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コロナウイルスの変異を理解する

SARS-CoV-2のさまざまな株は、今のところ、パンデミックの経過に大きな影響を与えていない。だが、 免疫反応をすり抜ける可能性は否定できない。

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SOURCE: STRUCTURAL DATA FROM K. SHEN & J. LUBAN

Nature ダイジェスト Vol. 17 No. 12 | doi : 10.1038/ndigest.2020.201226

原文:Nature (2020-09-10) | doi: 10.1038/d41586-020-02544-6 | The coronavirus is mutating — does it matter?

Ewen Callaway

2020年、重症急性呼吸器症候群コロナウイルス2(SARS-CoV-2)により引き起こされる感染症「COVID-19」が世界中に広がり始めたとき、ウイルス学者のDavid Montefioriは、このウイルスがヒトからヒトへと伝播する中でどのように変化していくのか知りたいと思った。デューク大学(米国ノースカロライナ州ダラム)でエイズワクチンの研究室を率いる彼は、ヒト免疫不全ウイルス(HIV)が偶然の変異を利用して免疫反応から逃れる仕組みの解明にキャリアの多くを費やしてきた。もしかするとSARS-CoV-2にも同じことが起こるかもしれないと、彼は考えた。

同年3月、Montefioriはロスアラモス国立研究所(LANL;米国ニューメキシコ州)の計算生物学者Bette Korberに連絡を取った。KorberはHIVの進化の専門家で、Montefioriの長年の共同研究者でもある。彼女は既に、世界中に広がりつつあるSARS-CoV-2の数千種類の塩基配列の中から「ウイルスの性質を変えた可能性のある変異」を探す作業に着手していた。

SARS-CoV-2の感染拡大に伴う変化は、HIVと比べると非常にゆっくりしている。しかし、1つの変異がKorberの目に留まった。その変異は、ウイルス粒子が細胞内に侵入するのを助ける「スパイクタンパク質」をコードする遺伝子に起きていた。Korberは、同じ変異を持つCOVID-19患者の検体をいくつも目にした。2万9903塩基からなるウイルスRNAの遺伝暗号中の1つの塩基がコピーミスにより変化した結果、スパイクタンパク質の614番目のアミノ酸であるアスパラギン酸(生化学的略号ではD)がグリシン(同じくG)に置き換わる。ウイルス学者たちはこれをD614G変異と呼んだ。

そして4月、KorberとMontefioriらは、bioRxivサーバーに投稿したプレプリント論文において「D614Gの頻度が驚くべきペースで増加している」と警告した1。D614Gは欧州のSARS-CoV-2の系統の中でみるみるうちに優勢となり、米国をはじめカナダやオーストラリアにも定着していた。彼らの論文は、D614Gが「SARS-CoV-2の中でも感染しやすい型」であり、自然選択の産物として出現したと断定した。

論文の主張は多くの科学者を不安にさせた。D614G系統のウイルスが他の系統のウイルスよりも感染性が高いことが分かったわけでも、その比率の高まりが何らかの異常事態の兆候であることが明らかになったわけでもないのに、論文の警告はマスコミによって急速に広まったからだ。多くのニュース記事には研究者らのただし書きが添えられていたが、ウイルスが変異して危険性を増したと断定する見出しもあった。Montefioriらは今、このバリアントの増加を「alarming(驚くべき、憂慮すべき)」という言葉で表現したことを後悔しているという。実際、査読を経て2020年7月にCellに掲載されたこの論文からは、この言葉は削除されている2

彼らの研究をきっかけに、人々はD614Gに強い関心を寄せるようになった。この変異がウイルスの特性を変えたという見方に懐疑的な人々でさえ、短期間で優勢になり、至る所で出合うようになったこのバリアントに興味をそそられていることを認めた。数カ月前から、この系統は配列決定されたほとんど全てのSARS-CoV-2検体から発見されている(「世界的な広がり」参照)。エール大学公衆衛生大学院(米国コネチカット州ニューヘイブン)のウイルス疫学者Nathan Grubaughと2人の同僚は、KorberとMontefioriの発見に関するエッセイをCell に寄稿した。その中で「現在、このバリアントはパンデミックになっている。従って、その特性は重要である」と書いている3

