はじめまして。
おかともひこです。
現役見習いのコックさんです。
一応ミシュランで言うところの三つ星のホテルで働いています。
今日はなぜぼくがブログを始めたのか、自己紹介がてらお話していこうと思います。
数件の飲食店で経験を積んだのち、今のフレンチの厨房に入って半年ちょっと経ちました。
見習いというのは、半分謙遜ですが、半分真面目です。
と、言いますのも、実際はスーシェフのポストを虎視眈々と狙っています。
が、ぼくの今の力量では料理長や厨房の先輩方に首を縦に振らせることができずにいます。
諸先輩方を差し置いて、ぼくがスーシェフになる野望実現のために……
ぼくが辿り着いた答えが、そう、ブログです。
なんでやねん。
と北北東(ぼくのいるとこから見て大阪の方角)から聞こえてきそうですが、その理由とともに併せて、自己紹介もさせて頂きたい次第です。
はじめにおことわりしておきます。
これからこのブログを覗いてくれる皆さまに、はじめにお断りしておくこと。
ここは『ぼくのぼくによるぼくのためのブログ』であること。
そしてついでに、
レシピを探しにきた一人暮らしの大学生、プロの料理の世界を覗きにきた調理学生、ワンランク上の料理を作りたい主婦のみなさん、三つ星の厨房がどんな風景なのか興味がある同志たち、etc…
そんなあなたのためのブログです。
こうしてあなたがぼくを見つけてくれたことには多大なる感謝しかありませんが、片足突っ込んだ以上は最後までお付き合い願います。
そう、タイトルの通り、ぼくはぼくと言う人間を知ってほしいのです。長くなると思いますが、最初なので丁寧にいきます。
とてつもない承認欲求の塊です。すみません
調理師学校、出てません。
1 生まれる
2 中学までは成績優秀で進学校の高校に入学(よくある感じ)
3 高校3年生の数学で人生初の記念すべき0点取得
4 なんとか国立大学の農学部にAO入学(ゆとり)
5 『俺は他のやつと違う』と勘違いして就活もせずに卒業
6 ヒッピーに憧れて農家になる
7 事業用に◯千万(よく覚えてないけど当時のぼくには多額)の融資が決まったが怖くなってそのまま家出(当時実家暮らし)。閉業。
8 個人的に農作物を買ってくれてたカフェのオーナーさんに拾われ飲食の世界へ
9 キッチンカーブームに先駆けて走る珈琲屋開業→不衛生なのが嫌で3ヶ月で閉業
10 なんとなく老舗洋食イタリアンのコックさんになる→なんとなく半年で退社
11 『三ツ星』に憧れて今の厨房に入る→どうやらミシュランの星にはレストラン部門とホテル部門があり、ここはホテル部門だったことを後になって知る。
12 料理長にビッシビシにしごかれ半年でスーシェフのポストが見えてきたゾ!(今ここ)
幼少の頃から要領の良かったぼくは、何かと『そこそこのポジション』に着くのはわりと容易なことでした。
今の厨房でも、入社から半年程度で料理長からも一定の信頼を得ることはできました。25歳で入った訳ですが、実際のところ、年齢に見合った仕事が出来てたかと訊かれれば、そんな訳はなかったという自覚はあります。調理師学校を出てないっていう経歴は、意外と大きな問題だったようです。
今までなんとなく、カフェや洋食屋で働いてきた訳ですが、環境とはガラリと変わりました。
包丁はみんな何本も揃えてるし、高いコック帽とか被ってるし、急にフランス語で指示出されるし、野菜の面取りとかめっちゃ丁寧だし。。。
やっぱ星付きのホテルなんていうのは、レベルが違うなーと感じたもんです。
ぼくが最初に働いたカフェ。
市内の中心部の路地裏にある雰囲気抜群のお店でしたが、今は移転してもうありません。
使えない人間の使い方
周りとのレベルの違いをヒシヒシと感じ、こりゃあ来るとこ間違えたかも??なんて思いつつも、知らない言葉は勉強して、誰よりも洗い物に勤しんで、みんなが仕事してる時間は先輩たちの仕事を必死で譲ってもらって、自分の仕事(主に単純な仕込み作業)は休憩中に回して……
入社当初は右も左もわからなくて、料理の世界の最高峰と言われるフレンチの『フ』の字も見えない状態から、料理長からの愛ある叱咤激励に耐え抜き、今ではコース料理の考案や試作にまで関われるようになりました。
我ながら、厨房に入ってからの2ヶ月ぐらいは、いわゆる使えない人間だったように思います。そりゃあもう、必死で仕事に向き合いました。ただ、ぼくが非常に恵まれていたのは、入社当初のぼくとはまた違った意味で、先輩方も使えない料理人の部類だったことです。
これは本当に悪口みたいになっちゃうので申し訳ないのですが(愛してます、みんな)、10人に満たない料理人たちの中で、群を抜いて料理に精通しているのは料理長ただ1人って感じ。当時25歳のぼくは、年齢的には中堅まではいかないけど、新人の枠は出た若手ってところ。料理人の1/3は二十歳そこそこの調理師学校卒業したての子たち、あと1/3は10年以上のキャリアがありながらも決められたことしか作業できない言わば働き蟻タイプ。
