「もしかしたら、経営よりも研究やエンジニアの方が天職に近いのかもしれない」──そうはにかむのは、商品パッケージのリサーチとデザインを手掛けるプラグ(東京都千代田区)の坂元英樹副社長だ。50代の文系出身。もともとは市場調査会社の社長だったが、デザイン会社と合併して今に至る。
プラグは現在、パッケージのデザインを評価するAIサービス「パッケージデザインAI」を展開している。すでにカルビーやネスレ日本など、大手食品メーカーがパッケージデザインAIを活用した商品を販売中だ。
このAIサービスは、東京大学との共同研究ではあるもの、実は坂元さんが1人でプログラミングからAIの実装までこなしたという。
始める前は「Pythonも知らない状態だった」という坂元さん。そこからどうやってAIサービスの公開までこぎつけたのか。そもそも、副社長という立場にありながら自身での実装の道を選んだ理由は。
●データベースとデザインでどうデジタルシフトするか
開発を始めた経緯は、プラグが2つの会社の合併からできたことを知ると理解しやすい。市場調査を手掛けていた坂元さんの会社は1957年、パッケージデザインを手掛けていた小川亮さん(現プラグ社長)の会社は89年から歴史がある会社だったが、14年に合併。それぞれの従業員数は約30人で、現在の従業員数は70人だ。
なぜデザインの会社と市場調査の会社が合併したのか。それは商品のパッケージデザインを決める上で、消費者の反応を調査するプロセスが非常に重要だからだ。
例えば、デザインの最終候補にA案とB案の2つが残ったとする。このどちらを採用するか決める際に使われる方法の一つとして、数十〜数百人の消費者に集まってもらい、手に取ってみてどちらがより好ましいかをアンケートする手法がある。より票数を得た方が、商品のデザインに選ばれる。
つまり、商品パッケージの多くは「なんとなくこっちが良いから」という主観よりも「市場的にこちらがより好まれるから」という客観的なデータで決まっている。
市場調査とデザインの両輪を手に入れた、プラグの2人が共通の経営課題として考えていたのはデジタルシフトだった。両輪の特性を生かしたうまいサービスを作れないか。2人が話し合った結果、市場調査のデータベースでパッケージデザインを評価するAIを作れるのではないかという考えに行き当たった。
●Pythonも知らないのに、なぜ副社長が開発に?
開発を始めるに当たっては、外注する方法もあった。しかし坂元さんは外注の問題点として「知見が内部にたまらない」ことを挙げる。
AIモデルを外注で作っても、望む精度が出るとは限らない。精度が得られないときに内部に知見がないと、何をすれば精度が上がるのかが分からない。実際、開発のごく初期には外注もしてみたが、こうした問題に当たったため、坂元さんらは内製の方針に切り替えた。
とはいえ、内部にAIができる人材をもともと抱えているわけでもない。であればと、坂元さん自身でイチから勉強することにしたのだという。
●目標は1年で1000時間学習 約5カ月で「行けそう」の感覚つかむ
プログラミング自体が初めてだったという坂元さん。機械学習によく使われるプログラミング言語としてPythonに触ってみたものの、for構文の仕組みすら最初は分からない状態だった。
そこでまずはプログラミングスクールに通うことと、目標を決めて自宅で学習することを決めた。自宅学習の目標は1年で1000時間。「平日2時間、休日5時間やれば1週間で20時間。これを1年やればだいたい1000時間になる」(坂元さん)
プログラミングスクールでは2カ月でPythonの基礎を学び、その後は機械学習のスクールにも通った。市場調査を今まで手掛けてきた関係で統計の知識はあり、機械学習の考え方には入っていきやすかったが、どうしたらそれをコードで表現できるかは初めはさっぱりだった。
当初は業務時間外で始めた。重要な経営課題ではあるものの、この取り組みを会社としてのプロジェクトにできるか分からなかったからだ。プライベートを週20時間もプログラミングとAIに費やす日々となったため、家族には「口を開けばAIのことばかり」とあきれられた。
「形になりそうだ」と分かったのは、開発を始めてから5カ月ほど。PoC(概念実証)的に作ったモデルで、デザインに対する実際の評価とAIの評価の相関が低いながらも0.3程度出せた。さらに議論を重ね、相関が0.5まで上がった。「そこで社内のプロジェクトとしていける確信を持てた」
●経営リーダーからAIエンジニアへ業務シフト
社内プロジェクト化となると、これまで副社長として携わってきた経営に関する業務との整理が発生する。
「当然、通常業務は軽減させてもらった。なんでも屋的なところが私にはあるので、リサーチで難しい案件があると私が入ることもあったが、そういうものを減らした。今は通常業務が2〜3、AIの業務が7〜8になっている」
従業員数が70人とフットワークが軽く、最近合併したばかりだったこともあり、業務の移行は比較的円滑にできたという。
