チェック・メイト
猫耳のメイドが俺の席を離れると、フードを被った男がドカリと音を立てて、唯空が座っていた席に腰を下ろす。
連れの女性は、少し離れたカウンターテーブルに疲れたように伏していた。
俺が心配して女性を見ていたら、男がフードを外してツンツンにとがった髪をぐしゃぐしゃと掻き、
「久しぶりだな、サイトー」
中学や高校で俺をイジメていた、同級生のような視線で睨んできた。
「ケイン、少し痩せたな」
勇者ケインの目の下には薄っすらとクマがあり、頬には回復魔法では癒えきらなかったような切り傷がある。
「驚かないんだな」
鼻で笑うケインに、
「いや、驚いているよ。てっきり三人で来ると思っていたからな、聖騎士ライザーはどうした」
俺がグラスの水を飲みながら聞き返すと、
「モーリンの件であのボンボンがあまりにも反抗的になりやがったから、聖剣のサビに変えてやったよ。色々と良い思いをさせてやったのに、今更あの女が惜しくなったみたいでな」
自分の頬の傷を指さして、ニヤリと笑う。
「そうか、惜しいことをした」
勇者パーティーにいた頃、二人はとても仲が良く見えたのに…… 残念でならない。
それとも彼らの友情とは、その程度のモノなのだろうか。
「モーリンから死に際に話を聞かなかったのか? お前からモーリンを奪うために禁呪に手を出して、あいつを犯そうとした奴だぜ」
怪我の癒えたモーリンからその話は聞いている。
アンジェもモーリンも、魔族と密約していた勇者ケインが持つ特殊な魔道具で心変わりさせられ、魔王を倒すころには既に正気ではなかったと。
それでも二人はギリギリのところで抵抗し、ケインやライザーに無理に犯されそうになれば、その度に命を絶つ覚悟で挑んでいたから操は守れたと。
モーリンは、そんな話を涙ながらに語ってくれた。
その話自体にも怒りを覚えたが、モーリンの命が助かってないと確信して、ケインが自己保身の嘘をつくことも虚しい。
「もっと早く気付かなかった俺のミスだ。陛下からは魔王討伐と同時に四人の教育も頼まれていたのにな」
俺が陛下から受けた任務は魔王討伐と、次世代の帝国を担う人材の育成だった。
新たな魔王やそれに匹敵する災厄に帝国が直面した際に、毎回大賢者の力を借りなくても人族が自力で生き延びていけるようにするためだと、陛下は言っていた。
師匠もそれなら力を貸しても良いと言うので、俺ひとりで魔王を倒さず、将来のことを考え、時間がかかっても彼らと共に行動したのだが……
「へっ、相変わらずその全てを見透かしたような、上から目線が気に入らねえ」
どうやら肝心な人選を誤っていたようだ。
「ケインに魔族の血が流れていることも、その剣がもう聖剣ではなく魔剣であることも知っていたが…… 努力と正義感は認めていたんだ。上手くいけば魔族と人族の平和のための懸け橋になれるんじゃないかと、期待もしていた」
初めて会った時から、ケインの素性には気付いていた。
しかし何かに打ち込む姿は本物だったし、努力家でもあった。
旅の途中で聖騎士ライザーの剣技が著しく向上したことがあったが、それはケインがライザーに聖剣を渡したことが原因だった。
それも仲間を思っての行動だと思い、その時俺は見て見ぬふりをしていたが……
最初の襲撃で
以前より出力が増していたからまさかとは思ったが、モーリンから聞いた情報では魔族がもつ技術でケインもライザーも能力の引き上げをしていたそうだから間違いない。
しかもその詳細を聞くと、この世界の技術流用の疑いもある。
かなり根が深い問題だろう。
「何故魔族と手を組んで、こんなつまらない事をしている」
「俺をガキの頃から差別して痛めつけてきた人族に、はなっから愛着なんかねえよ。俺が狙ってるのは次期魔王の座だ、その為にはあんたがどうしても邪魔なんだよ」
「だから、それそのものが魔族の得意な罠だと、何故気付かない」
俺がグラスの水を飲みほしてため息をつくと、ケインは手を握りしめてプルプルと震えた。