働き蟻なんて聞こえが悪いですが、集団調理の場では必要なポジションではあります。むしろ必須で、なくてはならない存在です。それに、出された指示に対しては相応のクオリティで結果を出せるコックさんばかりなので、技術面では流石は星付きホテルの厨房って感じ。単に、作業者マインドの料理人ってことですね。
しかし、厨房のボスである料理長が求めていたのは、思考者マインドの料理人でした。つまり、料理長と一緒に新作メニューを次々と完成させる人材。
結論から言うと、ぼくは今、なぜかそっち側にいます。
なかなか思考者マインドに切り替わらない先輩方を差し置いて、その空いているポジションを、ぼくは運良く手に入れることができたのでした。
料理人の世界といえば、上下関係が厳しくて、下積み何年とか、食材にさえ触らせてもらえない新人の苦労話とか想像されると思いますが、ぼくの場合は本当に運が良かったとしか言えません。血の気の多い料理人が皆無だったことも恵まれた環境の大きなひとつだといまでも感じています。
論理的に整理して効率の良い仕事の割り振りを伝えるだけで、技術ある先輩方は仕込み作業に徹してくれます。料理長からすると、使えなくて苛立ちの種だった人材も、ぼくからすれば、そのポジションに留まってくれるからこそ、ぼくや料理長が料理の考案や試作に時間を使えるので、ありがたいことこの上ない話です。
圧倒的に足りないもの
ただ問題なのは、本来、調理師学校や見習いの1〜2年で習得すべき料理の基本的なことが、ぼくには圧倒的に足りてないこと。
例えば、魚の三枚卸なんて未だに辿々しくて中骨にたくさんの身が残っちゃうし、皮もうまく引けない。牛肉のスジと脂の見分けもイマイチよくわからん。フライパンも上手に振れない。包丁も3本しか持ってない。ポタージュはどうやって伸ばすのか、コンソメやブイヨン、フォンはどうやってとるのか、ソースの盛り付けや飾りのレパートリー、ガルニ?フュメドポワソン?リソレ?リエって何それ?みたいな感じ。挙げればキリがないほど出来ないこと、知らないことが多すぎる。
基本もままならない状態で、料理の試作とかしちゃってるもんですから、可笑しな料理が出来上がってしまうこともあります。ただ、その凝り固まってない発想が料理長からすると単純に面白かったりするのでしょう。
一長一短です。
でも、1年ぐらい農家してたから野菜の知識はある。大学は農学部で栄養とか健康についても勉強してたから、旨味成分やら食のアレコレについても幅広く知ってたりする。カフェや洋食屋で経験あるからパスタは上手に作れるし、パン作りも興味あるし、お菓子作りは大好き!マカロン?作ったことないけど任せてー!みたいな感じ。
つまり、『知ってること、出来ること、得意なこと』と、『知らないこと、出来ないこと、苦手なこと』の落差が異常なぐらい激しいんです。全くもってアンバランス。
だからブログをはじめました
料理の世界に限らずだけど、技術と知識ってのは、どっちかだけじゃ全くダメで、一流と称されるには程遠いですよね。
圧倒的に不足している技術と知識をカバーするためには、多少要領良く仕事ができるぐらいじゃ全くもって太刀打ちできない。スーシェフになりたいなら尚更。腕がモノをいう業界ですから、やっぱり腕を磨かないと。
技術面に関しては努力あるのみ。数をこなしていくしかない。でも、効率よく技術を習得する方がいいよね。
だからブログをはじめました。
ぼくにとって、ブログを書くことについてのメリットはご覧の通り。
- 他人に伝えることを前提とするため、要点を意識できる
- ブログのネタ探しのために、幅広い仕事を経験しようとする
- アウトプットの過程で、まだ理解できてなかったことを認識できる
- レシピを掲載し続けることで、料理人としてのバックグラウンドを可視化させることができる
- 人にわかりやすく伝える技術の習得、後輩の指導に役立つ
- 広告で少しでもお小遣いが手に入れば新しい包丁が買える!
ぼくは基本的にinstagramとnoteで料理のことを発信してます。
instagramは普段からラフに使えるのが気に入ってますが、noteに関してはラフな感じで。
今日はタラタラと長い文章になってしまいましたが、基本的には簡潔にレシピや豆知識、ぼくがなるほど〜と思ったことなんかを共有いく予定です。
まだまだ未熟な見習い料理人ですが、スーシェフになれるその日まで、定期的に更新できるようがんばります!
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