PHOTOGRAPHS BY SHINTARO YOSHIMATSU

「2020年まですっとぼけていたかったけれど」:菊地成孔、新著『次の東京オリンピックが来てしまう前に』を語る

2017年から2020年にかけて「HILLS LIFE DAILY」に掲載された菊地成孔の人気エッセイが、平凡社より書籍化された。タイトルは『次の東京オリンピックが来てしまう前に』。平成から令和、米大統領選、そしてコロナ禍……。思いも寄らぬ激動のときとなった3年半を、菊地はどう見つめていたのだろうか。

Culture

1964年の東京オリンピックで、1歳児だった菊地成孔は、母に背負われ「女子飛び込み」の競技会場にいた。それから50数年、再びオリンピックが行なわれるかどうかわからないモヤモヤのなか、菊地成孔は新刊『次の東京オリンピックが来てしまう前に』を発売した。

と言っても、本書はオリンピックについてはほとんど書かれていない。書かれているのは、ちょっとおかしな街や人々、星野源のこと、マツコやN国のこと、米大統領選や、中国共産党のこと。2017年から変化し続けた東京や日本の空気感を、「街歩きのプロ」が軽やかに紡ぎ出しているのだ。この激動の3年間をエッセイに綴った菊地成孔に、本書について話を訊いた。

軽妙なエッセイストとして最後まで貫きたかった

──今回の『次の東京オリンピックが来てしまう前に』は、菊地さんがこれまで書かれてきた本のなかではどのような位置づけになりますか。

2010年に出した『時事ネタ嫌い』(ぎんが堂)という本があるのですが、この本は雑誌『FRaU』で2007年から2010年までの3年間の連載をまとめたもので、期せずして震災の直前で終了したものでした。全編にわたり、「リーマンショックよりも怖いことが起こりそうだ」と何となく直感で捉えていたムードがみなぎっていて、書籍が発売されてすぐに震災が起こりました。

『時事ネタ嫌い』は基本的には時事。『次の東京オリンピックが来てしまう前に』は時事ではないのですが、書いていくうちに時事に寄ってきてしまいました。とまれ、社会時評に近いという意味では、音楽やファンションの本に比べれば、『時事ネタ嫌い』に近いので、つながっているかなとは思います。どちらも国難が来るまでの、3年間の街遊びの本です。

──『次の東京オリンピックが来てしまう前に』は、ウェブサイト「HILLS LIFE DAILY」で2017年から2020年までの3年間、月1回連載をしていましたが、トピックは毎月どのように決めていたのでしょうか?

苦し紛れみたいなときもありましたよ(笑)。とはいえ、月イチだと言いたいことはたくさんあるので「どれにしようかな」という感じではありましたね。

最初から次のオリンピックは不穏だとは思って始めましたので、連載の前半は「オリンピックが来るのは憂鬱だな」という気分で、そこまでリアルではなく、オリンピックが心の片隅にありながらも、そんなに気にせず書けていました。ぼくとしては、そのくらいのときがよかった。実際オリンピックが近づいてきてしまうと、予想だにしていなかったCOVID-19という問題がかかわってきて、結果としてこのオリンピックが延期された。

ぼくの希望としては、オリンピックがつつがなく開催されたほうがよかったんです。つつがなく開催されて、経済効果が出ずに大負け、大赤字になって終わる。競技は別として、いわゆるオリンピックの経済効果だとかインバウンドだと言ってきた人たちが、大コケする。そういう話になるはずのオリンピックが思わぬ方向にズレてしまったので、『次の東京オリンピックが来てしまう前に』はどうしてもドラマトゥルギーというか、ドラマ的に、後半部分がシリアスになりすぎてしまった。

軽妙なエッセイストとして最後まで貫いていられればよかったんですけど、堪え性がなくて、最後のほうは社会時事に対して舌鋒鋭くなってしまいました。2020年に完全にすっとぼけていることができなかったのが、いちばん残念です。

