様々な蔑称をつけ、蔑視を隠そうともしない人間が大量にいて、
病気や障害を「侮辱するための棍棒」にする下衆外道が大量にいる社会で、
「貶めるためのラベル」「侮辱するための棍棒」の対極にあるのが
「ジェンダー同一性障害(GID)」。
GIDがしばしば「同情を引く美化」になっているのは、なぜ?
それだから「GID診断あってのジェンダー適合セックス不適合手術を経て、セックス男性戸籍女装の自称埋没」が、批判者に「統合失調症」のラベルを張りつけ、「逆恨みで放火されては」などと「井戸に毒」と変わらない憎悪扇動をやる。
無論、それをやる人間性がドクズなのだが、社会の空気に乗っているのは確実だ。
統合失調症をアピり、「(健常演出で)埋没」をアピり、
「GIDと思われる者に、逆恨みで放火されては」が、ありえるか?
ない。絶対に、二重にない。
・統合失調症患者の発言は「病者」としてほとんど無効にされる。
・GIDを犯罪予備軍と印象操作などしたら、批判が殺到するだろう。
「病院に行け」「カウンセリングを受けろ」が侮辱になるのは
「病者=異常者」の蔑視と無能力化があるからで、
診察やカウンセリングを受けて「異常はなかった、正常と言われた」なら
「正常」を主張でき、「異常を理由とする無効化」を無効化できるのが普通だが、
GIDだけは「正常でない、異常である、GIDの病名がついた、診断書を得た」を
あたかも「GIDという印籠、勲章、錦の御旗」であるかのように扱う。
なんだろう、この真逆の扱いは。
鬱病で考えてみようか。
「鬱は甘え」←「鬱病」への偏見
これに対して
「性違和は甘え」があるか?
「ホモソ違和を性違和に転換している、女を舐め女に甘えている」の批判はあっても、
トランスジェンダリズムの跋扈、蛮行があっての、
オスの度し難さを知ってのフェミニズム的視点あっての、
一般的とは言わない、「鬱は」とは比較にならない、稀な批判に過ぎない。
自分はYRAの跋扈を知ってわりあい早期から
「性移行」の発想を「セックスという生物の事実、現実からの逃避」と考えている。
「身体違和」については「認知障害、自己の身体イメージの異常」と考えている。
とにかく、GIDが病理化されている以上、GIDは「異常で病気」です。
※「異常で病気」はただの理路です。感情関係なし。
悪(あ)し。
GIDが「正当化」以前に「美化」が確実にあるのは、
結局のところ、オスによるオスのためのオスの社会と医学会、要するにオスが、
「女という美化像」を共有しているからだと思う。
オスにとっての女性=「オスが妄想する女像」
は何度も言ってきたが、
「オスが妄想する女像」と
「女という美化像」は、同じものを指している。
また別の言い方をすれば、
オスにとって「オレが欲情する女だけが女」であり、
エイジズムで対象外、
ルッキズムで対象外、
支配容易な従順でなければ対象外、
これら対象外にした女性をそれぞれ蔑称で呼ぶ。
(オスのクソさ底なし)
「病を美化」は昔から一定の範囲である。
たとえば結核で「青白く透き通る肌、発熱で紅潮した頬、儚げ」等々のゲボ。
「椿姫」ほか女性に妄想消費で結核を利用するオスは、
正岡子規の随筆を都合良く見ないことにする。
「女になりたい病」はつくづく「オスの妄想ファンタジー」だと思う。
TGすら存在しない 全員「トランス偏見ファンタジー」
http://lttlleo.seesaa.net/article/479111487.html