「御託はどうだっていい! 偉そうなことを言ったって、どうせお前も初代大賢者から受け継いだ
俺はケインの瞳を覗き込んだ。
正義感があって純粋だと感じていた部分は、ただのガキの思想だった。
言ってることもやってることも、中高生のイジメっ子やガキ大将と変わりない。
それが見破れなかったのは、俺がイジメに対する認識を誤る、芦屋の怨霊の呪いを受けていたせいもあるが……
必死になって自分を正当化し、虚栄を張って自分を大きく見せようとし、他人を不当に低く評価しようとする。
目の前にいる勇者は、あまりにも小さな男だった。
俺がもっと早く気付けば……
いや、もう一度チャンスをあげれば……
そんな考も頭をよぎったが、クイーンは「悪意にまで優しさを抱くのは危険な行為」だと言った。師匠も「自然の
だからここは俺が決意して、問わねばならないのだろう。
「お前は罪を知らぬ阿呆か、罪から逃げる卑怯者か、それとも俺が背負うべき罪なのか」
俺の言葉に怒りを露わにしたケインが、自分の収納魔法から魔剣を抜き取る。
「チェック」
俺が最後の
「その程度、盾にすらならん!」
ケインは
その姿はもう魔族そのもので、口からは大きな牙が見え目もつり上がり、頭上には羊のような曲がりくねった角が生えていた。
俺が片手で魔剣を受けると、ケインの動きがピタリと止まる。
「な、何しやがった!」
引くことも押すことも出来なくなった魔剣を握りしめ、ケインが俺を睨む。
「まだ魔力は使っていない、ただの腕力だ」
俺はもう片方の手に持っていたグラスをテーブルに置き、その魔剣も手放す。
伝わってきた感覚に、違和感を覚えたからだが、
「バカなこと言ってんじゃねえ、こいつは聖剣だって叩き斬れる魔族の宝具なんだ! しかも特殊な技術で加工した……」
やはり下神が所有していた現代兵器と魔道具の融合は、異世界でも使われているようだ。
さっきの違和感は、魔力を半導体レーザーの要領で振動させたものだろう。
サーチ魔法で確認すると、やはり柄の部分に光学半導体のような物が仕込まれている。
もう一度ケインは袈裟懸けに俺を狙ったが、同じように左手で受け止めると、
「何を隠してやがんだ…… 確かに魔力は感知できねえが、そんなこと出来るわけ……」
徐々に体を震わせる。
どうしても俺との実力差を認めたくないようだ。
「勘違いしてるようだが、チェスの駒は能力を上げる物じゃなくて、俺の力を抑えるための物だ」
すぐ暴走して制御が出来なくなる魔力を抑えて、上手く操作できるように『枷』として利用しているのが、あの魔法石の駒と
「それを外すと、身体能力も魔力も元に戻ってしまう」
「くそっ…… 次はそのカラクリを見破って、必ず命を奪ってやるからな」
まだ俺の話を認めたくないようで、ケインは魔剣を手放して収納魔法から拳銃を取り出すと自分のこめかみに当て、カウンターにいたフードの女性に手を伸ばした。
「待ってたよ」
それは前の戦いで魔族軍の将校が使った手口と同じ……
扉の能力を利用して、自分の命と引き換えに異世界に帰る方法だ。
普通なら死んでしまうだけだが、前回はモーリンの目の力を利用して転移を可能にしていたし、今回はカウンターテーブルの女性を利用するつもりだろう。
拳銃のトリガーに転移ゲートにつながる術式を見つけ、
「これでチェック・メイトだ」
魔力を叩き込むと時空間の扉が開き、ケインが徐々に吸い込まれてゆく。
「なんだ、こりゃあ」
「転移魔法の失敗は『時の迷子』を生むことぐらい知ってるだろう。罪を知らぬ阿呆よ、そこで自分の今までの行いを悔いるが良い」
ケインは最後まで俺を睨みながら、時空間の歪に吸い込まれていった。
それを確認してから、俺は閉じ切っていない時空間の歪に向かって手を広げる。
三枚あった扉の一枚は師匠がもっていて、もう一枚は俺がこの世界に戻る際に回収した。
どんな手段でもう一枚が使われているのか分からないが、このチャンスに回収しなければ同じ不幸がまた起きてしまうだろう。
