全体的に自分の知りえる範囲内での話になっていますが、途中特定のコンテンツに寄りすぎている場所があるかもしれません。 内容のミスや疑問点などあればTwitter(@NAZOac)に連絡・意見お願いします。 読書・映画鑑賞などのうち日常生活レベル以上に思考しなくてもものは含めない 日常生活レベル以上の運動が必要でなく、運動部分に重きを置いていない 解かれる・遊ばれるための「制作物」として公開した制作者(考案者)が存在する ミレニアム懸賞問題の証明や古代言語解読などは含まない パズルゲームのステージエディットのようなものは特別な目的がなければ含まないものとする(要議論) 義務教育の範疇を超えた学問的な理解が必要かどうか(学問の定義は要議論) 表面的な知識である、雑学やいわゆるクイズ知識とは異なる 競プロも広い意味(プログラミング言語学習を学問とすれば)では含む 無い学問は常識(言語知識)から新しい学問を理解するわけなので含まない コンテンツの説明以外の部分に言語が関係あるかどうか つまり言語知識が必要かどうか、他言語話者の翻訳する部分が多くないか 狭義の非知識は非言語でありコンテンツ内部で説明以外全てが完結するもの 正確には、「1対1対応」と「比較」という2つの考え方のみから導かれるものを非知識とする 数字の「字」の部分は知識だが、概念的な部分は非知識 一般常識をどこまでとするかによるが、「義務教育の範囲内+常識」や「小学生でもわかる内容」とすることがある 謎界隈における五十音表など「界隈の一般常識」を含めることがある 存在は一般常識で分かるが、普通は内容は覚えていない、という「ハイブリッド知識」を提唱する 普通のクイズで問われる可能性がありそう(マニアックさは別として)なのは知識で、問われて理不尽なのはデータ、という認識(正確な定義は要議論) データは2017年の出生数や◯◯社のカラオケランキング第17位など データは誰も覚えていないという認識なので、それを知っていることが必要なものはない 検索して知識やデータを得ることが必要(可能)かどうか 場所特定クイズや示されていない特定Webサイトの情報を使う謎など ネット環境やネット上のツールが必要だったとしても、検索という部分がメインでなければなら非検索 消費者の行動が(常識の範囲内で)どうであっても対応がマニュアル化されているかどうか(要議論) 完成は消費者に与えられる選択肢が全て想定されているもの 未完成は制作をメインとするものと非個人でコミュニケーションでの進展をメインとするもの あくまでも(既存の)コンテンツ内で制作があるもので、知的コンテンツの制作単体ではコンテンツではない 7638PTCやMETIQ謎解き会のようにここのコンテンツ/非コンテンツの境界はかなりあいまい そもそも制作自体が段階によって知的コンテンツ化しているという考え方もできる 後者はルールだけのもの、目的はあっても解法は存在しないもの、ともいえる ウミガメのスープやTRPG(知的コンテンツに含むかは微妙だが)など ボードゲームはやり取りのシステムが占めるウェイトによる、貿易システムだけぐらいなら含まない(要議論) 相手の出方を考えるものを含めてしまうと対戦系が全て含まれてしまうのでそれだけでは含まない 多人数の場合はGM(ゲームマスター)がいることもある 能動は未完成と、完成のうち結末へ向かうための内容が消費者の選択によって変わり、そこに焦点を当てているもの(要議論) 「弱い能動」はいくつかの想定された分岐のみからなるもので、「強い能動」はそうではないもの 弱い能動はみやまん(多分)や2解あるパズルなど(要議論) 最も良い成績が存在しないもの、もしくは簡単に最も良い成績を取れないもの 良い成績を出すところまで含めてコンテンツであるもの、高成績でなくてもコンテンツは終了するが、高成績を目指すことがコンテンツとして推奨されている(もしくはそう感じさせる)もの、結果的に成績が出るので勝手にそれで競うものがある(分類は要議論) 1つ目はミステリータワー登頂やパズルゲームの実績全解除など 2つ目は対戦型で勝敗がつくものや最適化コンテストなど 高点数を目指すものだが低点数を目指すのもそれなりに難しいので、それを狙うものもある(用意されていてもされていなくても) 初回の〜など固定されてしまう成績もある(このあたり要議論) 謎解き公演などのワンウェイコンテンツは初回しかないので、競争ではあるが成績を上げられない 対戦型の競争は1回1回の成績が固定されるという点で区別できる 最適化コンテストの場合、最高の点数は決まっているがそれが最高であることを示すのはまた別のもの 非競争は自分との戦いであったり自分の中で完結するものであったりする 解けて当たり前で時間も競わない普通の一枚謎や、解く過程を楽しむので時間を競わないパズルなど 分かるように、時間で競う要素はほとんどのコンテンツに含まれるので、そこをいかにいかに排除するかが重要 クローズは謎解きやinstructionlessなど 要素(ルール)を変更することがメインの「ハーフオープン」もある ペンシルパズルや人狼ゲームなどどちらでもありうるものもある 評価者が楽しい、面白いとどれぐらい思ったか、もしくは既存の楽しさ、面白さのイメージとどれぐらい合致していたか 観点すら人それぞれであり総括的には考えられないが、観点は以下の評価軸のいずれかに一致するはず 制作者は信頼できるか、他人からの評価はどうか、など 制作者や評価の割には満足できなかった(評価が厳しくなる)、ということも起こりうる デザインが整っているか、日本語が変ではないか、など 似た内容のものが既存でないか、あるならそれとどう違うのか ちゃんと考えるなら要素の分類は必須(現状では無理) 似た内容のものの情報を評価者がどれぐらい持っているかで変わる 制作者としてはどの層に向けたコンテンツかを考えておくことが重要(ここに限らずだが) 消費者(評価者)にとって複雑すぎたり難解すぎたりしないか 勝利を目的とするもので勝利が不可能、もしくはそう思わせるほど理不尽でないか つまり制作が大変だっただろうから評価を高くしてあげたいという感情による 「謎解きとパズルの違いは何か」について考えるためにその評価軸について考えようと思ったのですが、まず分類してみたら思ったより大変で、そこにまだ隠れているものもある気がしました。 分類軸は考えやすさのために、基本的に二択のどちらか、という形で統一しています。その他書き方をできるだけ統一するようには心がけました。 以下、この記事の内容に関する個人的意見になります。 タイムアタックのコンテンツが増えることは、「ちゃんと考えられる人が偉い」から「早く考えられる人が偉い」にしてしまい、不必要なまでに基礎能力や努力を求めてしまうので、あまり良くないと思う(現状程度に適度にある分には問題ないと思う) (主に謎解きの話だが)人や団体について信頼を得るために、界隈大衆向けのコンテンツが求められていることは否めない それを取り払った成功例としてはApril Codeやボスラッシュ便乗がある 新規性について、Aが普通だから¬Aを考える、というだけの単純な構造や、AとBを組み合わせる、といった、多くの人が思いつく内容を新規性としてしまうのはどうかと思う じゃあ何が新規性なのか、それはここで述べても仕方がなくて、作品として出ているものである 謎解きで、構造自体に新規性を入れるという観点で(特に意識していないかもしれないが)メタ解きや一部の大謎があるが、それこそありふれすぎて新規性がないと思う 謎解きでは、大謎から構成していくものではなく、方向性以上のテーマをもった、作り込まれた小謎の集合であるようなものが増えてほしい(その結果大謎が生まれるのは問題ない) 実装は、新規性やら体験没入感やらを形にする上での障害であると考えている なので、「実装がすごい」というのは、他に評価する点がなかった感想だと捉えてしまう