世界的な広がり
D614G変異は2020年6月末までに全世界のSARS-CoV-2検体のほとんど全てで見られるようになった。 | 拡大する

SOURCE: REF. 8

現時点では、この研究の結末は、MontefioriとKorberのプレプリント論文の示唆ほど明確でない。いくつかの実験では、このバリアントを持つウイルスの方が細胞に感染しやすいことが示唆されている。別の研究では、このバリアントのおかげでワクチンはSARS-CoV-2を標的にしやすくなるかもしれないという、喜ばしい結果が出ている。しかし多くの科学者は、D614Gがウイルスの広がりに大きな影響を与えていることや、このバリアントが優勢になった理由が自然選択によって説明できることを裏付ける確かな証拠はないとしている。ノースカロライナ大学チャペルヒル校(米国)のコロナウイルス研究者Timothy Sheahanは「この変異に意味があるのかないのか、まだ結論は出ていません」と言う。

SheahanやGrubaughらは、コロナウイルスの変異に関してはまだ答えよりも疑問の方が多いような状況であり、SARS-CoV-2について公衆衛生上の懸念を引き起こし得る変化を見つけた人はまだいないと指摘する。しかし、変異を詳細に調べることで、パンデミックの制御に重要な手掛かりが得られるかもしれない。

遅い変化

中国でSARS-CoV-2が検出されて間もなく、研究者たちはウイルス検体を分析して塩基配列をネット上に公開し始めた。異なる感染者から採取したウイルス間の相違の大半は1塩基の変異だった。研究者らは、こうした変異を利用して密接に関連したウイルス同士を結び付けることでウイルスの広がりを追跡し、SARS-CoV-2がヒトに感染するようになった時期を推定することができた。

SARS-CoV-2やHIV、インフルエンザウイルスなどのRNAからなるゲノムを持つウイルスは、RNAを複製する酵素が複製ミスを起こしやすいため、宿主の中で複製されるとすぐに変異する傾向がある。例えば、重症急性呼吸器症候群(SARS)ウイルスは、ヒトの間で広がり始めてから欠失と呼ばれるタイプの変異を起こしたことで、広がるペースが遅くなった可能性がある4

しかし、コロナウイルスの塩基配列データは、その変化のペースが他のほとんどのRNAウイルスよりも遅いことを示唆している。これはおそらく、致命的な複製ミスを修正する「校正」酵素の働きによるものであろう。バーゼル大学(スイス)の分子疫学者Emma Hodcroftは、典型的なSARS-CoV-2のゲノムでは1カ月に1塩基置換が2個しか蓄積しないが、この変化ペースはインフルエンザウイルスの約半分、HIVの約4分の1であると言う。

SARS-CoV-2の安定性は、他のゲノムデータでも目立っている。これまでに9万以上のウイルス検体の塩基配列が決定され、公開されているが(www.gisaid.org参照)、2つのSARS-CoV-2ウイルスを比較すると、採取された場所を問わず、RNAの2万9903文字のうちの平均10文字程度の違いしかないと、ロンドン大学ユニバーシティカレッジ(英国)の計算遺伝学者Lucy Van Dorpは言う。彼女は、進化的利益を付与する兆候を探してその差異を追跡している。

ウイルスの変異のペースは遅いものの、研究者がSARS-CoV-2ゲノムに見つけた変異は1万2000以上に上る。とはいえ、変異を見つけても、理解できるまでには時間がかかる。多くの変異はタンパク質の形を変えないため、ウイルスの伝染性や病原性には影響を与えない。これに対して、タンパク質を変化させるような変異は、ウイルスにとって役に立つよりも害をなす可能性の方が高い(「コロナウイルスの変異のカタログ」参照)。SARS-CoV-2のゲノムをリアルタイムで解析するNextstrainというプロジェクト(nextstrain.org)のメンバーであるHodcroftは、「何かを壊すことは、直すことよりはるかに簡単なのです」と言う。

