軍用日本刀の考察 実戦使用記録0

軍 刀 の 実 戦 使 用 記 録

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 日本刀の近代的研究


 小泉久雄海軍大佐は、昭和8年3月10日、「日本刀の近代的研究」と
 いう本を著した。
 上海事変の翌年に発行された著作である。
 丸善㈱が発売、定価8円のハードカバー高額本であった。

  昭和7年1月28日~5月;上海での支那人による日本人僧侶
     殺傷事件を発端とした日・支両軍の軍事衝突事件

 左写真は、正装して長剣を握る小泉久雄海軍大佐

小泉大佐は海軍兵学校第34期。「中央刀劍會」に薫陶を受けた熱心な日本刀信奉者・研究者という。昭和4年に海軍大佐に任じられ、
昭和17年に戦死(少将)するまで、日本刀の研究と鍛刀技術の保存、普及そして一般への啓蒙活動を行った。
本書は日本刀の歴史・鋼材・鍛造・研磨・鑑定等を写真と図を使って素人にも解り易く説明した独自の書と著者は述べている。
只、日本刀神話に基づく従来の刀剣界の通説を整理しているだけで「日本刀の近代的研究」と言う目新しい内容ではない。

巻末に「附録」として、「四、軍人の佩刀に就いて」という項目があり、「一、軍刀實用の成果(表)」として海軍・上海特別陸戦隊
士官の軍刀(海軍正式呼称は長剣)使用の実態が24例紹介されている。
「本資料ハ劍友海軍砲術學校教官工藤海軍中佐ヨリ與ヘラレタルモノ」との注釈が付き、軍刀を実戦で使った約40名の士官からの聞き
取り調査と見られる。
但し、24例しか記載されていないので、残りの士官は抜刀したものの斬撃に至らなかったか、小泉大佐が日本刀にとって都合の悪いも
のを割愛した可能性もある。
その理由は、小泉大佐は熱心な日本刀信奉者で、且つ海軍々人としては異例とも云える軍刀の武器有効論者であった。

本書では武道・剣道の不振を嘆き、盛んに剣道の振興を軍や世論に訴えている。
又、軍刀のサーベル洋刀を嫌い、日本刀身及び日本刀拵えの必要性を熱心に主張している。
その意味では、士官軍刀を有効な武器として主張していた荒木陸軍大将とも通じるところがある。

上海事変は、支那軍閥私軍である第十九路軍 33,000人と、邦人租界を守る帝国海軍上海特別陸戦隊 1,800人との局地市街戦である。
彼我の18倍に及ぶ兵力差はあまりに大きかった(途中から日支両軍は増援するが兵力比は依然と大きかった)。
上海事変は嘗(かっ)て海軍が経験した事のない熾烈な市街戦であり、圧倒的多数の敵に陸戦隊は窮地に追い込まれた(死傷率は日露戦争
の遼陽会戦に匹敵)。士官と雖も、軍刀と拳銃を持って、下士官・兵と共に必死に戦わざるを得ない過酷な戦況であった。

