ナイトメア・アプリ
加奈子ちゃんの瞳の呪いと記憶を消し去ってから、半月が経つ。
元気に微笑む彼女を見るのが、今俺の最大の喜びだが……
まったく問題がないわけでもない。
今ではもうすっかり寒くなり、街のいろどりも気の早いクリスマス・イルミネーションに彩られている。
「ありがとう、今日は付き合ってくれて」
隣を歩く加奈子ちゃんもすっかり冬支度で、黒いタートルネックのセーターの上にグレーのロングのコートを羽織っていた。
「かまわないよ、買い物ぐらい」
食料品や日用雑貨がたっぷり入ったエコバックを両手に抱えて俺が笑い返すと、加奈子ちゃんも楽しそうに笑う。
ショッピングモールの駐車場で加奈子ちゃんの店のロゴが入った軽ワゴンに荷物を入れ、俺が助手席に座ると、
「自分で利用しといて言うのもなんだけどさ、こんなのが近くにあったら商店街なんかやってらんないわね」
加奈子ちゃんはため息交じりに車のスタートボタンを押す。
すると小さなエンジン音に混じってカーナビから安全運転を促す音声が流れ、FMラジオからクリスマスソングが聞こえてくる。
自動車は空を飛ばなかった代わりに、お話が可能な仕様に変化したようだ。
しかもエコ・エンジンとか自動アシスト・ブレーキとか、環境に優しくより安全に運転できる技術が発展し、将来的には排出ガスゼロとか自動運転を目指している。
俺が現代文明の発展に感動していたら、
「うちもクリスマス用の飾りつけでもしようかな。新しく温泉街や商店街の開発を請け負った企業さんは、あたしたちの意見を前向きに取り入れてくれながら、本腰で町興しを考えてくれてるし。ねえ、タツヤ君どう思う?」
加奈子ちゃんが栗色のロングヘアをかき上げながら、チラリと俺を見る。
コートを脱いだせいで身体にフィットしたセーター越しに凶悪な二つの膨らみの形が分かり、それがシートベルトに締め付けられる様はまさに圧巻だった。
「良いアイディアだね」
俺はその危険な膨らみから目を逸らすようにして、ショッピングモールの外壁を彩るイルミネーションを眺める。
今、俺が買い取った形になった温泉街や商店街の土地や建物は、リトマンマリ通商会が管理していた。
「異世界との貿易利益を一割でも回せば、ここを日本有数のリゾート地に変えることも出来るわよ」
アリョーナさんの鼻息は荒かったが、
「出来るだけ街に残った人たちの意見を尊重してほしい」
そんな希望を話したら、弟が務めていた会社をフロントに調整を始め、本格的な町興しがスタートした。
ちなみに『明るい都市計画』の社名は『サイレント企画』に変わり、社長には金髪黒服のミハイルさんが就任し、マスコット・キャラクターもローブを羽織った魔法使いに変わっている。
俺はその会社で、額に汗しながら頑張って働き始めた弟のリュウキを思い浮かべながら、
「麻也ちゃんも喜ぶんじゃないかな。ご近所のまだ店をやってる人たちにも声をかけて、その開発会社さんに相談してみるのもいいかもしれない」
そうなれば、会社を通して俺が資金的に幾らでもバックアップしよう。
そう意気込んでいたら、
「そこまでしなくても…… でもそうね、最近麻也が何か悩んでるみたいだから、内輪で上手く盛り上がれないかな? ねえタツヤ君も手伝って」
加奈子ちゃんはハンドルを操作しながら苦笑いした。
「もちろん」
じゃあ、俺が個人的に色々奮発してやろうと考えながら……
麻也ちゃんの件はどうするべきかと、俺は頭を悩ませた。
× × × × ×
「お帰りー」
店に戻ると、麻也ちゃんが微笑みながら俺の荷物を受け取って、
「こっちは冷蔵庫にしまっとくね!」
元気よく微笑みながらキッチンに走ってゆく。
ひらりと揺れるミニスカートも可愛らしいし、ニーソからはみ出るスラリとした太ももも健康そのものだ。
基本麻也ちゃんは元気だし楽しそうに暮らしているが、悩みがないわけじゃない。クイーンは、
「ダーリンが抜いた『悪意』のおかげで麻也の瞳の力が解放されたんじゃないかなー。それから元々妖狐の血も入っていたから、もうひとつの問題は遅かれ早かれだよ」
そんな事を言っていた。
麻也ちゃんの話では、
「もうね、敵の作戦やフェイントなんかも瞳を見るだけで駄々洩れなのよ。おかげでプレーミスは無くなったけど、何だかインチキしてるみたいだし。それに身体能力も上がっちゃって…… さすがに女子高生がダンクやアリウープをガンガン決めるわけにはいかないでしょ」