コロナウイルスの変異のカタログ
SARS-CoV-2 ゲノムでは、最も多いD614G変異をはじめ、さまざまな変異が検出されている。このRNAウイルスの遺伝暗号は3万塩基(文字)よりやや少なく、少なくとも29個の遺伝子をコードしている。最も一般的な変異は1塩基置換である。 | 拡大する

SOURCES: L. VAN DORP ET AL. HTTP:GO.NATURE.COM3GSRNH6; REFS 2, 11, 12; B. E. YOUNG ET AL. LANCET 396, 603611 2020

多くの研究者は、変異がウイルスの広がりを速めるのに役立ったとすれば、おそらく初期の段階、例えば、ウイルスが別の種からヒトに初めて感染したときや、ヒトからヒトへ効率よく伝播できるようになったときではないかと考えている。地球上のほとんど全ての人類がウイルスに感染する可能性がある現代において、ウイルスの伝播効率を良くする進化圧はほとんどないと考えられ、潜在的に有益な変異であっても広まらない可能性がある。「ウイルスにとっては、出会う人全員が格好の餌です。これ以上うまくやるための選択圧はかかりません」と、ハーバードT.H.チャン公衆衛生大学院(米国マサチューセッツ州ボストン)の疫学者William Hanageは言う。

伝播が加速?

D614G変異の急速な広がりを目にしたKorberは、意味のある自然選択の例を発見したのではないかと思った。この変異が彼女の目に留まったのは、スパイクタンパク質中の位置のせいだった。ウイルスに結合して活性を失わせる抗体は「中和」抗体と呼ばれるが、スパイクタンパク質は中和抗体の主要な標的である。そして、スパイクタンパク質にD614G変異を持つウイルスの頻度は、世界の複数の地域で増加していた。

D614G変異は、2020年1月下旬に中国とドイツで採取されたウイルスで最初に見つかったが、ほとんどの科学者は、中国で生じたものだろうと考えている。現在では、D614G変異を持つSARS-CoV-2は必ずといってよいほどゲノムの他の部位に3つの変異がある。つまり、この変異を持つほとんどのウイルスが、1つの共通祖先に由来していることを示している可能性がある。

Korberは、欧州でのD614G変異の急激な増加に注目した。欧州大陸の大部分がロックダウンに入る2020年3月より前には、変異していない「D型」ウイルスと、変異した「G型」ウイルスの両方が存在していて、遺伝学者たちが当時検体を採取した西欧のほとんどの国ではD型ウイルスが優勢だった。KorberとMontefioriらは、3月になると欧州大陸全体でG型ウイルスの頻度が上昇し、4月にはG型ウイルスが支配的になっていたと報告した1,2

しかし、G型ウイルスが生き残りやすい理由は、自然選択でのみ説明できるわけでも、その説明が最有力というわけでもない。G型バリアントが欧州で優勢になったのは単なる偶然である可能性もある。例えば、欧州に入ってきたウイルスでは、たまたまこの変異がわずかに多かったのかもしれない。ウイルスが広がる場合の多くは、感染源は少数の人々と見られることから、初期にG型ウイルスが偶然多めに存在していれば、この系統が現在優勢になっている理由を説明できるのかもしれない。このような「創始者効果」はウイルスが野放しに広がる場合によく見られる。SARS-CoV-2については、2020年3月中旬〜下旬における欧州の多くの地域が、まさにそんな状況だった。