1

軍 人 の 佩 刀 に 就 い て


實 用 者 の 軍 刀 改 善 意 見

(一) 實用者約四十名の総合感想
   市街戰夜戰等に於いて、殊に便衣隊(注: 市民の服装をして小型武器を隠し持ち、市民の海に紛れ込んで予め民家等に隠して
   いた銃火器で攻撃してくるゲリラ=国際法違反)、不正規軍等の活動頻繁なる今次の如き戰場に於いては、豫ねて想像せる以上
   に腰間の一刀に心強さを感ずると共に、支那兵便衣隊等の心膽を寒からしむる物は部隊長の軍刀と、下士官兵の銃劍なる事を
   痛感せり。
(二) 刀身に就き
   片手に拳銃を使用する便宜上、一尺八寸位の脇差しを有利とする數氏ある外は、概ね各自の佩用せし二尺乃至二尺三寸を適當
   とし、劍道に相當自身ある三、四段、精錬證程度の數氏は、釣合適當ならば二尺四寸位迄にて成るべく長きを可とせり、
   又所謂「新村田刀」は、最初の切れ味は相當なるも、刄味速やかに低下すると、曲り易き爲種々の不都合を生じ、且つ何と
   なく古來の日本刀が品位に於ても、丈夫さに於ても、信頼度遙に大にして、氣持が違ふと云ふ。
(三) 鞘に就き
   現用鞘の鮫皮は、雨中に四五時間曝す時は剥げ、且つ木被部薄肉の爲、折れ、又は割れ易く、鞘端末金具の間より雨水等侵入
   し、甚不良なり。陸軍式の外装が寧ろ有利なり。何れにしても實戦の場合、鞘の皮(ママ)被覆は必要缺くべからざるものな
   り。
(四) 柄(つか)に就き(柄の旧漢字は文字化けする為に新漢字を使った)
   柄の長さは三握り或は八寸等一定せざるも、要するに刀長と手の大さによるものにして、二握半位が適當ならん。
    現用柄不備の點は、
    (イ) 厳冬の候にはつめたく不良なり。
    (ロ) 滑り易き爲木綿布を二重位に巻くを要す。
    (ハ) 身止めを發條式とするを要す。
    (ニ) 鍔の柄に面する部に彫刻あるものは食指の第二關節を負傷せしむ。
    (ホ) 護拳の鍔より頭に至る金物は、不用にして邪魔なり。
    (ヘ) 現用柄にては防寒具の上より斬撃、刺突するに不充分なり。
    (ト) 日本刀式 ? なる事を極めて必要とす。
(五) 軍刀佩用法に就き
    (イ) 上着の上より佩き、佩用劍帶は肩より釣皮(ママ)により支持するを要す。
    (ロ) 現式の佩用法並軍刀外装(注: 長剣拵え)の儘にては、夜間隠密行動の際騒音多く不利なり。
    (ハ) 匍匐(ほふく)前進、迅速行動に軍刀の邪魔にならぬ様改善を要す。
       又抜刀中鞘が脚に絡まぬ様にすると共に、劍帶に尾錠等を設け、自轉車、自動車乗用にも便ならしむるを要す。

村田少将の作られた村田刀は良質の瑞典(スウェーデン)鋼と、關物の刀身を寸斷したものとを混合した材料を以って刀身を作り、油で
焼入して、厳密なる打撃及屈撓試験に合格したものであるから、實用上申分の無いもので(其れ等には皆「小銃兼正」と銘を切った)今
日の所謂「新村田刀」とは格段の相違がある。

  刃味が急激に落ちるとは不思議である。刀身の材質に依って刃味の落ち方が違うのではなく、刃の焼入れに問題が在ったので
  はないか。玉鋼の日本刀でもそういうなまくら刀の報告がある。
  昭和刀やステンレス刀で毎日試斬されている武道家の話にも、急激に刃味が落ちるとは聞いていない。
  小泉大佐は新村田刀を貶しているが、村田刀は評価をしている。 

海兵隊(陸戦隊)は各国とも最精鋭の部隊である。陸軍歩兵部隊に比べて装備・練度で優れているが重砲を持たないので軽火器での戦い
となった。
然し、上記でも解るように、上海事変は多数の市民に紛れ込んだ便衣兵・不正規兵相手の戦いであり、銃火器が使い難いか、或いは使
えない状況の為に白兵戦が現出した。
この事例を以て、近代戦で白兵戦が頻発したとか、軍刀が有効な武器であったと断を下すのは早計である。
上海事変は、近代戦の中でも特異な市街戦故に、白兵戦闘が多発したと解釈すべきである。


昭和7年、海軍第一航空戦隊を警護する海軍上海特別陸戦隊

海軍制式長剣と日本刀拵え(鞘を革覆いで佩用出来るようにした物)が混在。この写真では、日本刀拵えの方が多い。
武道の心得がある士官にはサーベル拵えは使い難くかったのであろう。


