本日の日記

エピソード

2021年1月18日(月曜日)

早稲田大学の創設者でもある大隈重信という人は、何と一切文字を書かなかったのだそうです。
大隈さんは、13~14歳で進級するところを10歳で進級した秀才です。
字が書けなかったわけではありません。
字だけはどうしても勝つことが出来ない人が一人いたのです。
そこで考え付いたのが、
「文字を書かなければアイツに負けることはない」だったのです。
このように思い付いてからというもの、一切文字を書かなくなりました。
勉強は暗記、政治家になってからは口述筆記だったそうです。

松原照子の印

本日の世見

金印

2021年1月18日(月曜日)

  • 古代文明・歴史

いつ、どこで、何を見付けるかわかりません。
志賀島(福岡市)のお百姓さんの甚兵衛さんは、さぞや驚いたことでしょう。
彼が溝の形を修理しているとき、小さな石をだんだん取り出していると、そのうちに二人で持ち上げる程の石が出てきて、それを取り除くと石の間に光る物を見付けました。
その石の囲いの中には金印しかありませんでしたが、それが世紀の大発見になるとは思わなかったのです。
金印の大きさは、一辺が2.4cm、高さは0.88cm しかありません。
この金印は、単なる金ではありませんでした。
中国の皇帝が日本のある国の国王に授けたという国宝だったのです。
もしも売られるとしたら、今なら甚兵衛さんは億万長者になっていたことでしょう。
1784年2月のことですから、福岡藩のお殿様からご褒美として銀50枚、米2俵もらったと記録に残っているようです。
この金印の文字については、解読の努力が今も続いていると言います。
中国の古い歴史の本『後漢書』には、漢(中国)の皇帝が倭(日本)から来た使者に印を与えたと書いてあるそうですね。
発見された金印はこの時のものだろうと言われているのです。
金印の文字は5文字です。
「漢委奴国王」という5文字です。
“漢の倭の奴の国王”と読む説が有力のようですが、“イト国王”と読める気もします。
イト国という国ってあったのでしょうか。
謎が謎を呼ぶのが、この金印のようなお宝です。
日本がまだ統一国家でなく、100余りの小さな国々に分かれていた頃って、どんな日本だったのでしょうか。
縄文時代には、すべての人が平等だったそうです。

松原照子の印