つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

フリーエネルギー

2017-03-15 | Weblog
宇宙は自由エネルギーで動いている。
そのため無尽蔵である。使っても使っても尽きてしまうという事が無い。
それは、宇宙エネルギーが円運動のエネルギーとなっているためである。
たとえば、時間が24時間という一日の長さをもって地球は動いている。
24時間たてば新しい一日に繋がっていき、それが無限に続いていくのである。
24時間のあと25時26時となっていかず、24時をもって0時となり、
1時2時3時と24時つまり、0時まで続いていくのである。0から0と永遠の動きとなっているエネルギー運動で存在している。
0ポイントをもって過去と現在と未来が繋がっているのがこの世の道理なのである。
無限、無尽という蔵になって動いているのが宇宙エネルギーなのである。
その様をトーラス状といい、環状体状エネルギーとなっている。だから、有限にしての無限エネルギーとなっている。
故、増えもしないし減りもしないという不増不減なものとなっている。
宇宙は無限に膨張しているように見えて、一点に集中吸い込まれては吐き出されている様なのである。
それはどの点をとっても、吸い込まれるという感覚は無く、ただ無限に広がっていく様として捉えられるものである。
自分を中心として思えば、遠く離れれば離れるほど加速されていく様を覚えるだけである。
それ故、そんなこんなで本来人間が使うエネルギーも、無尽蔵なものなのであるが、
有限として調達しているのは、悪質なるエネルギーのはからいによってである。
エネルギーはその性質自由から成っている。そのために、何でもあるとなって、
悪質なるエネルギーの下、貨幣制度を作り上げられ、
有限にして様々な格差を作り出され、フリーエネルギーを不自由にしている。
利己的に動かされ巡らされているのである。
だから、金が無ければ何もできないとなって、束縛された世界が創られ、貧困が生まれて苦しみと悲しみが
作られ、格差を自業自得としてしまっている。それは、悪質なるエネルギーの巧妙に操られた仕業である。
エネルギーの自由を奪われているからである。

本来、全知全能というのは、エネルギーの自由をいう。
その自由は、善悪は無くただ滑るように流れゆくものとしてあり、流れくるものとしてあるだけである。
常に泡沫の如くあるものである。
光が粒子の様でもあり、波の様でもある如くにある。

まだ記憶媒体の脳みそが小さいものに、記憶媒体の大きな脳みそのものが出逢い、
智識をもって知恵を駆使して操れば、脳みその小さいものは、大きいものを神と崇めて、
全知全能と据える。
人間が神々と呼ぶ存在、或は神様として得体の知れない力を全知全能、創造神として崇めているのは、
単に、人間よりも遙かに進化している知的生物に過ぎない。
それこそすべての創造神、全知全能というのは、この自然の法則、エネルギーの法則、
円運動となっているエネルギーの自由を示しているのである。
生物という姿形ではない。
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