昭和7年、海軍上海特別陸戦隊
磨銕
(まてつ)鞘の陸軍サーベルが混在するように見える
(上二掲写真は「東郷会」野尻様ご提供)

下段の「軍刀実用の成果(表)」は、次ぎの前提を念頭に置いてみて戴きたい。

 1.小泉大佐は日本刀の熱心な信奉者で、軍刀の武器有効論者。資料には著者の思惑が反映される
 2.供述者には「戦果・自慢話は誇張が多く」、「不利・不味い話は控え目に」という原則が自然に働く
 3.「劍道に相當自信ある三、四段、精錬證程度の數氏は・・・」の記述から腕に覚えのある士官が数名いた

注釈
 新村田刀: 著書11ページ及び附録22~23ページに
 「現今の『村田刀」には主として「東郷ハガネ」(英国製)の如き舶来鋼を使用する・・・・』
 (1) 「東郷ハガネ※1」 の如き洋鋼又は洋式精錬鋼を以て鍛錬せずして刀身を作り、油にて焼入し「ニッケル」鍍金して刃文を畫
   (か)いたもの・・・本品は銃劍や陸軍下士官以下の軍刀と同じく刃味は余り良くない           ※1 東郷ハガネ参照
 (2) 前記の如き刀身に、日本刀式に塗土し湯又は油で焼き入れした物 
 (3) 洋鋼と軟鉄とを重ね合わせ数回鍛錬して皮鉄とし、刃金を噛ませて湯又は油で焼き入れした物(割刀鍛=わりはぎたえ)等三種が
    ある

注記: 制式軍刀; 新軍刀制定迄は「制式長剣」が正式呼称。何故小泉大佐は陸軍式に「軍刀」と云ったのか ?
   日本刀拵えの儘: 日本刀打刀拵えの鞘を革覆いで包み軍刀として使った

東郷ハガネは和鋼を凌ぐ優秀な鋼であった。
洋鋼は元々鍛錬の必要が無い調整された鋼である。「鍛錬せずして・・・・」※2という表現に、「鍛錬」の意味すら解らず、旧来
日本刀の妄想※2に染まっている小泉大佐の資質の限界がある。※2 日本刀の常識を問う参照
日本刀神話を妄信している刀剣専門家という人達は、こうした出版物を通して間違った情報を広範に流布し続けた。
栗原彦三郎や、成瀬関次氏などの日本刀の研究姿勢とは全く違う。科学的素養の有無に依る違いであろう。
然し、刀剣専門家・愛刀家という人達は、どうしてこういう人達ばかりなのだろうか。
例え大家と称する人(日本刀神話の推進者)から薫陶を受けたにせよ、自ら考え、自ら真偽を確かめようとする姿勢は何事についても
必要な事である。これを科学的素養と言う。
刀剣界には、この科学的素養が見事に欠落している。無知・妄想集団の謗(そし)りを受けても止むを得ないだろう。
2

軍 刀 の 実 戦 使 用 記 録


海 軍・上 海 特 別 陸 戦 隊

縦書き原文を見易いように横書きに直し、一部の漢数字をアラビア数字に変えた
軍    刀
刄      味
刀  身 ノ 故 障
及 其 ノ 原 因
所  見 及 記 事
長 サ 反 リ 切 リ
シ數
箇  所 切   レ  味

兼 定
尺 寸分
2-3-0
2.3 分
2
  肩 1
突撃ノ瞬時二タ 太刀
ニテ袈裟掛ニ切ル、敵
綿入ヲ着用セシト片手
打ナリシ爲、完斬トハ
云ヒ難カリシモ間モ無
ク死ス
(1) 物打邊ヨリ上方僅ニ
 湾曲セル如シ
(2)物打附近ニ長サ約一寸
 ニ亘リ極メテ浅キ刃コボ
 レ
(3)中央ヨリ少シク上方ニ
 深キ刃コボレ一箇所
(4)中央棟ヨリ鎬地ニカ寸
 寸敵ノ銃劍ニヨル切レ込
 ミ疵一箇所
制式軍刀ノ柄ヲ、両手握リニ
足ル程度ニ普通ヨリ長クセリ
深きキ刃コボレハ、敵兵ノ装
具又ハ銃器等ノ金具ニ切リ付
ケタルモノナラン
首1卽死セシモ完刎ニ至ラズ
  首 1
卽 死セシモ完刎ニ至
ラズ

