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異世界帰りの大賢者様はそれでもこっそり暮らしているつもりです 作者:木野二九

第四章 それでも大賢者様はささやかな幸せを願う

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闇の女王と死の谷 その5

 他人との意識が混じりあう……

 それはとても不思議な感覚だった。


 ひとりの美しく才能あふれる女性の半生の記憶がなだれ込む。


 恵まれた家庭に生まれ、優しい両親の愛を一身に受け、年頃になると周囲は蝶よ花よと少女を称える。

 そして神々の試練を受け、森をさ迷い何度も生死を繰り返し、魔族をまとめ魔王となり、深い谷に自分を閉じ込める。

 壮絶な痛みと苦しみが俺の体験として心に刻まれた。


 振り返ると何もない白く明るい空間で、燃えるような赤い髪の美女が涙を流している。


「あんたの人生も、やっぱり辛いものだったんだなー」

 姿は二十代半ばだったが、しゃべり方は幼女のままだった。


「まあ一度は死んだ経験があるけど、ヘーラーに比べたら大したことじゃない」

 そう、彼女の記憶の中では人だった頃、皆からそう呼ばれていた。


「その名は一度捨てたものだから、他の名前で呼んでほしいかな」

 裸のまま俺のローブを羽織っただけの姿で首に手をまわすと、赤く整った切れ長の瞳を閉じる。


 もうボインボインといろんな場所が当たっちゃうから、色々と困ったが、


「魔女も魔王も、もう違うしね。じゃあクイーンと呼ぼうか」

 俺がそう言うと、

「分かった、ダーリン」

 嬉しそうに上目遣いで微笑むと、更に力を入れて抱き着いてきた。


 もうその呼び方は決定なのだろうか?

 俺が改善を要求しようとしたら、


「ダーリンには悪いけど、あたいはやっぱりこのまま世を去るよ。この痛みに耐え続けるのは無理だからさー、それに……」

 そう言ってゆっくりと手を放す。


 クイーンが抱えていた苦痛はあの神が言った通り、俺の心にも同じように届いていた。それもどうやらバレているようだが……


「残念だけど、もうそれ無理っぽいな」


 俺はこの空間にさ迷っていた剣を引き寄せてつかみ取る。

 その形はまだ剣だったが、既に二人をつなぎとめる『(かせ)』として機能していた。


「せっかく苦痛から逃れるチャンスだったのに、申し訳ない」

 やらかしてしまったことを謝ると、


「まったく困ったダーリンだな」

 クイーンは大粒の涙をポトリと落とした。


 そして何かを振り切るように微笑むと、

「そうだ、その心がどうやって壊れたのかあんまり自覚無いようだからさ、辛いかもしれないけどちゃんと思い出して。あたいは心の底まで覗けたから分かるんだ。 ――そうしないと、もっと危険になるって」



 クイーンは俺の目を覗き込み、静かに慈しむように呪文を唱えた。



   × × × × ×



 そこは俺の前世の部屋だった。

 空気に溶け込むように、その当時の俺を上から眺めている。


 部屋中に参考書や教科書が飛び散り、隅の机には餓鬼のようにやせ細った少年がカリカリと音を立てシャープペンシルを走らせていた。


「せめて勉強くらいは…… いや、それさえ上手くいけば……」

 鬼気迫る呟きは、既にもう何かが壊れていることを暗示している。


「思い出して、この後の記憶が大切なキーなんだから」

 何処かからクイーンの声が聞こえたが、姿は見えなかった。


 やがてやせ細った少年が立ち上がり、部屋のドアを開けようとする。

 そう、確かあの時は空腹に気付いて部屋を出ようとしたはずだ。


 そしてドアが動かないことに、ため息をつく。


 弟のリュウキは家に友達や彼女が遊びに来ると、俺と出くわさないようにドアに細工することがあった。


 きっとまた誰かが来ているのだろうと食事をあきらめ、また机に向かう。

 しかし一時間が過ぎ、更に時間が過ぎ、深夜になってもそのドアは開かない。


 母が置いて行った簡易トイレが部屋にあったので、用だけは足せたが……


「とにかく勉強だ、それさえ上手くいけば」

 俺はドアの件から逃げるように机に向かって勉強を再開した。


 そして翌日、珍しく両親と弟が朝早く車で出かける音で目を覚ます。


 駐車場に向かって叫ぼうとしたが、また母や弟に「近所に対して恥ずかしい」と怒られるのが怖くて声が出ない。


 もう一度確認しても、部屋のドアは開くことはなかった。


 しばらく喉の渇きと心の痛みで錯乱したが、何度も嘔吐を繰り返すと何故かのどの渇きも薄れて、気持ちも落ち着いてくる。


 空気に溶け込み上から眺めると良く分かるが、既に危険な脱水量を超えて、感覚が完全に麻痺しているようだ。


「ねえ、この時ダーリンは何を考えてたの」


「学校で起きたイジメかな。イジメた相手は『これぐらいなら大丈夫』『これはただのおふざけ』『元々の責任はそっちにあるんだからこれぐらいの仕返しは問題ない』そうやって少しずつ俺を追い込んでいった」


