まだ続いていたのが不思議なくらいではあったが、残念でならない。
スポーツニッポン
野球の関西独立リーグに所属する全3球団の脱退が12日までに確実となり、同リーグは事実上消滅することになった。
兵庫と06ブルズは既に脱退届を提出しており、紀州も12日、和歌山市内で開いた記者会見で11月に他の2球団に脱退の方針を伝えていたと発表した。関係者によると兵庫、06ブルズと紀州のリーグ運営をめぐる対立が原因という。
関西独立リーグは2009年に発足した。四国アイランドリーグ、BCリーグに次ぐ日本三番目の独立リーグだった。
3つの独立リーグの設立には石毛宏典が多かれ少なかれ関わっている。
関西独立も恐らくは石毛の肝いりでスタートしたのだと思われる。最高顧問に就任したが、四国アイランドリーグ同様、発足するとリーグを離れた。
このリーグの中心人物は、木村竹志。旧名石井毅。箕島高校時代にエースとして甲子園で活躍し、住友金属を経て西武ライオンズで8勝を挙げた野球人だ。
当初から紀州レンジャーズの球団代表としてリーグに参画し、2009年6月には関西独立の代表に就任。以後のリーグ運営にかかわった。


2009年の開幕戦は3月27日、京セラドームで行われた。私は大阪ミナミにあった事務所まで、直接チケットを買いに行ったが、対応がぞんざいで、非常に悪い印象を持ったのを覚えている。
四国やBCは、地域の人々や企業との連携に熱心で、実に細やかな対応をしているが、関西独立リーグはそうした地道な努力をしているようには見えなかった。
1年目は女性投手吉田えりの人気で客を引っ張ろうとしているように思えた。
事実、開幕戦は当時の橋下徹大阪府知事が始球式を行い、吉田えりが登板するなどして1万人以上の観客を集めた。


しかし吉田えりを客寄せパンダに使おうとするリーグ、チーム側と、神戸9クルーズの中田良弘監督が対立。中田は解任される。10月には吉田も退団した。
以後、関西独立リーグは二度と京セラドームを使うことはなく、多くの観客を集めることもなかった。
関西独立リーグの歴史は内紛、分派の歴史だった。
2009年には三重、大阪が脱退し、ジャパン・フューチャーリーグが発足するも、翌年には大阪選手の野球とばく事件が発覚してリーグが消滅した。
関西独立リーグは2010年には経営難のために選手への給料が支払われなくなり、プロ球団を標榜しながら、選手は自前で生活費を稼がなければならなくなった。
しかしこの年、明石の深江真登がオリックスに、神戸の福泉敬大が巨人にドラフト指名される(福泉は育成枠)。
この頃までは、それなりの選手がプレーをしていたのだ。
私は年に2~3試合であったが関西独立の試合を見ていた。球場での切符の販売は私服のボランティア風の人が行っていたが、球場によっては他の入り口から無料で入ることができるなど、運営はずさんだった。
観客は100人も入れば多いくらい。30人前後と言うときもあった。
そのくせ各球団は、独自にグッズを作成して販売していた。やるべきことの順番が違うと言う印象があった。
関西には阪神、オリックスと言うプロ球団がある。一軍の試合が各72試合、二軍の試合も各50試合以上行われている。ファンは見たいと思えば、いつでもプロ野球を見ることができる。
関西独立は四国やBCのように、プロ野球の代替品になることは難しかったのだ。
であれば他の魅力を打ち出すべきだったが、そういう努力はまったくなされなかった。
プロ野球を表面的に模倣することはしても、お客を集めるための努力はほとんどしなかった。
また内紛によってチームがコロコロと変わり、ファンは定着しなかった。
5年間も続いたことの方が、不思議ではあった。
以後、稿を改める。
私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひ、コメントもお寄せください!
↓
クラシックSTATS鑑賞もご覧ください。1963年のパリーグ、救援投手陣