兼 正
2-3-6
6分 2  首
極メ テ良
ナシ
夢 中ニテ明瞭ニハ記憶セザル
モ手ゴタエ無ク良ク切レタリ
制式軍刀ニテ稍々短
ゼリ


正 利


2-3-0


2.3分


8

  頭 骸骨 1
  抜 打ニテ卽死

横手下ニ大ナル刃コボレ
 一箇所
 物打ノ下方約三寸計リニ
 亘リ刃コボレ數箇所

刃コボレハ頭ヲ 斬リシトキ
出來タルモノナラン
日本刀拵ノ儘ナリシ爲、活動
中ノ敵ナリシモ斬リタル後刀
身ニ曲リヲ生ゼズ
一尺八寸位ノ刀ガ使ヒ良シ
 首 3  1、 ハ完刎
 2、ハ首ブラ下ガル
  肩 2   二タ太刀ニテ絶息
  不明 2

兼 勝
2-1-0
7 分
2
  左袈裟 1   右乳下迄達セリ 袈 裟掛ハ頭ヨリ手ゴタエ
無シ
此ノトキ中央ヨリ稍々 上部
ニ刃コボレ一箇所出來タリ
日本刀拵ノ儘使用ス、後中心
ヲ検ゼシニ鎺附近ニテ少シク
曲レルヲ發見セリ
左 コメカミ
ヨリ右斜ニ
頭 1


和 泉 守
來 金 道

2-4-0
5 分
3
 右袈裟 2  極メテ良好 袈裟切リノトキ少シク 刃コ
ボレヲ生ゼルモ、其ノ後斬
味變ラズ、極メテ良好
日本刀拵ノ儘使用シ、 突撃
時ニテ手元多少狂ヒシ爲、二
人メノ袈裟切ニテ刃少シク曲ル
  首 1 一 刀ニテ見事ニ完刎
大 永裏銘
備前盛光
1-8-0 7.5 分 1
  首 片 手ニテ首四分ノ三斬
ル、刃味至極良シ
異 常ナシ 日 本刀拵ノ儘
無 銘備前
髙平
折紙アリ
2-1-8 4.9 分 1
  首 切 レ味至極良好ニシテ
首約四尺飛ブ
同   上 制 式軍刀拵
備 前長船 2-4-5 不 明 2
  首   切レ味相當 同   上 日 本刀拵ノ儘


備前長船
祐 定




2-1-0




不明


7
左 肩ヨリ袈
裟 1
  右乳ノ處迄


何等異常無シ



豫像以上ニ日本刀ノ切レ味良
キニ感心セリ
人体ニ骨アル如キ手ゴタエヲ
覚エズ


  腕 1   完切
右 足上部 1   斜ニ完切
  首 3   見事ニ完刎
  腰車 1   約三分ノ一切ル
相 模守
國 綱
2-3-0 1 分 1
 首 首 殆ンド切レ約五分厚
位残ル
物 打ノ四、五寸下ヨリ約
一尺計リノ間ニ刃コボレ
ヲ生ゼリ
日 本刀拵ノ儘使用
綱  廣 2-4-0 5 分 7
  首 何 レモ手ゴタエ無キ程
度ニ完刎
物 打附近ニ少シク刃コボ
レ生ゼリ
日 本刀拵ノ儘使用
切レ味豫像以上ナリ
村  正 2-3-5 5 分 4
首 ヨリ肩ニ
カケ 2
腹部刺突 2
切 レ味豫像以上 異 常ナシ 制 式軍刀
河 内大掾
正 廣
2-4-5 5 分 1
後 頭部横
斜メ 
約 三分ノ一横ニ切込メ

