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白濱イズミ

ラブリとして雑誌やテレビなどメディアで活躍してきた一方で、最近では白濱イズミとして詩や朗読、言葉の活動を展開する。SNSを通じて、選挙や動物愛護などについて積極的に発信する「社会派インフルエンサー」の一面もあり、その発言に注目が集まっている。

Forbes JAPANでは、9月25日発売の本誌で「WHO IS THE TRUE INFLUENCER?」(真のインフルエンサーとは何だ?)というテーマで、初めて「TOP INFLUENCERS 50」を選出した。



トップインフルエンサー50人のひとりとして選出された白濱イズミ。どんな思いから発信するようになったのだろう。自信が持てなかった過去を振り返り、現在から未来へと続く表現者としての道を探った。


「コンプレックスってどこから?」


18歳で、愛媛県から上京した白濱イズミ。芸能人になりたいというわけではなく、ただ「地元で暮らし続けるイメージができなかった」と振り返るが、「何かの役に立てるかもしれない」という予感だけは明確にあった。それから2年間は、飲食店などのアルバイトを通して、マナーやルール、社会人としての人との接し方を学んだ。

そのときに偶然にもスカウトをされ、芸能の道へ。

芸能活動を始めたころは、オーディションには落ち続けたという。「客観的にダメだと判断されている気がして、私の代わりはいくらでもいることを実感した」という白濱は、時間を持て余す中で、さまざまな本を読み、自己分析をするように。そこで、自分の中にある不安を文字に落とし込んでいく。

「なぜ不安なのか。コンプレックスは、どこから生まれるんだろう?」。「なぜ?」を突き詰めて考えることで、頭の中にある漠然としたものを明確な問題へと変えていく。結果として、自分を知るきっかけになる。

21歳でひとつの転機が訪れた。ファッション誌JJの専属モデルになり、タレントとしてのテレビ出演も増え、世の中では「ラブリ」として認知され始めていった。しかし、テレビに映るイメージや周りの印象とのギャップを感じるように。その温度差はテレビに出る限り、埋まることはなかった。そこで白濱は「仕事の形を変えるしかない」と思い、ラブリではなく白濱として、インスタグラムで言葉を発信し始めたのだ。

「22歳で初めて届いたファンレターに、私の言葉で救われていますって書いてあったんです。いつかは詩集を出したいなと思って、言葉を貯蓄するようになりました」

JJモデルを卒業、本名を公表した理由

JJモデルは、3年間で卒業。「自分自身の仕事が繰り返しになっているような気がした」という白濱。そしてこのままでは行きたい場所にいけないと思い、「JJモデルという肩書きに頼らなくても“私”として生きていけるように」という思いから、自ら卒業するタイミングを選んだ。

行きたい場所とは──。それは、いま彼女がいる場所だろう。

文=督あかり 写真=柴崎まどか

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