「そう、それで?」

 クイーンの優しい声が響く。


「これも同じだなって…… リュウキはたまたまドアの仕掛けを解き忘れただけ、両親はたまたまそれを知らずに出かけただけ」


 するとクイーンはクスリと笑う。

「そんなわけないでしょ、学校のイジメもこの出来事も、みんな深い悪意と憎悪でダーリンを追い込んでる。イジメってそう言うものじゃない」


 もちろん俺はそれを知っていた。

 ただ心のどこかで、それを認めたくなかったのだろう。


「この世界の学び舎でも同じ事が起きてるの。何故そんなことが起きるか、ある賢者が実験してね」


 その研究では、過酷な自然環境で生きるネズミたちは仲間を守り合い、イジメのような出来事が観測できないのに…… 狭く餌が豊富に与えられ、外敵がいない場所でネズミを飼育すると、イジメの発生が観測できたそうだ。


「その賢者は動物の生存本能の歪みだって言ってたかな。面白いのはイジメる側のネズミたちは自然界では外敵にすぐ食べられちゃうタイプで、イジメられる側はそのネズミたちの(おさ)になるタイプが多いってこと」


「まさか」

 俺が苦笑いすると、


「当り前じゃない、生存本能って自分の存在を脅かす相手に対して、嫌悪感や攻撃心を抱くものなんだから」


 クイーンのぬくもりが全身を包む。


「だからダーリンは自分の敵に対して、もっと強い態度に出なきゃいけないの。そんな悪意にまで優しさを抱くのは危険な行為なんだよ」


 しかし俺には勇気がなかったのだろう。


 その気になればドアを蹴破ることも、二階の部屋の窓から飛び降りて助けを呼ぶこともできたはずだ。


 だから俺を殺したのはリュウキでも、母でも……

 それをずっと放置して、無関心を貫き通した父でもない。


「これはただの自殺だよ」


「ダーリンの気持ちも分かるけど、もっと良く現実を見つめて。世の中には許しちゃいけない悪がたくさん存在してて、それはいつも身近に隠れてて、そっと無防備な誰かを狙ってるの。あたいはそんな悪を嫌というほど食べてきた」


「じゃあ、俺はどうすれば……」


「罪に対して毅然と立ち向かって。じゃないとダーリンはすぐに命を落としてしまう…… それに」


「それに?」


「この一連の出来事には誰かの強い悪意を感じるから、何か仕掛けがあるのかも」


 すると眼下では、完全な脱水症状を起こして死の直前にあった過去の俺の前に、女神が現れた。


「ねえ、こんな俺と痛みを分け合って、生きて行くしか方法がなくなってしまって…… ゴメンね」


 俺がクイーンに話しかけると過去の記憶が終わり、目の前に二十歳代半ばの美女が現れる。


「もうね、後悔なんかしていないよ。あたいたちは心の深い場所でつながったし、それが分かったことでダーリンをもっと好きになったから」


 微笑みながらクイーンは俺に近付き、


「問題は深い闇に同調して歪んでしまった愛情表現かな? きっと闇の問題か愛の問題が解決すれば、それもちゃんとした形に戻ると思うけど」


 そう言って俺が持っていた剣に手を載せた。


「これ以上ダーリンの心が壊れないように、この剣でお互いの枷を作ろう。あたいはそれで痛みが和らぎ、ダーリンは闇に飲み込まれなくて済む」


 そしてクイーンの体が縮め始めると同時に、鎖やベルトが全身を覆う。


「それからダーリンの闇だけじゃなくて、愛情にも枷をかけるね。今でも十分歪んでるけど、心配事もあるし」


「心配事?」


「あたいのわがままも含まれてるけど、そうした方がより色々と安全だよ。これ以上ダーリンの師匠を名乗るあの女に殴られるのも嫌だし…… そのっ、スケベ心のブレーキと言うかコントロールをちょっとね」


 クイーンは少しはにかみながら俺の頭の上に手を載せると、何か呪文のような物を唱える。


「師匠を知ってるの」


 幼女になったクイーンが、

「魔女と呼ばれ始めた頃あたいの前に現れたけど…… 討伐できるほどの実力を持ちながら、憐みの視線であたいを見るとそのまま去って行った。いけ好かないやつかなー」


 プクリと頬を膨らませ、


「それからこの愛情の枷は、問題が解決するたびに解いてあげるね。そうしないと色々とフェアじゃないからなー」


 そして、コクリと首を傾げる。


「例えば?」

「ダーリンが死んだ原因になった『悪意』の問題が解決したときとか」


 それから俺たちは誓いを立てた。

 その第一条は……



 この先何があってもお互い、絶対に自分の命を絶とうとしない。

 ――そんな約束だった。

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↓こじらせた女子高生が悪役令嬢として活躍する物語です↓
『その伝説の乙女ゲーマーは現実世界の恋愛フラグが回収できない』
 
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