切 先ヨリ刀身ノ三分ノ一
及同三分ノ二ノ處ニ横ニ
折レ目ヲ生ジ使用不可能
トナレリ
本刀身ハ表裏二 樋アル爲強味
足ラザリシ爲ナリ
(寛文三年裏銘アリ)
肥 前吉國 2-4-0 5.5 分 42
※1
主 トシテ首
其ノ他各部
切 レ味至極 何 等異常無シト雖、骨ヲ
切リシトキノ痕カト思ワレ
刀身ノ物打ノ部ニ白ラケテ
見ユル部アリ
數本ノ日本刀ニヨル切レ味ニ
比シ極メテ良好ナリ

吉  宗 2-2-0 不 明 1
  首 肉 一寸位残ル 刀 身中程ヨリ上部約二寸
位ノ間刃コボレヲ生ズ
新 刀元禄頃ノ物カ
加 州清光 1-7-9 3.8 分 數 人 頭 部、首ヲ
斜メニ
切 レ味極メテ良好 峰 ヨリ五寸位ノ處ニ刃コボ
レヲ生ゼリ
白 鞘ノ柄ニ糸ヲ巻キ使用ニ
便ス
源 良近
2-2-6 6.5 分 2
  首 1 皮 一枚残リ頭前ニ落ツ 抜 打チノ際、物打二箇所
フクラ一箇所、峰先端一
箇所刃コボレヲ生ズ
制式軍刀ノ柄ニ木綿製 ヲ二重
ニ巻ク。刃コボレヲ生ゼシハ
咄嗟ノ場合切リ方不如意ニヨ

首 前ヨリ抜打 半 分切レタリ
無  銘 2-5-1 5 分
1
  後頭部 約 三分ノ一切レタリ 切 先ヨリ約五寸ノ間ニ無數
ノ刃コボレヲ生ゼリ
日 本刀拵ノ儘
無  銘  1-9-0
不 明 7
  首 3
外袈裟掛、
唐竹割等
切 レ味相當 峰 ヨリ四寸位ノ處深サ最大
一分最小二厘位ノ刃コボ
レ數箇所ニ生ゼリ
日 本刀拵ノ儘
充分直サゞレバ其儘ニテハ
實用覺束ナシ

無 銘

2-3-0


6分


2
  首 1 十 分ノ九切レ下ル 中央部二三箇所刃コボ レ
ヲ生ズ

日本刀拵ノ儘
  同 1 完刎約三尺飛上ル












2-2-0
5分
1
首斜上方ヨ
リ切下グ
日本刀殊ニ前記清光ニ
比シ切味不良 ※2
峰下三寸位ヨリ刃ノ方ニ曲
リ、後直シテ鞘ニ収メタリ
日本刀ニ比シ、刃味、丈夫サ
劣ルコト大ナリ
2-3-0
不明
4
  首 2

 袈裟 1

 唐竹 1
何レモ切味割合ニ良シ 切先ヨリ六寸位ノ處ニ深
サ八厘位ノ刃コボレ、唐竹
割ノトキ峰ヨリ五、六寸ノ
處ニ刃コボレ及刃部ニマク
レタル處四箇所ヲ生ゼリ

2-2-5
4分
2
  首 良好 峰ヨリ七寸位ノ處ニテ曲
リヲ生ゼリ
四人位迄ハ刃味變ラズ
鎺元曲ル ※3
鎺元曲レル爲護拳ガタガタト
ナリ後端ハズレ使用上甚不便
ナリキ 
2-1-0
5分
2

