こんにちは、Marinです。
去年から、復学の決断、結婚の破談騒動など、大きな出来事が重なり、自分を振り返ることやブログを書くことがままならない状態でした。
今、書けることを一つずつ振り返り、新たなスタートとして進んでいきたいと思います。
また、この記事は、後で自分が振り返って、大切にしていることや今自分が思っていることを見直したいために書いています。なので、広く一般的に読まれたいと思って書いていることでないのでご注意ください。
いつもブログを読んでくださって、ありがとうございます。
去年の振り返り
私の2020年は、良くも悪くも、学びの多い一年だった様に思います。
去年、私は2月くらいから、研究が全く上手くいきませんでした。
2月ごろから、毎日細胞にコンタミが起き、全く実験が進みませんでした。培地を何度新しくしても、dishの置き場所を変えても、マイコプラズマ感染予防試薬を入れても、インキュベーターを全部滅菌掃除しても、無駄でした。
さらに、個人のPCで、Timemachineとして使用していた外付けHDが盗まれました。
4月まで、コンタミと戦ってきましたが、緊急事態宣言により実験が完全にストップしてしましました。
私は、博士号を絶対に3年で取得したいと思い、死ぬ気でDC2も取り、ラボでこれまでノウハウも一切ないエクソソームを扱う実験も必死で行ってきました。ですが、ボスは、IFが10以上あるようなペーパーにしか許諾しない人でした。私がいくら、コンタミや盗難の相談をしても、真剣に取り扱ってくれず、このコロナ騒動の中で、卒業が伸びて、いつになったら論文としてまとめさせてくれるのもわからない状況でした。
それから、自粛中も、全く論文調査にやる気が出ず、日々ぼーっとした時間を過ごしていました。
そのころは、本当に、なんでこんな辛い思いをしてまで博士過程に行きたいかわかりませんでした。
当時、学生相談所に送ったメールで以下のように書いています。
“正直に打ち明けますと、苦しく、辛い研究室の環境に戻りたくはないと思ってしまっています。研究室のことや上司とのこれからのやりとりを考えると、閉塞感とプレッシャーでとても苦しいです。アメリカに戻る可能性や、自分が将来やりたい方向、明確な目標を考えるほど、自分の心にこれ以上蓋をするのが苦しくて仕方ありません。研究自体が嫌いになったわけではありません。しかし、研究室の閉塞的な環境や上司との仕事の進め方についていけず、自分が本当にやりたいこと、興味を持ったことが見えてきて、アメリカに戻れる可能性を考えたいま、これ以上我慢できない状態になっています。
自分が博士課程を辞められないのは、親の期待と、博士号がもたらす将来的な意義の2つに帰着すると思います。以前、親にもアメリカに戻って1からやり直す可能性を打ち明けたとき、「今辞めるのは逃げだ。恥だと思う。わがままな考えだ。私と祖父で東大の卒業式が見たい」というのがずっと心に引っかかっています。
自分が考えていることは本当にわがままで、恥ずべきことなのでしょうか。期待や将来的なメリットを考えて動いてきましたが、自分はこれ以上我慢することはできないと思います。”
当時は、アメリカの恋しさや、博士号のプレッシャーが重なり、正常に物事を考えることができなかった様に思います。
そして、自粛が空けてからも、ラボに行っても、何も手を動かすことができませんでした。
常に眠気が襲ってきて、体がだるく、体が思うように動きません。熱もありました。
心療内科で診てもらったところ、軽度のうつ病と診断されました。
そして6月ごろ、当時まだ付き合っていた彼と、アメリカに行ってしばらく休もうかという話をしていました。
そのために、長期的に住むためのビザが必要だし、当時は博士を辞めたいと考えていたため、現地で就労したいと考え、彼と結婚することに決めました。
ですが、6月はトランプ政権の影響でL2ビザが取れない状況だったため、夏の間はESTAの短期滞在で彼と過ごすことにしました。
夏にボストンにいた時は、もちろん就職状況もオープンであるはずもなく、CICのボランティアをしていました。
当たり前ですが、毎日ちょっとした事務作業だけで、やることなんてほとんどなく、毎日暇でした。
ボストンで住んでいた部屋も、ボックスタイプで、彼も自宅で仕事をする状況だったので、毎日電話会議やタイピングの音が聞こえてとてもストレスでした。
自分もやることを見つけたい。でもやることがない。
決定的だったのは、とある平日の夜に、彼の友人と3人で食事していたときです。
彼の友人に、休学している状況を軽く伝えると、
「そしたら、今、すごく暇なんじゃないですか?」
と、言われたこと。
すごくショックでした。きっと、私にとって、毎日やることがないのは、自分が無価値であると言い渡されたのと同じくらいの衝撃だった様に思います。
ずっと、復学するか、就職するかで、彼と喧嘩し、彼の電話会議がうるさくて耐えられず出て行ったり。。。毎日泣いてばかりでした。