一人称が変わる、人格が変わるような3年間

──連載をしている3年間の間に、こんなに一人称が変化したことはない、と書いていましたね。初めは「僕」でしたが、最後は「筆者」になっていました。

そうですね。どんどん社会面の人みたいになっていく(笑)。一人称を意図的に変えたのではなく、ナチュラルに変わっていったのですが、これは書く人格が自然と変わっていったということです。「オリンピックかあ、どうせ酷えことになるんだろうな」と思いながら街遊びをしていた書き手も、COVIDの軍門に下った。これは負け戦の本です。

──それにしても2017年から2020年は、平成から令和になり、COVID-19もあり、変化が激しい3年間でした。

連載が始まったときは、天皇の存命退位も決まってなかったし、年号も変わると思っていなかったから。オリンピックが決まっていたくらいですね。で、前の『時事ネタ嫌い』では、オリンピック誘致が、何回も何回も失敗していた時期。

石原都政がやろうとしてダメで、猪瀬都政がやろうとしてダメで。前の本のときから、オリンピックがきたらロクなことがないし、オリンピックなんかきてほしくないし、シカゴにもっていかれたり、リオにもっていかれたりして、「ザマアミロ」とか言って、盛り上がったところで『時事ネタ嫌い』終わっているんですよね。それから今回の本までの間に、オリンピックが決定してるわけなので。

──エッセイスト菊地成孔不在の間にオリンピックが決まったわけですね。

「結局、決定してしまった……」という気分のなかで連載が始まったので、必然的にテーマが決まったという感じでした。本意ではないといえ、2017年の気分から2020年の気分というのは人々がシリアスにならざるを得なかったし、その流れに乗っている時代の記録という意味では、書き手としての人格が変わるくらいのものになりました。

当初は「東京がゆっくり変わっていくなあ」ということを、連載を通して眺めていくのだと思っていたのですが、そのうちCOVID-19によって問題がインターナショナリズムになり、東京どころではなくなってしまった。視野がグローバルになってしまったんですよね。東京にもう少し絞り込みたかったのですけど。

2011年からの10年間と、これからの10年

──初期のころから、ひたひたと迫り寄るファシズム的な匂いを敏感に感じていらっしゃったように思います。都度、警鐘を鳴らしているというか。

そうですね。結局ネットでは「ファシズムだ、ファシズムだ」と言っている人が多かったし、特に安倍政権というのもありましたし。ただ、安倍さんがファシズムとか軍国主義の国をつくるとはとても思えなかった。

ファシズムはカリスマがいてできるのではなく、国民の待望を一途に引き受けないとできないわけだから、どちらかというと、ファシズムのトリガーを引く立場の人の話よりも、民がファシズムを嫌だ嫌だと言いながら、ファシズムを待望してしまう状況が迫ってきているなと感じていました。

ホッブズの『リヴァイアサン』の「万人の何人に対する闘争」が始まると、結局、スーパーリーダーを求めざるを得なくなり、それをリヴァイアサンと呼ぶのですが、それと同じような雰囲気には、2010年の『時事ネタ嫌い』のころからなっていました。

2015年の文庫版のあとがきにはSNSの定着について書いたのですが、当時はFacebookやInstagram、Twitterの日本版が出て7、8年目のころ。SNSが流行ると国民の退行や幼児化が始まり、『リヴァイアサン』の「万人の万人に対する闘争」になり、『蝿の王』みたいになる。やがては『リヴァイアサン』を内儀的に欲望している当事者である民が、「ファシズムだ」と安倍さんを鏡にして言い出しているのではないか、というところで、前回の本のあとがきは終わっています。

東日本大震災が2011年、オリンピックが2020年。この10年間に震災のツケを返そうと、1964年の東京オリンピックと同じくらいの経済効果があると信じてプランニングがされたけど、結局、国民の大半が次のオリンピックに乗れなくなってしまっている状態です。

今回の連載も、世の中がどんどん変わっていく最中に終わったので、次はどうなるのかわからないですよね。それこそ、スーパーチューズデー以降のアメリカはいまだに読めてないし、バイデンが何をするかもさっぱりわからないですから。

コロナ以前、2017年、2018年という年があったという記録として読んでいただきたいという気持ちはあります。いま、皆さん、SNSの強度によって、2020年のことしか覚えてないような状態でしょうから。