Korberらは4月のプレプリント論文1で、カナダやオーストラリア、および米国の一部でD614G変異が短期間のうちに優勢になったことを示して、創始者効果の可能性を除外しようとした(例外はアイスランドで、発生初期に存在していたG型ウイルスがD型ウイルスに取って代わられた)。Korberらの研究チームが英国シェフィールドの入院患者のデータを分析したところ、この変異のあるウイルスに感染した患者の方が症状が重くなったことを示す証拠は見つからなかった。しかし、G型ウイルスに感染した人々の鼻や口のウイルスRNA濃度は、D型ウイルスに感染した人々に比べてわずかに高いように見えた。

D614G変異の増加が注目に値するものであったのか、パンデミックと関係があったのかについては、多くの科学者が確信を持てずにいる。「あのプレプリント論文は、あまりにも時期尚早だと思いました」とSheahanは言う。

Montefioriは、D614G変異に関する自身とKorberの見解は、「私たちのHIV研究によって形作られた」と語る。彼らのHIV研究は、一見重要でなさそうな変異であっても、免疫系によるウイルスの認識に大きな影響を及ぼす可能性があることを明らかにした。「私たちはこの点を警戒したのです。この変異がワクチンに影響を及ぼさないかどうか、確認する必要があります」と彼は言う。

研究ラッシュ

D614G変異がウイルスの感染力を高めたかどうかをさらに検証するため、Montefioriは実験室条件下でその効果を測定した。彼の研究室では天然のSARS-CoV-2ウイルスを研究することはできなかった。研究にはバイオセーフティーレベル3の封じ込め実験室が必要となるからだ。そこで彼は、SARS-CoV-2のスパイクタンパク質を使って細胞に感染するようにした遺伝子改変HIVを作製し、その挙動を調べた。こうした「偽ウイルス(pseudovirus)」粒子は、ウイルス学研究室で大いに役に立っている。エボラウイルスのような致命的な病原体を安全に研究することができ、また、変異の影響の検証が容易になるからだ。

偽ウイルスを使ったD614G変異に関する実験について最初に報告したのはスクリプス研究所(米国カリフォルニア州ラホヤ)のウイルス学者Hyeryun ChoeとMichael Farzanが率いるチームで、2020年6月のことだった5。他にもいくつかのチームが同様の研究をbioRxivに投稿している(Montefioriの実験や、もう1人の共同研究者の実験については、Cell で報告されている2)。これらのチームは異なる偽ウイルス系を使用し、さまざまな種類の細胞で検証を行ったが、実験の結論は同じであった。G型ウイルスはD型ウイルスよりも、はるかによく細胞に感染し、場合によっては10倍も効率が良かった。

マサチューセッツ大学医学系大学院(米国ウースター)のウイルス学者Jeremy Lubanは、実験室での検証では、「D型からG型への変異はウイルス粒子の感染力を高めるということで、全員の意見が一致しています」と言う。しかし、これらの研究には多くのただし書きが付いている上、ヒトへの感染にどこまで当てはまるかは不明である。「厄介なのは、よく制御された環境で得られた結果をもって、現実のパンデミックについて意味があると主張する人々です」とGrubaughは言う。ほとんどの場合、偽ウイルスはコロナウイルスのスパイクタンパク質しか持っていないため、実験で測定できるのはこれらの粒子が細胞内に侵入する能力だけで、細胞内や臓器に及ぼす各種の影響は測定できない。その上、ほとんど全てのD614G変異ウイルスにある他の3つの変異もない。「つまり、これらは問題のウイルスとは別物ということです」とLubanは言う。

現在、一部の研究室では、アミノ酸が1つだけ異なる、感染力のあるSARS-CoV-2を調べている。これらのウイルスの検証は、ヒトの肺や気道の細胞を実験室で培養したものや、フェレットやハムスターなどの実験動物を使って行われている。ウイルス操作の経験とバイオセーフティー基準を満たす施設を持つ研究室にとっては「朝飯前の仕事です」とSheahanは言う。これらの研究の最初のものはテキサス大学医学部ガルベストン校(米国)の研究者が主導したもので、2020年9月2日にプレプリント論文として報告された6。この研究から、ヒトの肺細胞株と気道組織ではD型よりも変異したG型のウイルスの方が感染力が高いことや、感染したハムスターの上気道ではG型のウイルス量の方が多いことが明らかになった6

