https://mainichi.jp/articles/20210117/k00/00m/040/032000c
日本最古の教員養成機関「師範学校」をルーツとし、1973年に開学した筑波大学。並木道が美しいキャンパスで昨秋、学長選考を巡ってトラブルが勃発した。「選考過程が不透明」「一党独裁の国のようだ」。学長に「造反」した一部の教職員と、大学側との対立は今も続く。日本有数の名門大学で何が起きたのか。
昨年10月14日、東京・霞が関の文部科学省記者クラブでの記者会見。竹谷悦子・筑波大教授(米文学)が悲痛な表情で訴えた。竹谷教授は、教職員有志で作る「筑波大学の学長選考を考える会」の共同代表の1人。現職学長の再選を前提にした制度変更や議論を選考会議が進めているのではないかと、疑義を唱えたのだ。最終的な選考の6日前。学長選考を巡り、キャンパスで何が起きているのか、ゆっくりかみ砕くように語った。
会見には、裁判を起こしたわけでもないのに代理人弁護士が同席。竹谷教授の話に先立ち、弁護士が異例の趣旨説明をした。代理人を立てた理由について竹谷教授は「有志だけでやろうとした時、多くの教員は(大学当局に)恐怖を感じている。失うものは何も無い(と思える)人しか出られない」と語った。
大学教員が発言することに恐怖を感じるというのは一体どんな状況なのか。最初は大げさに感じたが、取材を進めるうちに、その真意が分かってきた。
筑波大は、東京師範学校(のちの東京教育大)を前身とし、1973年に開学。国の政策でつくられた筑波研究学園都市の核となる大学だ。そんな全国有数の大学で、トップの選考を巡り、争いが過熱した。
筑波大は他の国立大と同様、2004年4月に法人化された。学外委員が半数ほど加わった「経営協議会」が新設され、大学経営に関する審議が行われることになり、学長を決める「学長選考会議」も新設された。選考会議は、経営協議会の学外委員や理事といった学長が任命した委員によって
構成され、学外の意見、学長の意向が反映されやすい体制になっている。
法人化以前は、教員の投票で学長を選び、文部科学相が任命していた。しかし、法人化以降、学長は選考会議が決定し、投票は選考会議が参考にするための「意向投票」という形に変わった。
しかし、昨年3月、筑波大は、学長選考会議が内規を改定して意向投票を廃止し、選考会議に推薦する候補者を選ぶ「意見聴取」という形に変えた。同時に、学長に就任できる任期の上限も撤廃した。これらの改革について、一部の教職員は昨年4月、学内サイトを通じて知り、危機感を覚えた。意向投票がなくなり、任期上限が撤廃されれば、教員が望まないトップが長期にわたって居座ることが可能になるからだ。
ちなみに、毎日新聞が全国の国立大を対象に実施したアンケートによると、04年の国立大法人化以降、任期上限と意向投票の両方を廃止したのは、筑波大と大分大、弘前大の3大学だった。
新方式の学長選考は、昨年8月末に教員による「意見聴取」が電子投票で行われ、新人の生命環境系長の松本宏氏が951票で、現職の永田恭介氏(584票)の1.6倍の票を獲得。この2人の中から選考会議が新学長を選ぶことになった。
意見聴取は多くの候補の中から、選考会議の選考対象(5人以内)を選ぶための手続きだ。しかし、規定の推薦人を集めたのは2人だけで、事実上、意見聴取がそのまま決選投票となった。しかし、選考会議は教職員の「意向」とは逆の現職を
新学長に選んだ。
現職の永田学長は、従来の規定では任期上限(6年)が迫っており、21年3月で退任するはずだった。しかし、20年3月に上限が撤廃され、その約半年後に永田氏の再任が決定。「現職再任ありきの改定だ」と疑念がわくのも無理はない。
永田学長はどんな人なのか。専門は分子生物学。東京大学大学院を修了後、東京工業大学助教授、筑波大教授などを経て、13年から学長を務める。国立大学協会長、中央教育審議会の副会長なども務め、国とのパイプも太いとみられる。
同じ大学内の教授から選出された学長であり、事情を知らない外部の民間人ではない。なぜ、学長再任への反発が起きたのだろうか。背景には、学長を頂点とする大学執行部(役員会)の権限拡大の流れがある。
国立大は従来、各部局の教授会などの教員組織が、人事権を握っていたが、14年に国立大学法人法、学校教育法が改正され、役員会の権限が大幅に強化された。例えば、筑波大のある部局長は「若手の昇任を含めた全ての人事権を役員会が握る体制になった。人質を取られているようなもので、誰も何も言えなくなった」と話す。なんだか官邸が各省庁の幹部人事を握り、力を強めていった過程と似ている気もする。
人事以外でも、「重要な決定が現場の知らないところで決まっていく」という不信の声は根強い。大きなきっかけとなったのが、19年12月の防衛装備庁の研究助成制度「安全保障技術研究推進制度」への応募・採択だ。
筑波大では、京都大や名古屋大などに続き、18年12月に「軍事研究を行わない」との基本方針を発表した。しかし、わずか1年後、手のひらを返したように転換。防衛装備庁の制度に応募し、採択されたことが明らかになったのだ。
この制度について、日本学術会議は17年3月の声明で、「政府による介入が著しく、問題が多い」と指摘した。かつて科学が戦争に加担して悲劇を招いたことを踏まえた判断だ。声明が出た後、軍事研究を拒否するとした基本方針を発表する大学が相次ぎ、制度に応募する大学も徐々に減っていた。