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野球の関西独立リーグに所属する全3球団の脱退が12日までに確実となり、同リーグは事実上消滅することになった。
兵庫と06ブルズは既に脱退届を提出しており、紀州も12日、和歌山市内で開いた記者会見で11月に他の2球団に脱退の方針を伝えていたと発表した。関係者によると兵庫、06ブルズと紀州のリーグ運営をめぐる対立が原因という。
関西独立リーグは2009年に発足した。四国アイランドリーグ、BCリーグに次ぐ日本三番目の独立リーグだった。
3つの独立リーグの設立には石毛宏典が多かれ少なかれ関わっている。
関西独立も恐らくは石毛の肝いりでスタートしたのだと思われる。最高顧問に就任したが、四国アイランドリーグ同様、発足するとリーグを離れた。
このリーグの中心人物は、木村竹志。旧名石井毅。箕島高校時代にエースとして甲子園で活躍し、住友金属を経て西武ライオンズで8勝を挙げた野球人だ。
当初から紀州レンジャーズの球団代表としてリーグに参画し、2009年6月には関西独立の代表に就任。以後のリーグ運営にかかわった。
2009年の開幕戦は3月27日、京セラドームで行われた。私は大阪ミナミにあった事務所まで、直接チケットを買いに行ったが、対応がぞんざいで、非常に悪い印象を持ったのを覚えている。
四国やBCは、地域の人々や企業との連携に熱心で、実に細やかな対応をしているが、関西独立リーグはそうした地道な努力をしているようには見えなかった。
1年目は女性投手吉田えりの人気で客を引っ張ろうとしているように思えた。
事実、開幕戦は当時の橋下徹大阪府知事が始球式を行い、吉田えりが登板するなどして1万人以上の観客を集めた。
しかし吉田えりを客寄せパンダに使おうとするリーグ、チーム側と、神戸9クルーズの中田良弘監督が対立。中田は解任される。10月には吉田も退団した。
以後、関西独立リーグは二度と京セラドームを使うことはなく、多くの観客を集めることもなかった。
関西独立リーグの歴史は内紛、分派の歴史だった。
2009年には三重、大阪が脱退し、ジャパン・フューチャーリーグが発足するも、翌年には大阪選手の野球とばく事件が発覚してリーグが消滅した。
関西独立リーグは2010年には経営難のために選手への給料が支払われなくなり、プロ球団を標榜しながら、選手は自前で生活費を稼がなければならなくなった。
しかしこの年、明石の深江真登がオリックスに、神戸の福泉敬大が巨人にドラフト指名される(福泉は育成枠)。
この頃までは、それなりの選手がプレーをしていたのだ。
私は年に2~3試合であったが関西独立の試合を見ていた。球場での切符の販売は私服のボランティア風の人が行っていたが、球場によっては他の入り口から無料で入ることができるなど、運営はずさんだった。
観客は100人も入れば多いくらい。30人前後と言うときもあった。
そのくせ各球団は、独自にグッズを作成して販売していた。やるべきことの順番が違うと言う印象があった。
関西には阪神、オリックスと言うプロ球団がある。一軍の試合が各72試合、二軍の試合も各50試合以上行われている。ファンは見たいと思えば、いつでもプロ野球を見ることができる。
関西独立は四国やBCのように、プロ野球の代替品になることは難しかったのだ。
であれば他の魅力を打ち出すべきだったが、そういう努力はまったくなされなかった。
プロ野球を表面的に模倣することはしても、お客を集めるための努力はほとんどしなかった。
また内紛によってチームがコロコロと変わり、ファンは定着しなかった。
5年間も続いたことの方が、不思議ではあった。
以後、稿を改める。
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タイガース、オリックスがいる地域で差を出すとしたら
吉本新喜劇的と言いますか、プロレス的な路線が良いのでしょうかね。
そうなると、プロを目指す場としてはふさわしくなくなりますが、
若くして引退した選手たちやどういった形でも野球を続けたい人の
受け皿にはなりそうな気も。
引退した体操選手や陸上選手も受け入れて、
現実にはありえないようなアクロバティックプレイや、
延々と野手とランナーが追いかけっこをするようなプレイは
それなりに見てみたい気もします。
売り子のお姉さんかと思ったら選手だった、とか。
「代打、わし」(見知らぬおじいちゃん登場)とか。
要はなんでもありですよね。
ゲストを呼んだり、看板・名物選手がいれば
年に1~2回テレビ放映も出来そうな気がしてきました。