──菊地さんの目線で記録されてることが非常に重要かなと思います。菊地さんはかつて、「21世紀は10年くらい遅れて始まる」といったお話をされていたと思いますが、20年代が始まるにあたり、これからの時代はどうなると思いますか。

どうなんですかね。要するに100年前には1920年代があり、1920年代は世界史で言うと米国がいわゆるローリング・トゥウェンティで、禁酒法、スピークイージーのころ。で、世界大恐慌が1930年でローリング・トゥウェンティが破綻するわけです。世界大恐慌で負った経済的な傷を晴らそうと、第二次世界大戦があり、朝鮮戦争をやり、ヴェトナム戦争までやったら、米国もさすがに疲れ果ててしまった。それでもまだ足りないからとイラク戦争が起きるという米国の戦争の反復という問題が起きたわけです。

その反復を動かしてるのは、いち大統領の力ではなくて、ホワイトハウスの力だと思っていて、そのホワイトハウスにとって破格のトランプという人が出てきた。まあ顔相から行動に至るまで破格の人物なのです。

米国の戦争、要するに反復衝動は、いわゆるゾンディ心理学でいえば死に向かっていることになるので、米国は滅亡に向かって反復を繰り返しているというわけです。アメリカは南北戦争以来、内戦をやっていない。外の国に戦争を仕掛け、一般市民を殺し、軍産一致で自国はなんとか保っていたけど、国民の中のPTSD(心的外傷後ストレス障害)が増えまくっていた。そのつけがいまですね。

なので「20年代」というのは、20世紀の20年代と、21世紀の20年代があまり変わらないなと思っています。「やっぱめちゃくちゃだ!」というか。

このあとオリンピックがどうなるか知りませんが、いろいろな大企業が投資にしくじり、2030年に1930年みたいな世界恐慌が来るとは思えませんが、ただ、そういう「冬になるとインフルエンザにかかりやすい」程度の所作の反復みたいな感じは、100年スパンであるのではないかなと思うんです。

エッセイストの喜びは“興奮”ではない

──ちなみに、本をまとめるために連載を改めて読み返して、書いておいてよかったなと思うネタはありますか?

それはもう、たくさんありますよ、連載には愛着があるので。ノリに乗って書いているときと、苦しく書いているときがあるのはしょうがないんです。2017年に土用の丑の日について書きましたが(「4.土用の丑の日(ベタな)」/2017年7月27日公開)、これは、久しぶりにうなぎに山椒をかけたら、昭和の山椒と平成の山椒はだいぶ違うことにすごいびっくりしたっていう話でした。江戸前のうな重が、中華料理みたいに思えて興奮した。ただそれだけの話です。

いまの時代は、どれだけ人を誘導して、どれだけ人に訴求するかっていうことばかり求められている、大変ドラスティックな時代で、意味がわからなかったり通じないようにやる“粋”みたいなものがなくなってしまった。

物凄いドラスティックで息苦しい世の中で、案の定、土用の丑の日のネタはわかりづらかったからあまり読まれていないのですが、こういうものは非常に文化的な豊かさだと思うんです。だから通じないだろうな、と思いながら、ノリにのって書いているという(笑)。

あと、低温調理の焼肉屋と熱伝導アイスクリームスプーン(2018年4月30日公開)とかね。食い物ばっかりですけど。いま、誰もが忘れている「熱伝導アイスクリームスプーン」は、2018年のヒット商品なんですよ。買った瞬間にワクワクしたのですが、逆にアイスクリームの冷気が手に伝導するとわかって。手なんて簡単に冷えるからね。

「ふた口分くらいしか意味ねえな、この商品」「絶対流行んねえ」と思ったという日と、なぜか謎に火力が低い焼肉屋に行ったということが重なったという、もうオリンピックのオの字もないのだけど、本当にこの年に起こったお伽話みたいで、いい日だったなあと思って、めちゃめちゃノッて書いたんですよね。

