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カテゴリ:日本ってなんだ研究
首露王と許黄玉王妃の子供たち! 煩悩くん フルスロットル さんの記事で、 許黄玉が生んだ子供は多数いますが、日本に渡来した子供は8名(赤字)。 他は半島や大陸に残って扶余国や加羅国を継いでいます。 下記は語り部情報ではなく他文献から引用ですが、その詳細は以下の通りです。 この記事のソースが分からないのだけど、 ・宇佐と須佐が近い ・尾張・飛騨・信濃が近い ・尾張の祖が隠されている という点で、これなら理解できるわと思った。 もう一つこの人の記事の中で気になったのは、 金官加羅の王妃・許黄玉が石塔と伴に携えてきたのが「双魚紋」ですが、キム・ビョンモ漢陽大名誉教授によると、この紋はペルシャ神話の人類の万病を直す霊薬「コケレナラン」の木の実を守る二匹の魚として出てきますが、その魚の名前が「カラ(Kara)」だといいます。双魚はアッシリア-バビロニア-ペルシャ-スキタイ-ガンダーラ-雲南-四川-邪馬台国に至る人々に「万物を保護する守護神」として崇められたという。 北ユダヤ・南ユダヤのどちらかの人が来た経路に 四川があったことだわ。 もう一つは、双魚紋でわかるルートだわ。 双魚紋の研究はどっかでも見たわ。 紀元0年ぐらいに 確かにアッシリアとつながっているという証拠だわ。 金海の双魚紋は、ウル(アッシリア)から 半島のウルサンまで、 物も人も動いていた証拠だわ。
「艮の金神」こと国常立命を「出雲」に関連させて述べているサイトが多いのですが、上記の表からは、国常立命は初期大王家(騎馬民族スキタイ・カド族)の傍流の王治(尾張)氏祖の倭得玉その人であり、出雲(大国主系=アイヌ)とは明確に異なることになるのです。尾張氏は「草薙剣」(海凪ぎの剣=モーゼの杖)を熱田神宮に祀る神祇氏族ですが、傍流については文献が残っているのですが、 尾張氏本貫がその後どうなったかは歴史の闇に消えて分からないのです。初期大王家同様、歴史の中に封印されてしまった故に、国常立命を「出雲」と関連付けてしまうことは、記紀がそう記している以上、仕方ないことだと思います。 美濃尾張地方は、初期大王家の湯沐令(=天皇直轄地)の美濃や王治王朝があった名古屋市大高があったところですが、上古には伊勢湾は深く濃尾平野奥深くまで入り込んでいて、その為に弥勒山は国見する山であったといいます。また、この山は「天の香具山」と呼ばれ、初期大王家傍流の王治氏は「天の神」に鹿の香りを捧げる犠牲の祭祀をこの山頂でしていたといいますが、後年、藤原京造営時に奈良桜井にこの名称と共に祭祀も移されたという。また、大国主族が祀る「地の神」は丹波川上(現・東谷山フルーツパーク)で祭祀が行われたというます。こちらは奈良の山奥に移された ・スサノオの家系と首露王の家系とダブらせたこと ・スサノオは旧天孫系であること ・スサノオ家の行方が分からないこと(隠されている) ・尾張美濃がある時中心だったこと この点でも見解が一緒だったから 興味を持って読んだわ。 後期大王家(百済系エフライム族)・・・ 初期大王家が、何故、日本に招聘されたのか? 私はいったいどこへ進んでいるんだぁ~。 また日本へ戻ってきたけど・・・。
最終更新日
2013年09月05日 17時42分00秒
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2013年09月05日
カテゴリ:日本ってなんだ研究
首露王の父は、天神夷毗訶 てんじんえびす? 首露王の父は、天神夷毗訶と書かれてるのに閃いたわ。 天神って、テムジンなんだろうか?梵天・帝釈天の意味なんだろうか? 夷毗訶って、蝦夷・恵比寿に似てるなぁ。 いったいどこから来た民族なんだろう?? 母・・・伽耶山の女神。恵比寿正見母主 母も恵比寿だわ。 許王后(許黄玉(ホ・ファンオク)) 16歳でインドから 神のお告げを聞いて やって来た花嫁さんだそうです。 アユタヤの王家だとか 貿易商の娘だとか・・・わかりません。 インドのお姫様なのに 許黄玉って、まるで中国ポイ名前だという意見も・・・。
