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芸人の道、震災で逝った友の言葉支えに 安田裕己さん

2010年1月14日9時20分

写真親友との思い出などを話す安田大サーカス団長の安田裕己さん=東京都中央区、高橋雄大撮影

写真安田裕己さんたちが、ビルの下敷きになった山口恵介さんの名前を呼び続けたことを伝える、1995年1月24日付の朝日新聞夕刊(東京本社版)

 兵庫県西宮市出身でお笑いグループ「安田大サーカス」の「団長」こと安田裕己さん(35)は、9日に結婚式を挙げ、初夏には父親になる予定だ。幸せを報告したい人がいる。阪神大震災でかえらぬ人となった、親友の山口恵介さん(当時20)だ。夢だった芸人の道へと、背中を押す言葉を残してくれた人物でもある。「きっと天国から応援してくれてると思う。もっと頑張らな」と気持ちを新たにしている。

 「おーい、恵介」「寝るなよー」。安田さんは、震災発生から5日間、同級生ら十数人とともに、7階建てのビルの倒壊現場の前で野宿し、がれきの中にいるはずの山口さんの名を呼び続けた。その様子は、当時の朝日新聞夕刊に掲載された。

 吹き付ける寒風。何枚も服を重ね着してこらえた。「この寒さの中で寝たら、恵介は死んでしまう」。音で意識をつなぎとめてくれることを願って、山口さんのポケベルを同級生の携帯電話や公衆電話から何度も鳴らした。

 必ず生きていると信じていた。だからなのか、ビルの前の様子ははっきり思い出せるのに、市内の体育館に運び込まれた山口さんと対面した時のことは、あまり記憶にない。ただ、言葉に詰まって何も声をかけられなかったことをぼんやりと覚えている。

 山口さんとは市立瓦林小学校、瓦木中学校で同級生。高校卒業後もよく一緒にご飯を食べに行き、たわいもない話で盛り上がった。震災2日前にも、成人式の会場で会った。

 震災後、「人生何があるか分からん。悔いを残さぬよう、自分のやりたいことをせなあかん」と思うようになった。高校卒業後2年近く、建築関係やイベント会社の現場で働いてきていた。将来が描けず「何か楽しくない毎日」を過ごしていた。

 小さい頃からあこがれていたお笑い芸人になろうと思ったが、どうしていいのやら分からない。「お前、面白いからお笑いやったらええねん」。生前に山口さんが言っていた言葉が支えになった。震災の翌年の1996年に、松竹芸能のタレント養成所に入った。

 下積み時代を経て、2001年に「安田大サーカス」を結成。04年1月には、ずっと欲しかったABCお笑い新人グランプリの審査員特別賞を受賞した。毎年1月17日には同級生らで倒壊したビル跡地に集まっていたが、その年は受賞の盾を持って行った。

 仕事が増え、同じ年に東京へ活動拠点を移した。昨年9月、タレントの岩田さちさん(28)との婚姻届を出した。

 近年、山口さんのお墓参りができていない。今度、墓前でゆっくり近況を報告しようと思っている。

 同級生は毎年1月と8月に、兵庫県三田市の山口さんの実家に集まっている。母親の逸子さん(64)は「安田君は最近顔を出さないけど、仕事が忙しい証拠だから、逆にうれしい。恵介も今の活躍を喜んでいると思う」と話している。(向井大輔)

     ◇

 「安田大サーカス」は「団長」の安田裕己さんのほか、こわもてで甲高い声が特徴の「クロちゃん」こと黒川明人さん(33)=広島県出身=と元力士の「HIRO」こと広瀬康幸さん(32)=和歌山県出身=の3人組。06年には上方漫才大賞の奨励賞も受賞した。

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