闇の女王と死の谷 その3
闇の魔女の呪いのせいだろうか、落下しながら左右を確認すると崖には特殊な魔力が溢れていて、上手く魔法が使えない。
徐々に光も届かなくなって全身が闇に包まれると、
「ぐげっ」
やっと底にぶち当たった。
「痛たたっ」
師匠に殴られるより痛みが少ないのがせめてもの救いだが、
「普通なら死んでるよな、これ」
しばらく身体が動かなかったし、見上げても空が確認できない。
ただ暗闇が全身を包むだけだ。
何とか立ち上がり怪我がないことを確認して、
「師匠に殴られるたびに受けた回復魔法の副作用だろうか?」
俺は自分の体の丈夫さに首を捻った。
「まあ修行の成果が表れたと考えておこう」
決して師匠にセクハラしすぎた訳じゃない。
しかしこの頃の俺は簡単な魔法しか使えなかったから、周囲にある退魔術フィールドを破って飛行魔法で浮上することはできないと判断して、
「また崖登りか……」
やるせなくため息をついが、
「とにかく言われた通り『闇の魔女』さんとお話だな。そう、師匠がいつも言ってるけど、何事も前向きに考えなきゃ」
周囲を確認する。
草ひとつ、苔ひとつ無い岩場はどす黒く変色して独特の魔力を帯びていた。
魔力を強く感じる方向に向かって歩を進めて行くと……
十メートル以上はある大きな岩に囲まれた石像のような物が見つかる。
「魔力の発信源はここだけど」
それは魔女というより、異形の化け物の彫刻にしか見えなかった。
四本の腕に二本の脚、背には大きなコウモリのような翼があり、頭の上には羊のような曲がりくねった角があった。顔は人間に近かったが、目は異様につり上がり、口は頬まで切り裂くように広がっている。
しかもその大きさは、周辺の岩々と同じく十メートルを優に超えていた。
そして四本の手のひとつが剣を握り、自分の胸を貫いている。
「お伽話の通りならこれが魔女なのかな?」
しかしそこからは精気は感じられず、とても会話ができる状態には思えなかった。
近くで見ると、周りの岩々と同じどす黒い色とその異形が醸し出す雰囲気には、鬼気迫るものがあり……
同時にいつか教科書で見た人々の罪を背負い張り付けられた聖人や、修学旅行で観た人の世の業に苦しむ国宝の仏像のように、代えがたい神々しさもある。
反射的に両手を合わせ深々と頭を下げ、
「……なんて、美しく尊いのだろう」
自然とそんな言葉がもれ出た。
すると石像からパラパラと何かがはがれる音が聞こえてきて、ふと顔を上げると、
「今、何と言った?」
どす黒い表面の岩がはがれ、中から赤黒い肌が露出し始める。
「良かった、会話ができるんだね。とても美しいと思ったからそう言ったんだ」
俺が微笑みかけると、魔女は引き裂かれたような唇を吊り上げ、
「この姿がか」
俺を睨む。
「その全てがかな」
微笑んだまま本心を伝えると、魔女は……
「どうやらリリアヌスやアーリウスが言ったことは本当だったようだな。本物の愛を知る人物が現れれば、この不老不死の忌まわしき呪いが解けると」
そう言って笑いだすと徐々に小さくなり、異形の姿から人の姿に戻り始めた。
俺が慌てて駆け寄ると、そこには二十代半ば程の燃えるような赤髪に透き通るような白い肌の美しい女性が全裸で胸に剣を突き立てて倒れている。
「しっかりして!」
ボインボインとした形の良い巨乳に意識をとられないよう気をつけながら、まだ覚えたての回復魔法を施行すると、
「もう手遅れだろう…… しかし永遠の死と再生がこれで終わると思うと、安どの思いしかない。少年よ、できれば…… その名を教え、よく顔を見せてくれぬか」
その女性は心から嬉しそうに笑った。
俺は魔女だった美しい女性の手を取り、
「残念だけどあきらめる気は毛頭ないんだ。治療が終わったら名前でも何でも教えてあげるし、顔と言わず好きなところを見せてあげるよ」
師匠の魔法を思い出しながら何度も挑戦したが、圧倒的に魔力が足りない。
消えゆく美女の生命は、数千数万人分の『罪』を背負っていたからだろう。
「足りない物は、借りるしかないな」
ちょうど谷の中には、魔女が吐き出した「憎しみ」や「怒り」や「悲しみ」に満ちた力が散乱している。
それは魔女自身の想いでもあるようだし、魔女が命を奪って喰らってきた魔物たちの想いでもあるようだった。
「我が心と似たる悪しき力たちよ、その憎しみや怒りや悲しみをこの心に向け、我が力の糧となれ!」
俺が呪文を唱えると、谷中に静かな怨嗟がこだまする。
そして「痛み」や「辛さ」や「寂しさ」が形を成して俺の心を引き裂きながら、壮絶な魔力に変わって行った。
「何をする気だ! 人の体でそんなことをすれば、身も心も吹き飛ぼう…… いや、その前に心がもつはずがない」
「今忙しいから、ちょっと黙ってて」
俺は元魔女の言葉を無視して、神経を集中させながら胸の剣を引き抜く。
「くっ! そのような事をしてまで…… こんな女を助ける必要があるのか……」
剣を引き抜いた反動で元魔女の美しい体が跳ね、俺をまた睨み返したが、
「美女や美少女を無条件で助ける為に修行してるからね」
「そ、そのような…… では、責任をとれるのか」
「もちろんそのつもりだ」
俺の言葉に何故か美女は顔を赤らめ、
「それは本当なのか」
消え入るような声でもう一度聴いてきた。
「初めて逢った時から、その美しさに心を奪われた」
「あの姿に……」
俺が頷いて笑顔を向けると、何かに納得したかのように目を閉じた。
そして億千万もの谷の呪いが俺の心に収まると、やっと回復魔法が完成する。
「だから後悔は後でしてくれ」
俺はその美しく尊い体に魔法を叩き込んで……
魔女と同時に、気を失った。