テコンドーは日帝に教わった空手を
李承晩政府に逮捕されないために名前を変えただけ、
大嫌いな日帝残滓なのに
名前を変えただけで大丈夫?
新東亜の記事より抜粋
テコンドーは空手の偽物。
http://www2.donga.com/docs/magazine/new_donga/200204/nd2002040010.html
韓国イ・ジョンウ国技院副院長は、「テコンドーの起源を三国時代以前とすることが一般的だが、歴史的想像力を動員してもそれには無理がある。中国から日本へ入り、日本が改良して空手道を確立して、それが韓国へ入ってきた。テコンドーは空手の変形である。私も創始期にはテコンドーの起源をテッキョンと嘘を書いて本を執筆したことがあるが、海外に普及させる過程で昔からあった韓国の伝統武術だとすれば名分が立つからである。」と告白している。
空手道の名前を変えただけの「テコンドー」
http://www.geocities.jp/bxninjin2004/themeoftoday_e/themeoftoday_ec.htm
ソウル大学卒、キム・ワンソプ氏の告発著書
金完燮氏は多くの韓国人と同様、もともと強い反日感情の持ち主でしたが、作家として成功したことで、海外へたびたび 旅行へ出かけるようになりました。そこで実際の日本人と交流を持つことで受けた教育に強い疑問を持つようになったと告白しています。
テコンドーは空手道
韓国の国技、テコンドー。韓国人はこれを長い歴史をもつ、民族固有の伝統武術だと考えている。 実はテコンドーは、空手道の名前を変えただけのものである。
終戦後、空手道や唐手道と呼ばれていた武術に、テコンドーという名前をつけてしまったのである。名前はどうであれ、テコンドーも元来、空手道を継承したものであり、正統空手道(そういうものがあるならば)とテコンドーの差はたぶん、正統空手道と極真空手道の差よりも小さいと思われる。テコンドーが空手道に似た武術であることは、武芸をかじった人なら簡単に納得がいくため、最近、韓国でもこの間題で論争がよく起こる。
民族自尊と反日に関する限り、妥協を知らない韓国人だが、良心が残っている人も時折いる。そのうえ、テコンドーに名前を奪われた真の伝統武術「テッキョン」が「国技」の地位を狙っているのだ。 テコンドーの正体をめぐるこのような論争は、主にインターネットを通じて活発に展開されている。
テコンドーの歴史捏造が露見するまで
http://www.geocities.jp/bxninjin2004/data_room/taekwondo/readphp.htm
朝鮮総督府時代には韓国でも空手道が活発に普及して多くの道場ができ、実力のある弟子を輩出するようになった。しかし、1945年になって日本が敗戦し、すべての日本人が本国に追い帰されてしまうと、空手道場は自然に韓国人の弟子たちに継承された。この当時、韓国の空手道界には6つの大きな道場があった。ユンピョンインの演武館(ヨンムグァン)、ノビョンジクの松武館(ソンムグァン)、黄埼(ファンギ)の武徳館(ムドックァン)、李元国(イウォングク)の青涛館(ジョンドグァン)、李南石(イナムソク)の章武館(チャンムグァン)、李鍾佑(イジュンウ)の智道館(チドグァン)である。この六大道場の館長たちは、1950年の朝鮮戦争の渦中に、臨時首都である釜山で大韓空手道協会を発足させることになる。この大韓空手道協会がさまざまな紆余曲折を経た末、1965年になって大韓テコンド協会に変身する。 なぜ空手道がテコンドーに変わったのだろうか。
テコンドー命名の経緯
空手道または唐手道と呼ばれていたこの武芸にテコンドーという名前をつけた人は、当時、軍人であり空手道の達人であった将軍・チェホンヒである。
韓国の初代大統領だった李承晩は、長い間、独立運動をしていた非常に反日的な人であった。そのため、空手道という名前を非常に嫌った。
当時、唐手道・吾道館(オドグァン)という道場を運営していたチェホンヒは、一九五四年に自分の部下である将兵たちに空手道を訓練させ、李承晩に見せた。これを見た李承晩は「おお、これがテッキョンか」と満足そうだったという。李承晩が空手道をテッキョンであると誤解すると、チェホンヒはこれにヒントを得て、空手道にテコンドーという名前をつけてしまった。彼は李承晩の後援で一九五九年に大韓テコンドー協会を創設し、その会長に就任した。
李承晩を始めとする韓国の政治家たちの親日粛正を避けるために、日本の武術・空手道に韓国の伝統武術・テッキョンの名前をつけた、国籍不明の武術が誕生したのである。
—(中略)—
テコンドー協会の迷走
このあきれた名称に反発した唐手道武徳館の黄埼(ファンギ)は海外に進出し、世界唐手道協会を結成した。 韓国から追い出されたチェホンヒは1970年、自分のITFを率いてカナダに亡命し、国際テコンドー連盟の総裁としてテコンドーを普及することになる。
このように、1920年代に日本を通じて伝播された韓国唐手道は、現在、世界テコンドー協会WTF、国際テコンドー連盟ITF、世界唐手道協会などに分裂して、それぞれ違う名前で普及発展してきたのである。これらがすべて唐手道であることは疑う余地はない。
—(中略、テコンドーを空手へ統合する必要性を説く)—
テコンドーが空手に統合される必要性は、テコンドー内部でも発生している。現在、テコンドーは、その競技を観覧する人は誰でも感じるだろうが、手と足をバランスよく使う武芸というよりは、まるで足蹴り試合のように変質してしまった。達人の競技になればなるほど、足を使う頻度が90パーセントを超える。そのため武道家たちは、実戦では手と足をバランスよく使う極真空手道と戦ったら相手にならないだろうという。 つまり、今日のテコンドーはキックボクシングと似たものに変質し、どんどん人気が落ちてきているのである。テコンドーが再び空手に名前を変え、 その元来の正統性を回復できれば、足蹴り試合という汚名を返上できるかもしれない。
http://youtu.be/bnSaRpigOFs
http://youtu.be/KTpM0d6lr4A
http://youtu.be/zqz3kYcybOI