時事から完全に切り離された街のスケッチという意味で、時事から離れていれば離れているほどいいんですよね。

──ラミーの話とかも。

バッカス、ラミーの話(31.ああローマの酒の神とドイツの筆記具メーカー/2019年11月5日公開)も愛着ありますね。いまだにロッテから「ガムの新製品が出たので感想を書きませんか」というお知らせが来るんですよ。この哀しさね。うん。あと、いまホカロンが大好きで、ホカロンを身体中に貼っているんですけど、このホカロンもロッテがつくっているというのがね。その面白みとかね、そういうことだけを書いていたかったんですけど。

星野源さんについて書いた回は、訴求するだろうなと思ったら、案の定めちゃくちゃ訴求したんだけど、書いて盛り上がりながらも、そこには興奮しかないんですよね。これは読まれるという興奮があるだけ。いまは、その喜びがプロダクトする人の喜びにすべて変わってしまっている。これは売れる、これはいけた、これはやった、というふうにしか、喜びがない。要するに興奮しっぱなしと、落ち込みっぱなしです。

でも少なくとも、ぼくが目指した昭和の洒脱なエッセイストの喜びは、そこにはなかったと思うんです。「われながらいいことを書いた」という、小さく可愛い自己満足と粋な感じががいいのであって、国民がブイブイいってブチあがるようなことを言うことではないと思うんです。

だから2019年からはどうしても興奮が続いてしまっていて、そのなかでも辛うじて、バッカス・ラミーの話で一矢は報いたっていうね。そういうことにすごい手応えがあって、書いていてよかったなと思うし、そこを喜んでくれる読者に届いてほしいです。

マーケットを設定して、そこにうまく訴求すれば、人が湧くのは当たり前。湧かしたり湧いている人たちが馬鹿だとは言わないけど、お腹が空いてる人にご飯を出せばおいしく食べるに決まっているんだから。寒がっている人にお風呂だって言えば、喜んで入るに決まってるわけで。

だから特にお腹も空いていなくて、なんとなく満ち足りてボヤッとしてる人が、ボヤッと読んで、「気が利いてるな、これは」と思えることを、3年間続けたかったなと思うんです。

──こうして一冊にまとまるのもいいですよね。

ほんとにそれはそう。書物として残ることには、感謝したいと思いますね、ほんとに。あとがきに、閲覧回数の一覧表をつけました(笑)。こんな楽しいことないですね(笑)。

菊地成孔|NARUYOSHI KIKUCHI
1963年生まれの音楽家/文筆家/大学講師。音楽家としてはソングライティング/アレンジ/バンドリーダー/プロデュースをこなすサキソフォン奏者/シンガー/キーボーディスト/ラッパーであり、文筆家としてはエッセイストであり、音楽批評、映画批評、モード批評、格闘技批評を執筆。ラジオパーソナリティやDJ、テレビ番組などなどの出演も多数。2013年、個人事務所ビュロー菊地を設立。2020年より、ビュロー菊地チャンネルでフェイクラジオ「大恐慌へのラジオデイズ」や料理動画「ナルズキッチン」など多彩な動画コンテンツをスタート。2021年1月17日、平凡社よりエッセイ『次の東京オリンピックが来てしまう前に』を上梓。


RELATED ARTICLES

Culture

MVが公開中! FINAL SPANK HAPPYが「宅録」で仕上げた“令和モダン”のAOR

Culture

INTERVIEW:もし音楽が神かクスリなら、FINAL SPANK HAPPY(最終スパンクハッピー)は「遊んでいる神さま、楽しいクスリ」


IMAGE BY ORORO

「着る暖房」が、真冬の寒さをしのぐ“秘密道具”になる

厳しい寒さをしのぐための装備として新たに注目されているのが、バッテリーで動作するヒーターを内蔵した「ヒーター服」だ。この“着る暖房”は、コロナ禍においてなるべく屋外に出るようにする人が増えている現状を反映してか、特に米国で販売が急増している。

Lifestyle

寒いとそれだけで気が滅入る。ウインタースポーツの愛好家や北欧の住人たちが何を言おうと、寒いだけでうんざりしてしまうことに変わりはないのだ。特に新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)のおかげで、人と屋外で会わざるをえない状況ではなおさらだろう。

