NHKは一個人の作家ではない。法令によって守られた、特権的な、日本有数の巨大メディアである。当然ながら、その情報発信には一個人以上の責任をともなう。
まして今回、舞台となったのはツイッターだ。ツイッターでは、一部のツイートが前後の文脈から切り離され、広く拡散されやすい。残念ながら、ヘイトスピーチが飛び交う、人種差別の温床でもある。そんなことは、メディア関係者ならば誰でも知っていることだろう。
だからこそNHKには、「元ネタどおり」で済ませるのではなく、「創作の責任」についてもしっかり言及してほしかった。現実と虚構を横断する、刺激的な企画には、そういう丁寧な対応が不可欠だったはずである。
ただし、希望がないではない。今後も「ひろしまタイムライン」は続くという(24日には、「必要に応じて注釈をつける、出典を明らかにするなどの対応を取り、配慮に欠けたり、誤解が生じたりすることがないように努め」るとの方針も示された)。
集団で議論しながらツイートを創作する上で、今回の騒動も当然話題となるに違いない。そのなかで「創作の責任」がどのように果たされるのか、そしてそれはたんにツイートを削除して終わりになるものなのか、検討がされるのではないか。
「ひろしまタイムライン」は、戦争体験者が減少するなかでの、新しい試みではあった。そのため、一過性の炎上事件として消費するのではなく、その成り行きに引き続き注目していきたい。