練習
飲食店での確認を終えた後は、ピーちゃんと二人で町の外に出た。
魔法の練習をするためだ。
町からほど近い森林地帯、その手前までピーちゃんの瞬間移動の魔法で移動した。町の周りに広がっている草原地帯はそれなりの規模があるので、その隅まで場所を移したことになる。おかげで人気も皆無の界隈だ。
そこで呪文を繰り返し詠唱しつつ、魔法の取得を目指す。
しばらく繰り返していると、ピーちゃんから声を掛けられた。
『町中に飲食店など構えて、貴様は何をするつもりだ?』
「え?」
『当初の予定にはなかったように思えるのだが』
「こっちでピーちゃんがご飯を食べるときに便利かと思って」
『……我のためだったのか』
「こっちの世界で道楽にふける為の第一歩だね。もちろん自分も利用させてもらおうかなとは思っているけどさ。それともう一つ切実な理由があって、色々と商品を買い付けているから、あっちの世界で金銭的に厳しいんだよ」
『なるほど』
「食事はこっちで食べて、あちらの食費を節約したい」
『ふむ……』
一つ一つは大した額ではないけれど、数が増えるとそれなりだ。砂糖やチョコレートだってキロ単位で買い込めば、意外といいお値段になってくる。カードの上限も割とカツカツだ。そうなると削れるところは削らなければならない。
二つの世界で時間の流れが違う点も、これに拍車を掛けている。
ただし、時間の扱いについては、決して悪いことばかりではない。
あちらの一時間がこちらの一日という時差のおかげで、社畜はこうしてゆっくりとした時間を過ごすことができている。フレンチさんの食堂が軌道に乗れば、ピーちゃん念願のスローライフにも一歩近づく。
「あ、水が出た」
そうこうしていると、正面に突き出した手の平の先から蛇口を捻ったように水。
現在試している魔法は、何もないところから水を出す魔法だ。
その呪文を繰り返すこと数十回、遂に発動に成功。
飲料も可能とのことだったので、優先してゲットしようと考えていた。まるで蛇口が壊れた水道のように、手の平の正面に浮かんだ魔法陣から、だばだばと水が溢れ始める。結構な勢いではなかろうか。
放っておくと靴が浸水しそうなので、慌てて止める。
『なかなかテンポよく魔法を覚えているな』
「おかげさまで」
本来なら魔法を使うと、魔力とやらを消費するため、一日に何十回と使うことは難しいのだそうだ。ただし、その一点に関して自分は、ピーちゃんから分け与えられた魔力が膨大である為、これといって苦労することなく練習を重ねている。
おかげで進捗も大変よろしい。
僅か二日でライター魔法に続いて、二つ目の魔法をゲットである。
しかし、本命である瞬間移動の魔法は未だにうんともすんとも言わない。ピーちゃんが語ってみせた通り、初心者向けの魔法とは一線を画した難易度にあるようだ。だからこそ、こうして異世界くんだりまで移動しての練習である。
「ピーちゃん、次は瞬間移動をお願いしたいんだけど」
『あの魔法に何かこだわりがあるのか?』
「出社が楽になるじゃないの」
『そんなに会社とやらに行きたくないのか?』
「行きたくないと言えば行きたくないけれど、それ以上に人がいっぱい乗った電車に揺られたくないんだよ。ピーちゃんも経験すれば、絶対に分かってくれると思うんだけれど。ああでも、今の姿のまま乗せたら潰れちゃうかも……」
『……まあ、構わないが』
同日は以降、延々と瞬間移動の魔法の練習を行った。
ピーちゃんにお願いして、繰り返し同魔法を体験しつつ、その経験をフィードバックする形でのトレーニングだ。しかしながら、日が暮れるまで延々と頑張ってはみたものの、これといって成果を挙げることはできなかった。
呪文こそバッチリ覚えたけれど、これは先が長そうである。
◇◆◇
同日は自宅アパートに戻るのではなく、現地で一泊することにした。
宿泊先は主に貴族や豪商が利用するのだという、かなり高級なお宿である。事前に副店長さんに話を通しておいたので、これといって苦労することなくチェックインすることができた。一泊二日三食付きで金貨一枚だという。
『悪くない部屋だ』
「こりゃ凄いね……」
居室は百平米以上あるのではなかろうか。
主寝室の他にリビングスペースが設けられており、更にトイレやバスルームも見受けられた。細かな差異は見受けられるが、元いた世界のホテルと大差ない作りである。ベッドやソファーセットなど、家具も値の張りそうな品が揃えられている。
同じような部屋を都内で探したら、一泊二桁万円からのお宿だ。
更にこちらのお部屋は、一部屋につき一人、専属のメイドさんが付いて、宿泊客のお世話をしてくれるらしい。部屋を案内される際に自己紹介を受けたけれど、十代も中頃と思しき、とても可愛らしい女の子だった。
今は居室の出入り口にほど近い専用の待機スペースにいらっしゃる。
彼女が普通のコンパニオンなのか、ピンクコンパニオンなのかは確認していない。ピーちゃんが一緒だから、その手のイベントを発生させることに抵抗を覚える。何より下手に手を出して、性病とかもらっては大変だ。
数年前、上司に連れられて足を運んだ風俗でクラミジアをゲット。その治療を経験して以来、生身の女性はもうお腹いっぱいである。あんな惨めで痛い思いをするくらいだったら、未来永劫、右手が恋人で構わない。
後に調べた統計によれば、女子高生の八人に一人、十八歳から十九歳の女性の十人に三人は、クラミジアに感染しているのだという。しかもこれは、無自覚の場合が多いというから、恐ろしい話もあったものだ。
ちなみに男子高校生は十六人に一人らしい。
性別による恋愛格差を如実に感じさせる値ではなかろうか。