父は蒙古系の騎馬民族で、 母は、中国由来の家系で、 奥さんがインドのアユタヤ王家の血を引く家系!! 首露王の家系は、実にインターナショナルだったといえます。 ・・・混血でルーツを消したかったのかもしれないけど・・・
このあと 首露王の息子たちも 日本の王族と結婚してったようです。 それはまた今度にしましょう。
書き忘れたけど首露王には兄がいて、初代の伽耶王になります。 彼の名前が、伊珍阿鼓 イザナギと読めるそうです。 彼と彼の息子が九州に上陸したという説も。 ・・・・・(馬淵和夫筑波大名誉教授や寺本克之などの共同研究)
歴史はいつも作られるので、参考程度に頭の隅に入れておきましょう。 さて、確かな痕跡として首露王陵が慶尚南道金海市にあります。 ついでに気になったのが、許黄玉王妃の兄が作った西林寺の場所を調べて、 釜山北西の金海市の文字の右の青い印なんだけど、 チグリスユーフラテス川河口のウルと似ているし 神奈川の寒川神社と立地条件が似ている。 天王神社も木曽・揖斐・長良川の河口に位置する。
海にすぐ出られて、貿易・運搬もしやすかったのだろうか??
・・・・・以下 参考資料・・・・・・ ・首露王(しゅろおう、수로왕)は、金官加羅国の始祖と伝えられている古代朝鮮半島の王で、金海金氏の始祖。首露王は158年間国を治めたとも伝えられている。妃は阿踰陀国の王女と伝わる許黄玉。 『三国遺事』に抄録された『駕洛国記』(『駕洛国記』自体は逸書)によれば、亀旨峰の6個の金の卵から、後漢の光武帝の建武18年(西暦42年)3月3日に首露王が生まれた[1]とされる。また、このとき1人ではなく5人の王子とともに6つ子として卵から孵って、九干たちに育てられたとされている。韓国の人たちの一部はこの年代に、首露王を中心とした国家連合(六加耶連合、後の新羅の複伽耶会)が成立したと見なしている。金官国伽倻は『魏志倭人伝』には狗邪韓国(くやかんこく、くうじゃかんこく)と伝えられる国である。 首露王は金の卵から生まれたという伝説により金姓を名乗る。朝鮮の始祖もしくは神話上の王とされている人々は、高句麗の東明聖王、新羅の朴赫居世や昔脱解(ソク・タレ)など、卵から生まれたとする卵生説話を持つものが多い。これは、卵が神聖なものであったというものからきている。 『新増東国輿地勝覧』には加耶山の女神である正見母主の2番目の息子が首露王だと記録されている。首露王の兄が大加耶を建国したという内容を通じて、大伽耶が六加耶連合の盟主だった時に作られた神話と見る説もある。 〔ただ神話を収録した『三国遺事』は西暦1200年代後半に高麗の僧侶一然によって私的に編まれた歴史書であり、神話の性質をどう見るか難しいところもあろう。〕Wikipedia
東国輿地勝覧 という李朝時代の文献において、 ヤフー知恵袋 九州に渡ったのが、素戔嗚尊と瓊瓊杵尊 といった記述を目にし、
・金海博物館・・・伽耶古墳から鉄製や武具が多数出土。日本の古墳の出土品と類似。 今回の旅行 第5弾 『金首露王』を尋ねて~『金海(伽耶)の文化を体験』の旅 ~その2~ ・首露王妃陵 ・「鉄の王 キム・スロ」の妃は本当にインド人? 「ホ・ジュン」との関係は? ・今回の旅行 第5弾 『金首露王』を尋ねて~『金海(伽耶)の文化を体験』の旅 ~その1~ ・ 今回の旅行 第5弾 『金首露王』を尋ねて~『金海(伽耶)の文化を体験』の旅 ~その3~ ・韓国最古の寺 銀河寺と神魚山東林寺 首露王の王妃許黄玉の兄 長遊和尚が始めた寺。当初の寺名は、西林寺。
最終更新日
2013年09月05日 13時23分36秒
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