夕闇のメイド喫茶
唯空の地図にあった店はリトマンマリ通商会の近くにある政令指定都市の港町で、大通りを一本中に入った倉庫街にある。
指定された場所の近くにあった小さな公園に到着すると潮の香りが鼻を突き、辺りは夕闇に包まれ始めていた。
公園にあった時計の針は、午後五時を回ろうとしている。
転移魔法終了のスキを狙ってくるかと思ったが、追跡者は距離をとって俺を観測しているだけだ。
ポートに泊まる貿易船を眺めながらそこまでゆっくり歩いても、追跡者の様子は変わらない。
店の前まで着いて看板を見上げると、力強い筆文字で書かれた、
『
そんな怪しすぎる看板が掲げてあった。
――唯空が書いたのだろうか?
店構え自体は倉庫を改装したおしゃれなカフェのようだが、
「入店を
俺はついつい深いため息をつく。
ちょっと帰りたくなった気持ちを抑えて店のドアを開くと、
「お帰りなさいませ、ご主人様!」
鬼のような角をつけた栗色の髪のメイドさんが駆け寄ってきて、嬉しそうに微笑んだ。店内はテーブル席が十席ほどで、カウンターテーブルもあり、同じメイド服に身を包む女性が数人いる。
以前ネットでリサーチしたメイド喫茶と同じ雰囲気だったので、とりあえず安心していると、
「おう、こっちだこっち!」
奥のテーブルで虚無僧姿の男が大声で手を振ってきた。
「なかなか良い店だろう」
近付くと、唯空はビールジョッキになみなみとデコレーションされたフルーツパフェを頬張っている。
唯空の対面の席に座ると、テーブルの奥の大きなガラス窓からは、店の植え込み越しに港が眺めることができた。
オーダーを取りに来たさっきの鬼角娘はなかなかのダイナマイトボディで、エプロンドレスを持ち上げる胸元とやたら短いスカートからはみ出るむっちりとした太ももが、とてもセクシーだ。
俺がついつい見とれていると、
「うちの名前はレイナって言うんや、ちゃんと覚えといてね」
胸元の名札を指さしながら、大きなブラウンのツリ目でウインクする。
唯空が食べていたパフェが美味しそうだったから、同じものをオーダーすると、
「先に言っておくが、俺は
唯空はレイナちゃんに笑いかけた後、真面目な顔に戻ってそう言った。
「どうして?」
「今回の件で下神とつるんでやがった本山の連中が更迭されたんだが、それに伴って今度は権力争いが起きちまってな…… 俺を上層部に推す声もあったが、まあ、愛想が尽きちまったんだろう」
「迷惑をかけたようだな」
俺が心配すると、
「まあいい機会だったんだろうよ。本山は日本最大の退魔士集団の名前の上にあぐらをかいちまって、もう腐ってやがったのさ。これで少しは風通しが良くなる」
そこで猫耳のメイドさんがそっと注文したパフェをテーブルに置いた。
コースターの下には小さなメモがある。
「唯空が辞める必要はないんじゃないのか?」
俺はメモを引き抜き、届いたパフェにスプーンを刺した。
「なあ、お客様は神様ですって言葉は知ってるか?」
唯空はニコニコとメイド服の美少女たちを眺めながら、左手でブイサインする。
先ほどのメモを見ると、「お友達確認♡」と書かれていた。
なら追跡者は二人で、もう店先まで来たのだろう。
「確か古い人気歌手の言葉だったような……」
「その歌手がどんな意味で話したかは知らねえが、あれは金を払って歌を聞いてくれる客が神様って意味じゃねえんだ」
俺は首を捻ねったが、
「仏の教えにも似たような物があってな。仕事ってのは自分が信じる『神』とか『仏』って呼ばれるものに捧げるもので、理想や信念を貫けば、それが巡り巡って多くの人や社会を支える一助になる。だから金をくれる会社や組織、あるいはその大元の客に捧げるもんでもねえ」
続くその言葉に納得がいって、頷くと、
「俺は仏道の修験者で
唯空は楽しそうに笑った。
「それでお前さんに頼みがある」
「なんだ」
「俺についてきたがってる若い連中の面倒を見てくれねえか? 金の問題はアリョーナが何とでもすると言ってくれたが、まとめる人間がいねえ」
「唯空はどうするんだ」
「しばらく放浪しながら修行を積み直すつもりだ。もうこれ以上金剛力を極める気はなかったが…… 面白い男に出会ってな、考えが少し変わった」
唯空は俺を鋭い眼差しで射止めると、
「芦屋のジジイを退治するときは、まだ奥の手を出してなかったんだぜ。お前さんが俺より先にあいつを喰らっちまっただけだ」
ニヤリと口を吊り上げる。
あの異世界でゲートを内包していた魔王の前に立った時ですら、鳴らなかったサーチ魔法の危険シグナルが脳裏で響く。
またドキドキ持病が襲ってきたが、これは喜びのせいだろう。
大賢者の称号を得てから本気で戦った敵などいなかったが、目の前の相手はそんな連中とは明らかに違っていた。
「分かった、その修行の成果を楽しみにしている」
きっと俺も唯空と同じように笑っていたのだろう。
唯空は俺の目を見て嬉しそうに頷くと、
「詳細は弟たちにでも聞いてくれ」
豪快にパフェの残りを平らげた。
「じゃあ俺はこれで旅立つが、出かけの駄賃で良いモノを見せてやろう」
そして席を立って笠を深くかぶると、唯空は僧衣をひるがえしながらクールに去って行く。
……メイド喫茶で。
「いってらっしゃいませ、ご主人様!」
そんな美少女たちの声と、後ろの席で必死にメイドさんを口説いているロン毛の双子の声を聴きながら俺がため息をつくと、
「お帰りなさいませ、ご主人様!」
また美少女たちの声が店内に響く。
どうやら入れ替わりで、カップルの客が来たようだ。
二人ともジーンズにパーカーを羽織ったカジュアルなスタイルで、フードを深くかぶり、女性は既に日も落ちているのにサングラスをしていた。
女性が入り口の近くの小さな段差につまずくと、
「ちっ」
男が舌打ちをしながら肩を抱き、女性はビクリと全身を震わせた。
その姿からは、仲の良さは伺えない。
たぶん女性は目が不自由なのだろう。
「追加オーダーはよろしいですか?」
パフェを持ってきてくれた猫耳のメイドが俺のテーブルに来て声をかけてくる。
「スクランブルを頼むよ」
俺がそう呟くと、
「かしこまりました、ご主人様」
黒く透き通ったストレートヘアを揺らして……
その美しいメイド服の少女は、深々と俺に頭を下げた。