既に部活の引退も考えてるそうだ。
学校側は最近成績も上がってきてるし、元々部活推薦の入学じゃないからそれほど問題にならないそうだが、
「あたしがレギュラーになったこと、あんなに喜んでくれたママに…… なんて言ったら良いのかな」
その相談を受けた際に、ふとバスケができる程度のリミッターを掛ける魔法を思いついたが……
不用意に『枷』をハメるのはやはり危険だ。俺の現状もそうだし、加奈子ちゃんの記憶だっていつかは何とかしなきゃいけない。
間に合わせの緊急策はいつか解除しないといけないものだ。
ごまかしにごまかしを重ねたら、それは大きな歪みに発展し、いつか取り返しのつかない問題になってしまう。
「麻也ちゃんはバスケを辞めることは嫌じゃないの」
「今はクイーンさんとの魔法修行が楽しいし、また同じような事が起きた時、足手まといになりたくないしね」
麻也ちゃんは前向きに現状を受け止めているようだったから、リミッターの案は言葉にせずに飲み込んだ。
「じゃあ加奈子ちゃんにどう説明するのか、俺も考えてみるよ」
しかし魔法や妖狐の事情を伏せたまま、加奈子ちゃんに説明するのは難しい。今日も何かきっかけがつかめればと買い物に同行したが、やはり解決策は見つからなかった。
せめてもの救いは、この店のクリスマス・ディスプレイ制作で、親子の絆を深めるチャンスが出来たことだろう。
「何かもっと良い方法があれば……」
俺は親子二人で楽しそうに夕食を作る姿を眺めながら、ダイニングテーブルの横にあったテレビをつけた。
夕方のニュース番組では、スマホ依存症の都市伝説で『ナイトメア・アプリ』の噂が女子高生を中心に広がっている。
そんな特集が放送されていた。
そのニュースを見ながら、
「何だか口が耳まで裂けた女性の都市伝説の、現代版みたいだな」
ふと、笑ってしまう。
どうやら文明が多少進化したぐらいじゃ、人の心はなかなか変わらないようだ。
その内容は、スマホばかり見ているとナイトメア・アプリが勝手にダウンロードされ、それを間違えて開いてしまうと徐々に夢の中に取り込まれて、いつか目が覚めなくなってしまう。
――そんな話だった。
確かにスマートフォンは使い慣れてしまうと放せなくなるほど便利で、俺もなんだかんだ言って良く利用している。
「これ、うちの高校でも流行ってるかな」
テーブルに皿やコンロを並べに来た麻也ちゃんが、テレビを見ながら口を尖らせる。
「噂って面白いね」
「んー、でもそれで実際に学校休んでる娘もいるし、なんだかちょっと怖いかも」
「ナイトメアか」
俺が呟くと、
「異世界にも居たの?」
麻也ちゃんが食いついてきた。
顔を寄せてきて、好奇心に輝く瞳をキラキラさせる。
キッチンにいた加奈子ちゃんは、忙しそうに料理に没頭していたから、
「あの世界でもそう呼ばれていた有名な魔物がいたけど、俺は会ったことがないんだ。昔は魔王軍の四天王だったそうだから、クイーンが知ってるかもしれないよ」
小声で麻也ちゃんにそう言うと、
「そっか、なら今日の修行の時にでも聞いてみようかな?」
可愛らしく小首を傾げる。
「興味があるの」
「だってほら実害が出てるんなら、ただの噂じゃないかもしれないし」
確かに、そう言われれば放置しておくのも良くないかもしれない。
俺がもう一度テレビに目を向けたら、その特集は既に終わっていた。
代わりに何処かの街のクリスマスツリーが、今晩からイルミネーションを輝かせると、サンタクロースのような服を着た女性レポーターが楽しそうに解説している。
「今日は鍋よ、さあ召し上がって!」
加奈子ちゃんが大きな土鍋を卓上コンロの上に乗せた。
テレビから流れるクリスマスソングをバックに、美しい親子の微笑みと美味しそうな鍋料理を見つめながら、ふと
――そんな考えが頭を過ぎった。
食後、麻也ちゃんに勉強を教えながら、チラチラ見えちゃってる可愛らしい花柄のパンツを鑑賞しても……
その後、風呂上がりの加奈子ちゃんにディスプレイの相談を持ち掛けられ、パジャマの胸元をボインボインと揺らす凶悪な二つのブツに威圧されても……
何かが頭の隅に引っ掛かって離れない。
そして俺は少しモヤモヤしたまま、借りている部屋の布団に潜り込んだ。