマウント取られて、不幸でしかない。(もちろん年収1億、2億とか上を見たらキリがないですが、さすがに世の中にそのレベルはほとんどいないので)
中途半端に勉強を頑張って、中途半端に稼いでも相対評価で全然上には上がいて欲求不満でしかありません。
港区的な世界でマウントとって気持ちよくなれる人なんてほとんどいないわけです。
だから、中途半端に勉強して中途半端な会社に入って相対的には不幸でしかないってことです。
もちろん、「自分はそこそこの大学、そこそこの企業でいいです」と割り切れる人はいいですが、ニッコマなりマーチなり下手したら早慶あたりの中途半端なところは、「中途半端に負けず嫌い」で「中途半端に能力がある」点。
中途半端に勝負して中途半端に負けず嫌いだから不幸になりやすいわけです。
このゾーンの受験生が最も不幸であり、東京でいまいちくすぶっている人のマジョリティーだと感じますね。
圧倒的に勝てる人以外は、他人からの承認欲求をあきらめることが最も幸福になる道なのですが、中途半端にあきらめられないのが学力上位5%から30%くらいのゾーンです。
この社会が相対評価であるってことに気づいて、
圧倒的に勝つか
相対評価で勝つことを諦め、承認欲求から解き放たれるか。
このような発想の転換が必要です。