そうした中で、変節とも取れる筑波大の制度参加。永田学長は昨年3月の定例記者会見で、「他国の国民の命や領土を奪う行為につながるものが軍事研究で、自衛のための研究は問題無い」との見解を示し、路線転換ではないと強調した。研究内容が軍事研究に当たるかどうかの判断については「防衛装備庁であれ他国であれ資金の出所ではなく、研究内容や研究者の意図などで判断する。(応募した研究内容も)基礎研究であり、軍事研究には当たらない」と説明した。
国の方針に沿うような姿勢転換はなぜ起こったのか。昨年10月、筑波大は、優れた大学として資金の運用や給与基準などでさまざまな規制緩和が許される「指定国立大学法人」に認められた。転換の背景には、こうした国からのアメがあったのではないか、と疑う教員もいる。
一部の教員と大学側との対立は深刻で、間にあるのは根深い不信だ。意向投票をなくして、設けられた「意見聴取」だが、その手法も不評だった。電子投票する際には、職員番号と生年月日の入力が求められたのだ。大学当局が調べようと思えば、誰がどの人物に投票したかがわかってしまう可能性があり、投票率は約3割にとどまった。「現職の対立候補への投票には勇気が要った」と話す男性教員もいた。
意見聴取の後、最初に異議をとなえたのは、教職員組合と一部の教職員有志だ。昨年9月9日、公開質問状を出し、15日に改めて組合単独で同じ公開質問状を大学側に提出。内規改正の根拠などを示すよう求めた。
10月7日には、教員有志で作った「考える会」が、組合からの質問状が選考会議に届いていないなどとして、代理人弁護士を立て、質問を追加した公開質問状を大学や河田悌一・選考会議議長の自宅などに送付した。
そして14日には、冒頭の記者会見を開催。選考会議は15日に国大法の規定や文科省の通知などを踏まえて検討した結果、意向投票は行わないことにしたなどとする回答をしたが、内容に納得しない「考える会」は翌16日に新学長選出の延期を求めた。
20日に予定通り選考が行われ、選考会議の委員の3分の2以上の賛同を得て、永田氏の再任が決まった。翌日の記者会見で、永田氏は、任期上限が廃止されたことに関連し、「10年単位でやらないと大学は変わらない。(米国などと比べて短い)日本の大学の学長任期は、考え直す時期に来ている」と語った。
こうした大学側、学長の対応を受け、考える会は21日、「不正な選考を認めない」とする文章をウェブに掲載した。文言は辛辣だ。「大学内のあらゆる民主的な手続きを破壊してきたあなたの権謀術数(マキャベリズム)は見事というほかない」などと、選考会議と永田氏を批判した。
永田学長の再任が決まった翌日の記者会見で、同席した河田・選考会議議長は、永田氏について「どういう大学を作るのかについてはっきりとしたビジョンを示し、一つ一つ実行した」などと実績を絶賛した。
一方で、考える会については「変な会がいちゃもんをつけたという感じ。大学教員として資格は大丈夫かいな」などと一蹴。この会見は、新型コロナ感染防止を理由に、各社とも記者1人しか出席を認めなかった。
私は学長選考が終わってしばらくたった11~12月、何度か筑波大を訪問して複数の大学教員を取材した。「氏名も所属部署も出さないで」という条件で数人が応じてくれた。
取材を受けることに相当気を使っている様子が伝わり、教員らはそっと研究室や会議室に記者を招き入れた。メールも、大学のアドレスは使わず、私用アドレスでやりとりした。
あるベテランの男性教員は「大学執行部を批判すれば、大学の名誉や信用を傷つけたと言われて、懲戒処分を受けるかもしれない」と声を潜め、A4判の2枚の文書を示した。
文書のタイトルは「筑波大学ソーシャルメディア利用ガイドライン」。学長選考に関する内規改定の8日後に当たる昨年3月26日に学長決定されたものだった。
「ソーシャルメディアを私的に利用した結果、(中略)本学の信用若しくは名誉を著しく損なうものと判断した場合は、(中略)調査委員会を設置の上、調査する場合がある」「本学の名誉若しくは信用を傷つけた場合(中略)、処分等の
ツイッターやフェイスブックなどのSNSを対象にしたガイドラインだが、教員らは「発言自体も危ない」と疑心暗鬼になっていた。ツイッターに鍵を付けた
り、アカウントを削除した教員もいる。大学側の管理強化で、確実に教職員が萎縮しているという。
ただ、「考える会」は学長選考後も追及の動きを止めていない。選考会議の責任を問い、河田議長の辞任を求める文書と、署名登録フォームを掲載するなど、依然として執行部への対決姿勢を示している。
考える会によると、副学長からは会のホームページの記載内容について根拠などを示すよう求める文書が12月中旬までに5通送られてきた。「それでも活動は今後も継続します。学長や役員らに問題があれば、これからも指摘していきたい」
一部教職員と大学側の対立が続く中、改めて学長にいくつか尋ねたところ、メールで回答があった。意向投票や任期上限の撤廃に批判があることについては、「これまでに幾多の説明の機会を設けており、教職員の理解は一層深まっている」と説明。当初退任する時期の前に、大学の内規が改定されたことについては、「選考会議の決定に関して、学長自らが意見を述べることは、越権的な行いであり、差し控えたい」と述べた。出口は一向に見えない。