「ピーちゃん、僕はずっとここで生活したい」
『ならすればいい。我も存分に付き合ってやろう』
「けど、仕入れの為には向こうでお金を稼がないとならない」
『……出世は見込めないのか?』
「当面は無理かな。ここ五年で一円も上がってないし……」
『そうか』
まさかペットの文鳥に出世をせがまれる日が来るとは思わなかった。
他所様では一年から数ヶ月に一度、昇進の査定があるのだとか、楽しげな話を耳にすること度々。しかし、場末の中小商社に過ぎない弊社は、昇進の機会なんて早々存在しない。給料が上がるのは経営者の身内だけだ。
来月に退職、独立するという同僚の言葉が、今はこれ以上なく正しいものとして響く。もしも叶うなら、自分も彼に倣って転職するべきだろう。ただ、自身のスキルセットを鑑みると、転職先として考えられるのは、今より下方水準のお仕事ばかりである。
彼は独立起業に誘ってくれたけれど、自分にはその思いに応えられる力なんてない。我が身のことは、自身が一番良く理解している。これで機械設計とか、プログラミングとか、手に職があれば話は違ったのだろうけれど。
「どうにかしてお金を稼ぐ方法はないかな?」
フカフカのソファーに腰掛けて、あれこれと頭を悩ませる。
正面のローテーブルには、肩から降りたピーちゃんの姿が。
『たとえばチャームという魔法がある。対象を魅了して服従させる魔法だ。ただし、一度のチャームが有効な期間は長くても数ヶ月ほどとなり、その間の記憶は残る。これで問題を解決することは可能か?』
「やってやれないことはないと思う。ただ、その場合だと僕らの代わりに、他の誰かが身代わりになるってことだけど。もしくは僕らに関わった人間を片っ端から魅了することになるのかな」
前者は他人の名義で金銀財宝を売買して、売上金だけもらう作戦である。
あるいは店先の帳簿を誤魔化すか。
そしていずれにせよ、名義をお借りした人物や質屋の店員、更にはそうして得た金銭を利用して仕入れをする際に協力を願った誰かが、つまりチャームを受けた対象の方々が、後々大変なことになるだろう。
一連の非人道的な行いを許容できるのであれば、かなり優秀な作戦なのではなかろうか。逮捕されて罪が確定したあとなら、チャームが解けても問題ない。証拠も揃っているだろうし、摩訶不思議な冤罪を挽回することは不可能である。
要はチンピラがオレオレ詐欺で使う飛ばし携帯と同じだ。
後者については、そうして生まれたチャームの被害者の救済を組み入れたプランである。ただし、こっちはチャームの対象が時間経過と共に芋づる式に増えていくので、あまり現実的ではないような気がする。
「後者の場合だと、数ヶ月っていう期間がネックになってくるかな。最終的には身の回りが魅了で誤魔化した相手だらけになって、こっちの首が回らなくなるんじゃない? そんな気がしてならないよ。場合によっては魔法の存在がバレるかも」
『貴様の言う通り、チャームの対象を増やしすぎて自爆する者はいる』
「やっぱりそうなんだ?」
『それでは代わりに、役人を直接相手にすればどうだ?』
「端的に言うと、人は騙せても、お金の流れをなかったことにはできないんだ。嘘の記録も記録として残るから。そして、帳簿の上で怪しい部分があったら、そこは怪しいなりに勘定されて、最終的に反則金という形で、誰かに跳ね返ってくる」
『結果として否応にチャームの対象が増えるということか』
「そうなると思う」
魔法が途切れた瞬間に追徴課税や刑事罰が迫ってくるような作戦は取りたくない。いくら異世界に居場所が作れそうだとは言え、自身のホームは現代日本に他ならない。こちらの世界の立場も、あちらの世界での取り引きあっての賜物だ。
なるべく穏便に人知れず、それでいて大金を手に入れたいのである。
贅沢な話ではあるけれど。
「それでも仕入れについては、ある程度解決したよ」
『そうなのか?』
「ピーちゃんの瞬間移動で他所の国に行って、現地で現金を利用して買い物をすれば、たぶん誤魔化せると思う。この国は邦人の出入りが厳密に管理されているから、商品を異世界まで運び込んでしまえば、きっと足が付くことはないよ」
『国外であれば、金の流れを無かったことにできると?』
「別の問題が出てくる可能性もあるから、変装するなり何なり、色々と手間は掛かるかも知れない。あとは外貨への両替の手間とか。けれど少なくとも、税務署に身辺を漁られて困るようなことには、きっとならないと思う」
『ならば貴金属の売買も海外で行えばいい』
問題があるとすれば、自分が英語を話せないという点か。
おかげでピーちゃんから痛いところを突かれてしまった。
「たしかに不可能ではないと思うよ」
『本当か?』
「けれど、困ったことに僕は外国語が話せないんだ。現地のスーパーで商品を買うくらいならまだしも、出自の怪しい金銀財宝を捌くようなコネや手腕はないんだよね。っていうか、十中八九で現地の警察に捕まるんじゃないかな」
『……そうか』
信頼性の低い通貨から始めて、遠回しに外貨を交換していく、みたいなことができれば一番いいのだけれど、それをやるには語学力が必要だと思う。そもそも、そういった行いを仕組み化して安定的に回せたら、それだけで商売になるんじゃなかろうか。
いや、そうなると日本の税務署より、もっと怖いのに追い掛けられそうだ。
「もうちょっと考えてみるよ」
『我も貴様の世界の仕組みを学ぶとしよう』
「ありがとう、とても頼もしいよ」
考えれば考えるほど、あちらの世界のお金に関する仕組みは良く作られていると、つくずく思い知らされる。
そんなこんなで同日は過ぎていった。