今までの仕事とAIエンジニア、どちらが好きかと記者が聞くと、坂元さんは一拍置いて答える。
「AIエンジニアって研究職的なところが結構ある。例えば相関を0.1上げるにはいろんな組み合わせを試さないといけない。1回計算するのに1時間はかかる。その結果として相関が0.01でも上がるとすごくうれしい」
「今までできなかったことができる。画像処理や自然言語処理が今ではAIでできるようになって、とてもスピーディーに可視化できる。これが非常に魅力的。内容は難しいが、キャッチアップしていくのが自分の成長に感じるし、それが会社の成長ともリンクしていてやりがいを感じる。だから、社長や経営陣よりも今の仕事が天職に近いのではないかと」
●50歳で東大に“入学”
笑顔でインタビューに答える坂元さんだが、プログラミングと向かい合っているときは眉間にしわを寄せていることも。新しい方法を試しても相関が全く上がらず、ただ苦しいときもあるという。
AIの実装に当たって、坂元さんが門を叩いたのが東京大学の相澤・山崎・松井研究室(情報理工学系研究科)だ。同研究室の山崎俊彦准教授と1.5カ月に1回のペースで会議を設け、アドバイスをもらった。
「単にコードを教えてもらうのではなく、『こんなアルゴリズムがあるから実装してみては』と投げかけてもらうスタイル。それをググりながら実装してみた結果こうなったと定例会で報告すると、山崎先生から20個くらい質問が来る。その中で10個くらいを試してみて、次のお題に移る流れ。1年間で60個くらいのお題をいただいた」
「先生はコーチングがとてもうまい人で、研究室に所属する学生に対しても、コーチングしながらいいところを伸ばしている。私もそんな感じで学生の一人として扱ってもらっている」
●数カ月かけていた調査をAIで数分に短縮 “ある流通戦略”に効果も?
山崎准教授のアドバイスを得ながら、坂元さんが1人で実装したパッケージデザインAI。聞くと、確かにこのサービスは市場に刺さりそうだ。
このAIはパッケージデザインの好意度を5段階で評価する他、消費者がパッケージ上のどこを注視するか、どんな理由で好意を持つかなどを可視化してくれる。かかる時間は数分だ。
通常のパッケージデザインの評価プロセスに対する代替手法になるのはもちろん、“ある流通戦略”に対しても効果が出そうだ。
それは「少しだけデザインを変える」というもの。商品によっては、中身を変えずパッケージデザインだけを若干変更することがある。デザインを変えないと、古い商品はいらないとして流通側が販路に乗せないからだ。しかし、デザインを変えすぎると消費者に同じ商品と認知されず、売れなくなってしまう。こうした変更は流通戦略上よくある手法だという。
しかしデザインを変える上で、従来のように実際に人を集めてパッケージデザインを見てもらい、アンケートを取るのは時間と金がかかる。「数カ月・数百万がかかるのが当たり前」とプラグの広報担当は話す。
それがパッケージデザインAIなら数分でできる。プランによるが、コストも画像1枚当たり1万5000円と従来の100分の1で収まる。
ただ、AIの出した結果だからといって無批判に信じていいかといえば課題もある。アンケートであれば統計的な検定で有意差を出せるが、AIによる予測では有意差をはっきりとは示せないのだという。
●「インターネット調査の登場」と類似の状況?
それでも、AIによるパッケージデザインの好意度予測は受け入れられていくと坂元さんらはみている。約20年前にも同じような状況があったからだ。
「インターネットによる調査方法が現れた当時は『対面で取るデータとどれほど整合性があるのか』と疑問も持たれたが、いつの間にか受け入れられていった。同じように、AIによる手法も認知されてくれば『今の方法よりマシ』となるかもしれない」(坂元さん)
今でも「AIの結果の方が正しそうだ」という声もクライアントから上がるという。従来の調査方法では、強引にアンケートを取ることで意図的に差を出すこともできてしまう。「大事なのは強引に出した結果ではなくて、本当にその商品が消費者に受け入れられるか」と、AIの客観性が評価されているとしている。
●今後はチーム開発も視野
クライアントからのさらなる要望に答えていくため、坂元さんは独力での開発からチーム開発への移行を検討している。プロジェクト自体はすでにコード管理ツールの「Git」で社内のインフラエンジニアと共有しているため、重要なのは人の採用だ。
どんな人を募集するかは悩んでいる。しかし、即戦力のデータサイエンティストの採用は狭き門であることから、「AIについては未経験でもPHPなどはやったことがあるような30歳くらいの若い人を呼びたい」としている。「AIをやりたい人は多いと思うが、AI人材として経験を積める場所は多くない。その点、当社であればデータセットも知見もたまっているので、一緒に学んでいけると考えている」
独力でプログラミングからAIまで学んだ副社長は、経営リーダーとして培った手腕とともに、今度はAIエンジニアのリーダーとしてプロジェクトや会社をけん引する存在になるのかもしれない。