フログを毎日書くことを負担に感じるようになった原因はわかっている。スウェーデン語の辞書作りの占める割合が大きくなったからということがひとつ、私の日常に大きな変化があったことがもうひとつだ。スウェーデン語-日本語辞書(瑞日辞書)は、日常語の収集がほぼ終わったので、今後収集範囲を広げていかねばならない。日常語であればかたっぱしから収録すればいいが、それ以外の語は取捨選択が必要になる。滅多に使わない専門用語は搭載の優先順位が下がる。また、法律用語や経済用語は該当する日本語を探すのが難しい場合がある。そもそも日本語に対応する単語がない場合すらある。新しい単語をどこまで拾うか、口語表現をどこまで許容するかも難しい。あまり使われない単語は、意味を確定するのも難しいし、良い使用例を見つけることにも多大な労力を要する。

辞書としての完成度を高めるためにそれよりも重要なのが、同じ綴りでも異なる意味になる場合、それを別の語として見出し語を別にするか、ひとつの見出し語の中の異なる意味とするかという問題、それに、見出し語の中の訳語の掲載順の問題だ。この2つの問題には正解がない。だから、何らかの基準や規則を決めねばならない。それを決めるのも大変なのだが、辞書の全項目の中でそれらの基準や規則がきちんと同じように適用されるようにするのが大変だ。1万項目以上の見出し語について、ひとつひとつ精査していかねばならない。宮崎駿は「 世の中の大事なことってはたいてい面倒臭い」 (www.youtube.com/watch?v=6GHDJ3wUtDw)というが、まさに辞書にとってはとても面倒な「大事なこと」だ。

用例の見直しや訳文のブラッシュアップも必要になる。そこには今まで翻訳の現場で学んできたことや、このブログを書く中で考えてきたことが役に立つのだが、量が膨大であることがプレッシャーである。全部見直さなければ完成品とすることができない。現在1.3版(http://www.mojitokotoba.com/studies/swedish.html)まで公開しているが、未完成品である。

瑞日辞書をデジタルデータで所有することになるので、それを変換して日本語-スウェーデン語辞書(日瑞辞書)を作ることも計画している。Pythonには自動的に振り仮名を振るライブラリがあるので、それを使えば瑞日辞書からスウェーデン語と日本語のペアを生成し、順序を入れ替えて日本語に振り仮名を振り、五十音順に並べ替えて整理すれば基礎データは出来上がるように思える。だが実は見出し語の品詞をどうするか、同義語をどうまとめるかなど、厄介な問題が多い。これも生きている間に完成品が出せるかどうかのプロジェクトだ。

日常生活の変化については私的なことなので詳しく書くことはしないが、今まで旅行などしたいと思ったことなどない(そして実際に観光旅行はほとんどしたことがない)のに、急に旅行に出かけたくなったりと、活動のパターンを変えたくなる変化が起こった。そのためにブログを書く時間のやりくりが大変になってきたのだが、その変化は私に生きる力を与えてくれた変化であった。私の人生の再スタートとも思える変化なのだ。

ともかく10年まで後2年となった。何とか続けて行きたい。