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2014年2月 5日 (水)

古代日本とインドとの接点が見えてきた。《金首露王の王妃は、インドの王国の王女》

朝鮮の12世紀にまとめられた「三国遺事」には、古代朝鮮伽耶の始祖、金首露王の王妃はインドの阿喩蛇(アユダ)国の王女で嫁いできたと書かれている。金首露王の王妃の廟門の紋章は、アヨーディヤー(Ayodhya)のものと同じ構図であるという。韓国の文化人類学者、金秉模(キムピョンモ)博士は、王妃のインド渡来説を史実と解釈されている。

私もブログで、大野晋氏の研究「日本語の起源はインド」ということを紹介した。その研究によると、日本語は文法構造の共通性、助詞・助動詞の音韻法則の対応、単語350語以上の共通性をひっくるめて考察したところ、日本周辺のアイヌ語・朝鮮語・トルコ語・中国語などどれ一つとしてあてはまる言語はなかった。唯一上の条件をすべてそなえている言語があった。それがタミル語であった。インドの最南端に、現在5000万人の使用人口をもち、BC200~AD200年間の、詩2400首を持つ言語である。タミル語は、日本語との間に500の対応語を持つが、それだけではなく朝鮮語との間にも何百という多数の対応語を持つことがわかってきたという。

この研究が、金首露王の王妃がインドの王国の王女であるという伝承とつながってきた。点と点が想像によってつながり始めてきた。客観的な史実に乏しいが、おぼろげながら史実が見えてきたような気がする。古代朝鮮伽耶の始祖、首露王はインドから渡ってきた民族の首領だったのではないだろうか。

首露王には、亀旨峰の6個の金の卵から5人の王子とともに6つ子として卵から孵ったという伝承がある。このような神話は、人間の姿をして降臨する北方遊牧民系の神話にはないもので、南方系に多い卵生神話といわれるもので、卵・箱・布団などにより見えなかった実体が新たに現れ、卵から生まれた者が新しい世を開いていくという物語である。この神話も、首露王南方説に符合するのではなかろうか。

konyaniブログより、王妃の伝承を記す。

먼 바다를 건너온 여인을 왕비로 얻고, 어진 정치를 펼치다
○遠い海を渡ってきた女性を王妃に迎え、情け深い政治を行う


首露が王位に付いてから4年後だった。王は自分の妻が遠いところから訪ねてくるであろうと思っていたため臣下たちが結婚を進めてもうんと言わなかった。ついにA.D48年7月、西南の海から赤い帆をかけ、赤い旗をはためかせた船が北に向かってきた。船か ら降りた美しい女性は陸地へ上がり、高台で自分が着ていた絹のズボンを脱ぎ山の神に礼物として捧げた。首露の王妃、許黃玉(ホファンオク)の登場である。

そして王が出迎え、共に天幕の中へ入ると王妃は、自分が阿踰陀国の姫であることを告げる。両親が共に夢を見たのだが、『駕洛國の王、首露は天から降りたち王位についた者で、彼こそが神聖な人物だ、しかも新しい王となりまだ后を決めていない。すべからく姫を送り彼の后とするべし』という神の命令を授かったということだ。この阿踰陀国についてはいくつかの説がある。おそらくインド のある地方に実在した国だろうと考えられている。中国の南部地方まで進出しており、韓半島の南方の海に接した伽耶と交流することが出来たと思われる。

王妃が遠い海を渡ってきた経緯については「金官城婆娑石塔」 條により詳しく書かれている。金官城の虎溪寺という寺にある石塔について一然は次のように書いた。許黃玉が両親の命令を受け、海へ出て東へ向かっていると ころだったが、波の神の怒りによって進めず国にもどり父親にそのことを告げると、父親はこの塔を乗せて行けと言うのだった。すると思い通りに海を渡り南の丘に停泊した。しかしこれについて一然自信も若干の疑問を持っている。この時期の朝鮮半島では寺が建っておらず仏法を受け入れていなかったためである。それにもかかわらず一然はこの寺を訪れ塔を見て‘四角い四面である、五層だが彫刻された模様が非常に変わっている。石には薄く赤い斑点があり、素材がとても やわらかい。この地域でとれる種類ではない’という説明を付け加えた。今は本来の姿をほとんど見受けられないほど変形してしまったが、一然の記録を参考に その原型を想像してみてはどうか。http://konyani.blog135.fc2.com/blog-entry-185.html

ブログ「ロビンソンの天然生活」の記述によると、さらに西につながる。

金官加羅の王妃・許黄玉が石塔と伴に携えてきたのが「双魚紋」ですが、キム・ビョンモ漢陽大名誉教授によると、この紋はペルシャ神話の人類の万病を直す霊薬「コケレナラン」の木の実を守る二匹の魚として出てきますが、その魚の名前が「カラ(Kara)」だといいます。双魚はアッシリア-バビロニア-ペルシャ-スキタイ-ガンダーラ-雲南-四川-邪馬台国に至る人々に「万物を保護する守護神」として崇められたというhttp://plaza.rakuten.co.jp/agrifresh/diary/201309050002/

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