そして、帰国を1ヶ月早め、日本でしばらくまた一人で考えることにしました。
その間に書いた記事は、過去のページに記載しています
10月から、VCのインターンを少しずつ始めていましたが、会社の評価や製薬の開発段階に関わるアセスメントが全くできず
やはり専門性を持たないと、責任を持った評価や仕事が行えない、と、強く感じるようになりました。
そして、大学の専攻長に、研究室を変更したい旨を伝え、これまでに研究室で起こったこと、やはり博士号を取りたいと強く願っていることを伝え、研究室の変更を了承してくださいました。
ここまでの自分の身に起こった出来事や経験を通し、私が本当に大切にしているのは、「自分のアイデンティティ」でした。
自分がPhDを持ち、専門家として創薬の世界で活躍していきたい、自分とは何者かを世界に向けて発信していきたい、と、そういった軸がなければ、私は自分を見失い、自信を失くし、私が私でなくなってしまうでしょう。
離婚相談と弁護士
あまり言いたくないですが、去年は彼と離婚の話で大きく揉めました。
私が3年間、離れ離れで学位のために日本にいることをよく思っておらず、大きな喧嘩が起こりました。
耐えられないくらいの暴言を吐かれました。
一度、弁護士に相談し、離婚における慰謝料や調停の相談もしました。
後から振り返れば、復学の話が決まって落ち着いていますが、当時は、専攻長に相談している最中にこういったことが起こったので、自分の本業である博士研究と家族を同時に失うかもしれないことに対し、正気でなくなっていました。本当に、何もできませんでした。死のうかとも思いました。
暴力を振るう相手とどう向き合うべきか
色々な話し合いの末、彼が日本にきて謝罪し、私も年明けに少しボストンに行きました。
そこで、今後どうしていくかを話し合うつもりでした。
ですが、先日、頬と顎を殴られる事件が起き、急いで日本に帰るところです。
私は今、ホテルに隔離し、夫と離れたところに滞在して、このブログを書いています。
書きながら、自分の心の整理をしています。
ことの起こりは以下です。
私には、ボストンで中の良い、高齢の研究者の友人(レオ)がいます。
彼は、留学中や、休学で夏に滞在していた時も、親切に話し相手に乗ってくれる、本当に大切な友人です。
今回も、復学が決まったことを報告しようと、レオに会いに行きました。
コロナのせいもあり、レストランが空いていないため、午前中から昼にかけて、彼の家に遊びに行き、テイクアウトのランチを食べに行ったり外に散歩に出かけました。
夫は、私が異性と二人きりで会うことをよく思っていないようで(異性と言っても80過ぎのおじいさんです)、家で二人きりでいたことに怒っていました。
私は、なぜ、友人と会うことがそんなに怒られるようなことか分からず、言い返しました。
夫は、私の作った夕飯を怒って捨てようとしたので、
私がそれを阻止し、傍に寄せようとしたら、
彼がいきなり私の頬を殴りました。
カウンターテーブルだったため、私は座高の高い椅子からそのまま倒れ、腰と脇腹を強く打ちました。
それから、彼がハッとなって、その晩や翌日も謝り、やり直したいことを伝えていましたが、
話し合っても私はどうしても納得できず、頭や心の整理がついていなかったため、荷物をまとめて部屋から出ていきました。
今でも整理がついていません。
話し合いたいと言って、お金のことや婚姻関係のことについて話しましたが、まだ、納得いってないし、
ましてやこのコロナの状況で、アメリカに単身で来て、それで出ていけというのもおかしいと、感じています。
私は、なんのために、結婚しているのだろうか。
グリーンカードのため?お金のため?彼との子供が欲しいから?
自分の力で動こうと思えば、永住権だって生活のためのお金だってなんとかなるでしょう。
たとえ永住権がもらえなくても、海外で仕事ができるチャンスなんて、山ほどある。
それを、これほどの暴力や暴言を受けてまで、彼と一緒にいる意味があるのだろうか。
私は彼の、何が好きで、一緒にいるの?
優しいところ?
でも、それは、彼の素性が明らかになった今、もういつもの彼でない。
暴力や暴言を吐く人は、今は反省してても、必ずまたやるでしょう。
学位をとってから彼とアメリカに住むために、婚姻関係を続けたいのか?
夫に、「結局金が欲しいだけなんだろ?」と、言われてまで、私は、彼と一緒にいる必要がある?
大学院に入って、留学までして、学振もとって、自分でやりたいこと、欲しいことを自分の手で掴み取れるのに、そこまで自己評価を下げて、彼といる必要があるのか?
結局、謝っても、何も反省してない。
でも、私が彼に依存しているのもまた事実
日本に帰って、ゆっくり体を休めながら、考えようと思います。
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