「魔力を開放する、春香!」
「――了解です」
俺の声に、猫耳のメイド…… 店員のふりをしていた春香が洋風の扇子を広げる。
「皆さん、お願いします!」
春香は大声で叫ぶと、自分の魔力を放出しがら舞うようにステップを踏んで、体をくるくると回転させる。
それに合わせてメイドに扮していた元下神の戦闘巫女や、厨房に隠れていた千代さんと
同じように厨房にいたモーリンの呪文が聞こえてくると、続いて客に扮していた唯空の双子の弟、右門左門兄弟が経を唱え始め……
俺の席から見えるウィンドウの外で、虚無僧姿の男が念仏を唱え始める。
この店はリトマンマリ通商会が運営しているバーを、この日の為に改装したものだ。
あちこちに俺の魔力に対応できるような魔術的補強が施してある。
店全体が特殊なフィールドに囲まれたことを確認して、
「――持ちこたえてくれよ」
俺は枷の外れた魔力を腕から放出する。
あの
問題は枷を外した魔力を俺がまだコントロールできないことだが、今回は皆の力を借りてそれを行うことにした。
異世界でもアイディアとしては持っていたが……
日本に帰ることに反対していた師匠の手は借りれないし、それ以外で俺の全開魔力を受け止めれる人物が見当たらなかったから、諦めていた方法だった。
――ウィンドウの外にいる唯空の左腕が青く輝き始める。
陰陽師、妖狐、異世界の魔導士モーリン。
唯空はまったく系統の違う魔力をキレイに編み上げ、それに自分の魔力を載せながら完璧なフィールドを作り出した。
――その魔法術式は見とれてしまうほど美しい。
「これならいける」
俺は魔力を開放しながらケインが吸い込まれた歪に手を入れ、強引に
そして更に出力を上げ……
「モーリンやアンジェが安心して帰れる理想の形にできるな」
今放出した魔力は、大型火山の噴火や小隕石の追突に匹敵する物だったが、店全体が緩やかに揺れているだけてフィールドは壊れていない。
店の中にいる全員が精も魂も尽き果てたとばかりに倒れ込んだが、そのほとんどを受け取っていた唯空は疲れた様子すら見せていない。
唯空は、青く輝く鬼のような手で笠をつまみ上げると、
「またな」
ウィンドウ越しに俺に向かって口を動かし、暗闇にまぎれるように去って行く。
撲殺炎者
それがきっと、俺が初めて出会ったライバルの名前だ。
唯空の後ろ姿に、俺の身体が自然と震え始めると……
「サイトー様…… この魔力波は、大賢者サイトー様ですか」
カウンターに伏せていたフードの女性が立ち上がり、両手をさ迷わせながら俺に向かって歩き出す。
「アンジェ!」
俺が抱きとめると、その状態はモーリンより酷く、自力で歩けることが不思議なくらいだった。
「苦労を掛けた」
俺は急いで回復魔法を掛けたが、その傷がなかなか癒えない。
更に出力を上げるとアンジェの背が少し縮んでしまったが、命が優先だろうとそのまま続けると……
全ての傷が癒える頃には、ポンキューポンのダイナマイトバディだったアンジェが、中学生ぐらいの見てくれに変わってしまった。
「大丈夫か?」
アンジェから手を離すと、着ていたパーカーはもうブカブカで、穿いていたジーンズもサイズが合わなくなったのか、ポトンと音を立てて脱げてしまう。
フルオープンになった白いレースのパンツと、傷の癒えた若々しくツルンとした太ももに驚いていると、
「ああ、何という奇跡でしょう…… サイトー様の御姿をもう一度この目で見ることが出来るなんて。これで思い残すことなく天国へ行けます」
元気になったアンジェは、泣きじゃくりながら俺にしがみ付いた。
もう、ブラジャーのサイズも合っていないのだろう。
パーカーの下の薄いシャツ越しに、それでも中学生レベルとは思えない大きな胸が、ズレたブラジャーを押しのけてボインボインとダイレクトな感覚を伝えてくる。
その姿と感覚に、またドキドキ持病が襲って来て……
俺はもう一度、色々な意味で身体が震え始めた。