これらの実験からも確実な答えは出ないかもしれない。アイオワ大学(米国アイオワシティー)のコロナウイルス学者Stanley Perlmanによると、いくつかの研究から、中東呼吸器症候群(MERS)ウイルスのスパイクタンパク質に生じたある変異は、マウスにおいてより重篤な疾患を引き起こす可能性があるが、別の変異は、ヒトやラクダ(ヒトに伝播したMERSウイルスの保有宿主である可能性が高い)にはほとんど影響を及ぼさないことが示されているという。

D614G変異がヒトでのSARS-CoV-2の広がりに影響を及ぼすことを示す最も明確な兆候は、約2万5000のウイルス検体のゲノムを分析したCOVID-19ゲノミクスUKコンソーシアム(英国)の野心的な取り組みから得られた。研究者たちはこれらのデータから、ウイルスが英国に入って広がっていった事例を、D型およびG型ウイルスの例を含めて1300件以上特定した。

エディンバラ大学(英国)の進化生物学者Andrew Rambaut、ロンドン大学インペリアルカレッジ(英国)の疫学者Erik Volz、およびカーディフ大学(英国)の生物学者Thomas Connorが率いるチームは、英国でのD型ウイルスによる62のCOVID-19クラスターと、G型ウイルスによる245のクラスターの広がりを調べた7。研究者らは、どちらのウイルスに感染した人も臨床的には差がないことを発見した。しかし、G型ウイルスは変異のない系統よりもわずかに速く伝播し、より大きなクラスターを形成する傾向があった。彼らが見積もった感染率の差は20%程度だったが、真の値はもう少し高いか低いかもしれないとVolzは述べている。Rambautは、「絶対的に見れば、大きな影響はありません」と言う。

D614G変異は、ウイルスが細胞に感染したり、この変異を持たないウイルスと競争したりするのを助ける適応であり、SARS-CoV-2がヒトからヒトへ、あるいは集団内で広がる方法はほとんど変えないのかもしれないとRambautは言う。Grubaughも彼に同意し、「ヒトや一部のヒト細胞に文字通り『適応』したのかもしれません。だからといって、何かが変わるわけではありません。適応したからといって、感染力が高くなる必要はないのです」と言う。

Grubaughは、D614G変異は科学者の注目を集め過ぎたと考えている。よく目立つ論文が集まったことも理由の1つだ。「科学者たちはD614G変異に夢中です」と彼は言う。けれども、かく言う彼もまたD614G変異のことを、遺伝的多様性に乏しいウイルスについて学ぶ切り口の1つとして見ている。「私の中のウイルス学者魂が、D614G変異を見て、これを研究するのは非常に面白いだろうと言うのです」とGrubaugh。「不思議の国のアリスのようです。飛び込んでみたいウサギ穴がたくさんあります」。

そんなふうに考えているのは彼だけではない。Lubanは、D614G変異を集中的に調べることは、SARS-CoV-2が細胞と融合する仕組みの解明に役立つはずであり、このプロセスは、薬物による阻害やワクチンの標的になる可能性があると言う。彼らが2020年7月16日にbioRxivに投稿した新しい偽ウイルス実験では8、クライオ(低温)電子顕微鏡法を用いて、D614G変異を持つスパイクタンパク質の構造を解析している。1つのスパイクタンパク質は3つの同一のペプチドからなり、それぞれに「開いた」向きと「閉じた」向きがある。これまでの研究から、ウイルス粒子が細胞膜と融合するためには、3つのペプチドのうち少なくとも2つが開いた向きになっている必要があることが示唆されていた9。Lubanのチームは、G型のスパイクタンパク質を持つウイルスが、この状態に非常になりやすいことを発見した(「スパイクタンパク質を緩める変異」参照)。KorberのLANLでの同僚であるSandrasegaram Gnanakaranが主導したMontefioriとKorberによる計算モデル研究も同じ結論に達した10。「この分子マシンはD型とは違った動きをするようにできていると思われます」とLubanは言う。

