2018年のフランスとカザフスタンの合作ドキュメンタリ。『ドキュランドへようこそ 選』の再放送で視聴した。
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実父に性的暴行を受けていたアフガニスタンの女性カテラが、事件を社会にうったえる戦いを映しとる。
日本人の視聴者から見ると中東と同じようなイスラム様式の街だが、空には灰色の雲がかかり、石造りの風景は冷え冷えとしている。
冬には雪がつもる緯度のアフガニスタン。
それでも人々のいとなみには活気があって、子供たちは二階建てくらいの小型観覧車で楽しく遊んでいる。
そんな街で実父にくりかえし暴行を受け、妊娠出産をくりかえしたカテラ。
何人もの聖職者にうったえるも神への祈りを求められるだけで、十五人目にようやくTV局で広く訴えて社会を動かすことを提案される。
顔を隠したカテラはスタジオで司会者たちに向きあいながら、なぜ今まで裁判に訴えなかったのかと問われる*1。
裁判がはじまるが、法律アドバイザーの女性によると、昔から実父を拒否していた証言がないと、カテラが婚前性交渉の罪に問われるという。
カテラを脅かしている叔父らしき男が検察に行き、実父ではない別の男性との子供だと主張すれば、検察はそれを裁判で証言するよう求める。
本当の被害者であれば過去に訴えたはずだという誤った観念が、この国では司法の場でも通用するようだ。
けして日本も他人事ではないが……
カテラが社会に訴えたことで、仕事が難しくなった弟がカテラに手をあげてしまい、取材を止めるようたのむ場面もある。
被害を広く知らせることで、結果としてドキュメンタリが被写体を傷つけてしまう場面として目を引いた。
しかし、許可がふたたびおりるまで取材を中断したと語るディレクターが、この国では女性の声がとざされてきたと指摘する。
ディレクターのサーラ・マニもまた、カザフスタン出身の女性だった。
ドキュメンタリが対象を傷つけることを映した場面は、実父とは違う男も家族としてカテラの口をふさごうとする場面でもあったのだ。
それでも後の場面では、カテラを守ろうとした弟が実父に虐待されて家を出ている背景も語られるのだが……
また、現在のカザフスタンがタリバン政権であれば、実父はすぐ死刑になったろうと期待する場面もある。
極端ではあるが、原理主義ゆえに一面で市民に期待されるタリバンの姿があった。
しかし実父の有罪判決がおりた後、カテラは身辺の危険を理由にカザフスタンを去り、フランスへ移っていく。
そこで脅迫してくる叔父だけでなく、親族のタリバンへ実父が攻撃を指示するという恐れも語られる。
夢想として期待されたタリバンは、現実では驚異の存在でしかなかった。
これが寓話であれば、呼びよせたタリバンに実父と叔父が逆に血祭りにあげられる結末になるだろうが……
それでもカテラの行動によって、TV局へ別の被害者が一時間にわたる電話をかけたという。
女性でも戦えるのだと示したことそのものが、他の女性にとっての希望になるのだ。