1月初旬の週末、ニューヨークでは気温が氷点下ぎりぎりまで落ち込んだ。そんな天気のなか友人が遊びに来たので、凍えるような寒さにもかかわらず、わたしたちは6フィート(1.8m)の距離を保ちながら玄関先で数時間ほど立ち話した。吐く息が白いことと、客観的に考えれば気温が1.7℃しかないときは屋内にいたほうが賢明であるという事実は、無視するよう努めた。

そんな寒さでも外に立ち続けることができたのは、感染対策のせいで人との接触に飢えているという事実に加え、「ヒーター服」という秘密兵器があったからだ。ヒーター服とは文字通り、電気を使って温める機構を組み込んだ“着る暖房”ともいえる衣服である。最近は秋から冷え込んだときに屋外で過ごす時間を少しでも楽しむために、こうしたギアを活用するようにしている。

初めて本格的に寒いと感じた11月のある日には、電熱ヴェスト(ヒーターヴェスト)を着てモペットで街を走り回った。大晦日の午後には、電熱グローヴ(ヒーター手袋)をはめた手でうちの子犬の足を温めてやりながら、地ビールの醸造所の外に置かれたピクニックテーブルでビールを楽しんだものである(なお、記事内で紹介する製品は、すべてOroro、Venture Heat、Warming Storeの3社からレヴュー用に貸し出されたものである)。

ルーツは加熱する飛行服

ヒーター服は加熱中であることを示す赤い電源ランプを除けば、ごく普通の服に見える。温かさは電気毛布と同じ程度で、とても快適だし、たいていは温度調節ができるようになっている。

ヒーター服を着て犬の散歩をしていると、見知らぬ人に声をかけられて「それは何?」「どこで買えるの?」と聞かれることがよくある。こうしたものはまだ珍しいからだと思うが、個人的にはもっと普及して、どの家庭にもひとつはあるようになればいいと願っている。

温熱機能の付いた衣服はかなり前から存在し、その歴史は人類史上で最も有名なパンデミックのひとつであるスペイン風邪の時代までさかのぼる。第一次世界大戦中にフランス軍が原始的な加熱機能の付いた飛行服を開発したのが始まりで、これを基に米国が独自のモデルをつくり出した。

ただし、アイデアとしては革命的であっても、実用化には至らなかったという。軍事史学者のC.G.スウィーティングは1984年の著作『Combat Flying Clothing: Army Air Forces Clothing During World War II(戦闘飛行服:第二次世界大戦中の陸軍および空軍の衣服)』で、「1918年の『電気スーツ』は、膝や肩などに銅板を組み込んだ飛行服とその銅板につながった電源コードからなる代物だった」と書いている。

その当時の電気スーツは信頼性が低く、飛行中にショートすることがよくあり、パイロットを怖がらせたという。なお、ゼネラル・エレクトリック(GE)は第二次世界大戦が始まる前に、加熱機能付き飛行服の改良版を開発している。

バイクの世界で市場拡大

衣類にヒーターを組み込むというアイデアは空軍発祥たが、いまの時代に市販されているヒーター服はバイクの世界から生まれた。ヒーター服専門のネットショップ「The Warming Store」の共同創業者ジャスティン・シルヴァーマンは、「わたしたちが知る限りでは、最初のヒーター服は1970年代半ばにワシントン州で生まれました。開発したのはゴードン・ガービングという人物です」と語る。

ガービングは航空機械の店で働いていた。自身はオートバイには乗らなかったが、仲間の従業員にはバイク乗りがたくさんいた。バイクで通勤してきた同僚が寒がっているのを見たガービングは、電気毛布を分解してジャケットに組み込んだ服をつくってみようと思い立つ。電源はバイクから直接とるようにした。

プロトタイプがうまくいったので、彼は地元のバイカーたちのために加熱式のライディングコートを提供するビジネスを始めた。この副業は成功し、80年代にはバイクのレース会場で加熱式のライディングギアを販売して大きな成功を収めている。