スパイクタンパク質を緩める変異
SARS-CoV-2上のスパイクタンパク質は、ヒト細胞上の受容体に結合して、ウイルスが細胞内に侵入するのを助ける。1個のスパイクタンパク質は、3個の小さなペプチドからなる。それぞれのペプチドには「開いた」向きと「閉じた」向きがあり、開いた向きのペプチドの数が多いほど受容体に結合しやすくなる。ウイルスRNAの遺伝暗号が1文字だけ置き換わったD614G変異は、このペプチド間の結合を緩めるようだ。これによりスパイクタンパク質は開いた立体構造をとりやすくなり、感染の可能性が高まるのかもしれない。 | 拡大する

SOURCE: STRUCTURAL DATA FROM K. SHEN & J. LUBAN

抗体から逃れられない、今のところは

Montefioriは、D614G変異によって免疫系の中和抗体がSARS-CoV-2を認識できなくなることを心配していたが、現時点で入手可能な証拠のほとんどは、そのような事態にはなっていないことを示唆している。これは、D614G変異の場所が、多くの中和抗体が標的とするスパイクタンパク質の受容体結合ドメイン(RBD)とは別の場所だからかもしれない。RBDは細胞表面の受容体タンパク質ACE2に結合し、これはウイルスが細胞内に侵入するための主要な段階になっている。

しかし、D614G以外の変異については、ウイルスがある種の抗体から逃れるのに役立っていることを示唆する証拠が出てきている。ロックフェラー大学(米国ニューヨーク)のウイルス学者Theodora HatziioannouとPaul Bieniaszが率いるチームは、家畜の病原体である水疱性口内炎ウイルスの遺伝子を改変して、SARS-CoV-2のスパイクタンパク質を使って細胞に感染するようにし、中和抗体の存在下で増殖させた。彼らの目標は、スパイクタンパク質が抗体に認識されないようにする変異を選択することにあった。この実験で、COVID-19から回復した人々の血液から抽出した抗体や、治療薬にするための開発が進められている強力な「モノクローナル」抗体に対して耐性を持つ、変異スパイクタンパク質が作り出された。HatziioannouとBieniaszらのチームは、スパイクタンパク質に生じたこれらの変異は全て、患者から単離されたウイルスの塩基配列の中で実際に見つかったと報告しているが、その頻度は非常に低く、正の自然選択による変異が一般的になるには至っていないようである11

どの変異が重要であるかを予測することで、SARS-CoV-2の進化を先回りしようとする科学者もいる。フレッド・ハッチンソンがん研究センター(米国ワシントン州シアトル)の進化ウイルス学者のJesse Bloomが率いる研究チームは、スパイクタンパク質のRBDの変異版を4000種類近く作成し、その変化がスパイクタンパク質の発現とACE2との結合能力に及ぼす影響を測定した。ほとんどの変異はこれらの特性に何の影響も及ぼさないか特性を阻害していたが、特性を改善する変異も少数ながらあった12。これらの変異のいくつかはCOVID-19患者で確認されているが、Bloomのチームは、いずれのバリアントについても自然選択を受けた兆候は見いだせなかった。「おそらく現状のウイルスは、必要なだけACE2に結合しているのでしょう」と彼は言う。

研究者たちは、ウイルスのこうした変異のいずれかが抗体の作用を弱めるかどうかの検証は行わなかったが、彼のチームが得た結果は、抗体の作用を弱める変化が起こり得ることを示唆している。「ウイルスが抗体や免疫に対する感受性を変化させるような変異を獲得する可能性はありますが、確実にそうなるわけではありません」とBloomは言う。