  首 1 気味良ク切ル 二箇所ニ多數ノ刃コボレ
ヲ生ジ、頭蓋骨ヲ切リタ
ルトキ刃ノ方ニ曲ガレリ
曲リタル爲、鞘ニ納マラズ
  頭 蓋骨 1 相當ノ手ゴタエアリ


24例の内、刀身の異常無しが7例ある。数名の腕に覚えのある士官と云うのがこれに該当するのであろうか。
上海事変後の聞き取り調査という事から、実質約45日間の戦闘での累計結果と推定される。
供述者によって、個々の内容・具体性にかなりの差があり、信憑性に甚だ疑問なものがある。
但し、刀身損傷の報告は真実と見て差し支え無い。前ページに延べた著者・供述者の原則が働くからである。

 ※1 42人斬りは突出している。激戦の最中、数人は覚えていても、42人を数えられるとは普通では考えられない。
   「所見」で数本の日本刀を使った事を示唆している。数本の日本刀で、42人を斬ったと云うことであろうか。
   戦地に複数本の軍刀を携えることは普通ではあり得ない。他の士官の例と比べて不自然過ぎる。
   斬った状況の具体的記述も無く、証言として甚だ信憑性に欠ける。
 ※2 加州清光(脇差し)を使った同一人物のようである。清光が刃毀を起こしたので刀を換えたと云うことか。
 ※3 2人しか斬っていないのに「4人位までは刃味変わらず」とは記述に矛盾がある。
  源 良近はスプリング刀

異常無しの報告を全部容認したとしても、日本刀は刃毀や刃曲がりを起こす率は極めて高い。
使用者の腕にも負うところが多いと思われる。
特に「樋」付き刀身は折れ目を生じている。これは樋付き刀身の危弱性を示している。


小泉大佐 (昭和7年) と成瀬氏 (昭和13年) のスタンスの違い

二人とも日本刀の研究者でありながら、愛好家と武道家というスタンスの相違が日本刀への認識の大きな違いとなって顕れている。

小泉大佐:
 「中央刀剣会」(明治30年、靖国神社「遊就館」内に設立)の薫陶を受けていて、どちらかと云うと日本刀神話の信奉者といっても
 よい。
 軍刀を有効な武器と主張して剣道の奨励を行っているが、自身は武道家と云うより愛刀家であって、日本刀を観念的に捉えている。
 剣友の海軍砲術学校教官・工藤久八海軍中佐から提供された軍刀の実用成果表と軍刀改善提案資料は、誰が何の目的で纏めたもの
 かが不明であるが、当然、小泉大佐の持論を通す為にフィルターが掛かっていたのではあるまいか。
 従って、軍刀成果より刀身損傷のデータに注目すべきである。
 工藤久八海軍中佐は日本太刀型軍刀の熱心な推進者で、小泉親治海軍少将に太刀型外装の様式の考案を依頼している。

成瀬関次氏:
 武道家で手裏剣の名手。武器としての日本刀性能の実態に強い興味を持っていた。
 軍刀修理の実体験から、日本刀の伝説、神話を否定している。
 昭和刀の一部に関しても、武器性能の観点で一定の評価を下していて、特にスプリング刀の評価は高い。
 海軍の新村田刀と陸軍の特殊軍刀身との性能相違点は不明。

 成瀬氏は新軍刀の柄の損傷を顕著に挙げているが、小泉大佐の成果表には一件の記載があるのみである。
 刀身故障に特定して柄の損傷は度外視(調査項目に入れなかったか、又は掲載を割愛)したか、或いは次ぎの要素も考えられる。

 一つには、海軍長剣の柄構造が日本刀形式の新軍刀より強度で優れている。
 他の一つに、陸軍新軍刀の柄には駐爪装置が組み込まれ、これが柄の強度を弱める一つの原因との指摘がある。
 陸戦隊士官が使った打刀拵えの日本刀柄はハバキ留めで、柄としては陸軍新軍刀より強度上有利である。
 それより、海軍長剣拵を避け、態々、打刀拵えの日本刀を軍刀に佩用した士官は、それなりに武道の嗜(たしな)みがあったとみるべ
 きであろう。海軍陸戦隊は陸戦の超エリート集団であった事も加味しなければならない。



2013年9月5日より(旧サイトより移転)
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