米二輪産業協議会の広報担当でバイクのコーチでもあるアンドリア・ユーは、「バイクに乗る人であれば、ほぼ確実に加熱機能の付いたライディングギアのことは知っています」と話す。「革新的な製品なのです」

ガービングが立ち上げたブランドはいまでも業界大手のひとつだが、彼と家族はライディングギア関連のビジネスからは退き、現在は一般向けの「Gordon’s Family Clothing」というブランドを運営している(なお、ヒーター服の歴史について追加の情報があればぜひ教えてほしい)。

バッテリーの進化が追い風に

昔の加熱機能付きライディングギアは、ほとんどがバイクに直接つなぐことで電力を供給していた。これに対して現在は、過去10年でバッテリー技術が大きく進化したことにより、バッテリー式の製品の開発が進んでいる。

The Warming Storeのシルヴァーマンは、「電熱ヴェストならバッテリーで8〜10時間は温めていられます。建設現場での仕事やスキーをしているとき、またそれ以外のどんな寒い場所でも1日中使えるのです」と説明する。

ヒーター服はバイクに乗る人だけでなく、建設現場の作業員やスポーツ愛好家の間でも人気が出始めている。ノッティンガム・トレント大学上級講師でスポーツ工学と生理学を教えるスティーヴ・フォークナーは、アスリートにとってのヒーター服の利点に関する研究を続けてきた。

フォークナーは10年前、ロンドン五輪に出場する英国の自転車トラック競技チームのための加熱機能付きサイクルパンツの開発に携わった。BBCが「ホットパンツ」というあだ名で報じたこのサイクルパンツは、ウォーミングアップ後に足を冷やさないようにするためのものだ。

これにはプラスの効果があることが研究で証明されたほか、選手たちも五輪でいい成績を残した。しかし、関係者が期待したほどには広まらなかった。

フォークナーはその理由について、バッテリーが大きすぎて使いづらかったことがあるのではないかと考えている。彼は「テクノロジーが追いついてきたのはつい最近です」と指摘する。なお、フォークナーは現在、 Vulcan SportswearとHuub Designという英国に拠点を置く企業2社でヒーター服の開発を続けている。

コロナ禍で注目

ヒーター服は幅広い人たちに注目されているようで、シルヴァーマンによるとThe Warming Storeでは、最近はウェブサイトへのアクセス数と販売がいずれも3〜4倍に伸びたという。シルヴァーマンは「確実に注目度が高まっています」と語る。

冬物衣料とアウトドア用品の販売は、パンデミックの間も拡大している。ヒーター服への関心の高まりは、天気が悪くてもなるべく外に出ようとする人が増えている現状を反映しているようだ。

また、価格が手ごろなことも後押ししている。例えば、Ororoの電熱ヴェストは100ドル(約10,400円)程度で買える。ActionHeatの220ドル(約23,000円)のダウンジャケットは、ヒーター機能がオフでも冬用のコートとして十分に活用できる。

もちろん、寒ければどんな状況でもヒーター服を着るほうがいいわけでもない。激しい運動をするなら暑すぎる。真冬でもランニングをするのにカナダグースの上着は着ないのと同じだ。

また、性能にもばらつきがある。例えば、電熱グローヴはいい製品が簡単に見つかるが、爪先をきちんと温めてくれる電熱ソックスにはいまだにお目にかかれていない。また、モバイル機器と同じようにバッテリーの充電を忘れないようにしなければならないのは、やはり難点だと思う。

ただ、あと2〜3カ月はこんな天気が続く状況で、凍傷になる危険もあるような季節に屋外にいることを楽しまなければならないとすれば、ヒーター服はあまり知られてはいないが実用的な解決策になる。寒くなくても人生は十分に大変だが、体を温めてくれる服があれば、つらい状況でも少しは気分が晴れることだろう。

※『WIRED』による衣類の関連記事はこちら


RELATED ARTICLES

STORY

「加湿」は新型コロナウイルス対策の決め手になるか? 空気の乾燥と感染拡大との相関性

Lifestyle

なぜ電気自動車は、寒いと性能が落ちてしまうのか?

冬季五輪の米国チームは、ラルフローレンの「発熱するジャケット」で記録に挑む──その開発の裏側