他のコロナウイルスの経験からいえば、それには何年もかかるかもしれない。複数のシーズンにわたって採取された風邪コロナウイルスの研究では、免疫に反応して進化した兆候がいくつか確認されている。しかし、ベルン大学ウイルス学・免疫学研究所(スイス)のRNAウイルス学者Volker Thielは、変化のペースは遅いと言う。「これらの株は、多かれ少なかれ一定のままです」。

世界のほとんどの地域の人々がまだSARS-CoV-2に感染し得る状態にあるため、現時点で免疫がウイルス進化の要因になっているとは考えにくい。しかし、感染やワクチン接種により集団全体の免疫が高まっていけば、免疫から逃れる変異を少しずつ起こすことが、SARS-CoV-2の永続的な定着を助ける可能性がある、とSheahanは言う。その場合、過去に感染したりワクチン接種を受けたりして残存免疫がある人がウイルスに感染しても、基本的に軽症で済むだろう。「このウイルスが、より一般的な風邪の原因となるコロナウイルスとして残ることになったとしても、私は驚きません」。しかしまた、SARS-CoV-2を含むコロナウイルスの感染に対する私たちの免疫反応は、ウイルス株の大きな変化につながるような選択圧を生じるほど強くもなく長続きもしない可能性もある。

抗体療法は、賢く利用しなければ厄介な変異を広げてしまう恐れもある。例えば、COVID-19患者に1種類の抗体だけを投与する場合、その抗体はウイルスのたった1つの変異によって効力を失う可能性がある。研究者たちは、それぞれがスパイクタンパク質の複数の領域を認識できるモノクローナル抗体を混合したものなら、そうした変異が自然選択によって有利になる可能性を抑えられるかもしれないと言う。一方、ワクチンは、この点についてはあまり心配されていない。体の自然免疫反応と同様、ワクチンは複数の種類の抗体を誘導する傾向があるからだ。

Montefioriのチームは2020年7月にbioRxivに投稿した論文で、D614G変異を生じたウイルスはワクチンの標的になりやすくなる可能性さえあることを明らかにした13。製薬会社ファイザー(Pfizer;米国ニューヨーク市)が開発中のものを含むいくつかの実験的なRNAワクチンの1つを投与されたマウス、サル、ヒトが産生した抗体は、D型ウイルスよりもG型ウイルスをよりよく阻害することが確認されている。

現在、G型ウイルスは広く存在しているので、この発見は「良いニュース」だとMontefioriは言う。しかし、HIVが変異し、これに対して開発された多くのワクチンから逃れるのを見てきた科学者として、彼はSARS-CoV-2が私たちの免疫反応をすり抜ける可能性を警戒している。Lubanも同意見だ。「さらなる変化に目を光らせておく必要があります」。

(翻訳:三枝小夜子)

Ewen Callawayは、米国バージニア州リッチモンド周辺を拠点とする科学ジャーナリスト。

参考文献

  1. Korber, B. et al. Preprint at bioRxiv https://doi.org/10.1101/2020.04.29.069054 (2020).
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  5. Zhang, L. et al. Preprint at bioRxiv https://doi.org/10.1101/2020.06.12.148726 (2020).
  6. Plante, K. et al. Preprint at bioRxiv https://doi.org/10.1101/2020.09.01.278689 (2020).
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  10. Mansbach, R. A. et al. Preprint at bioRxiv https://doi.org/10.1101/2020.07.26.219741 (2020).
  11. Weisblum, Y. et al. Preprint at bioRxiv https://doi.org/10.1101/2020.07.21.214759 (2020).
  12. Starr, T. N. et al. Cell 182, 1295–1310 (2020).
  13. Weissmann, D. et al. Preprint at bioRxiv https://doi.org/10.1101/2020.07.22.20159905 (2020).

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Nature ダイジェスト Online edition: ISSN 2424-0702 Print edition: ISSN 2189-7778

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